番外編③ 愛され子息の良縁〜愛が全てだと教えられて育ったけど、それって本当なんだろうか?〜

前編 末っ子の苦悩


 あれは、一番上の兄の結婚式だった。

 笑顔のままで涙を浮かべていた母親に、ニコラウスは『どうして泣いているの?』と尋ねた。母親は『愛って、素敵だなと思ったのよ』と答えたが、その答えにニコラウスは首を傾げた。当時7歳のニコラウスには、『愛』の意味が分からなかったのだ。


「あなたには、あなたの『愛』が見つかるわ。いつか、きっと……」


 母親の言葉の意味を、彼は今でも考え続けている。





 * * *





「で、何が不満なんだい?」


 しかめっ面で尋ねた兄に、ニコラウスは同じようにしかめっ面で返した。プラチナブロンドにアイスブルーの瞳は同じだが、2人の顔つきはまるで違った。兄のアルノルトは父親似で、弟のニコラウスは母親似なのだ。


「不満なんかない」

「じゃあ、何をそんなにグダグダ悩んでいるの?」


 今度はため息を吐いたアルノルトが葉巻に火をつける。次いで差し出された葉巻に、ニコラウスは首を振って断った。煙の臭いは好きだが、味だけは好きになれないのだ。


「悩んでるというか、本当にこのままでいいのかなって」

「お前が決めたことなら、誰も何も言わないよ」

「でも、お母様は……」

「うん。まあ、ティアナには思うところがあるだろうなぁ……」


 母親の名を聞いて、ニコラウスは深い溜め息を吐いた。


「通知が来るまで、あと2ヶ月くらい?」

「うん」

「ティアナはなんて言ってるの?」

「何も言わない。言わないけど、何か言いたそうにしてる」

「だろうね」


 アルノルトが喉を鳴らして笑うので、ニコラウスは頭を抱えた。


「他人事だと思って……」

「そんなことないよ。大事な末っ子の結婚の話だ。みんな心配してるんだよ」

「じゃあ、なんで笑ってるんだよ」

「やきもきしているティアナを想像すると、最高に可愛いから?」

「揃いも揃って同じ顔で……」

「ジークも同じ反応だった?」

「そうだよ」


 呆れた様子のニコラウスの肩を、アルノルトが優しく叩く。


「気になる子がいるんだろ?」

「うん。……でも、どこの家の子なのかも知らないし」

「調べれば済む話だよ」

「それに、向こうが僕のことをどう思っているのかも分からないし」

「そんなの、お前が気持ちを伝えなきゃ何も始まらないよ」

「でも……」


 アルノルトの言う通り、に思いを伝えなければ何も始まらない。それは分かっている。


「そういうことじゃなくて」

「ん?」

「……」


 ニコラウスは、それ以上何も言えなくなって俯いた。自分が何に悩んでいるのか、うまく言葉にすることができないのだ。


「……別に、どんな結論になったっていいんだよ。お前が納得さえしてれば」

「そうだけど」

「納得いくまで悩めばいいさ」

「……うん」


 煮え切らない様子のニコラウスを、アルノルトが優しく見つめている。ニコラウスにとっては、その優しさが嬉しくもあり、もどかしくもあった。


(結局、決めるのは自分、か……)





 * * *





 ニコラウスは、ユーベルヴェーク公爵とその妻ティアナの末っ子として生まれた。両親と兄姉たちの愛情を一身に受けて、素直で優しい青年に成長していた。

 そんな彼も、2ヶ月後には20歳になる。『婚姻統制法』に従い、結婚する年齢だ。


 彼の兄姉たちは、社交界で出会ったパートナーと結婚している。貴族同士という縛りはあるが、互いに愛し合った人と結ばれたのだ。皆が幸せに暮らしている。


(それは、素晴らしいことだと思う)


 ニコラウスにも、この女性ひととなら、と思える人はいる。

 だが、その女性と結婚して幸せになる自分を想像する度に胸が苦しくなるのだ。


 数カ月後に迫った自分の誕生日をどう迎えるべきか、ずっと悩み続けている。





 * * *





「そうだ。頼まれてたもの、できてるぞ」


 アルノルトが取り出したのは、小さな箱がいくつか。蓋を開ければ、ツヤツヤに磨き上げられた新品の万年筆が入っていた。それぞれに、金の箔押しで名が刻まれている。


「わ、すごい! ありがとう!」

「向こう10年分は前払いしておいたから、次からは直接店に名簿を持っていけばいい」

「院長に伝えておく。……みんな、喜ぶよ」


 嬉しそうに呟いたニコラウスに、アルノルトもニコリと微笑んだ。


「これから届けるのか?」

「うん。早く見せたい」

「じゃあ、よろしく伝えてくれ」

「ありがとう!」


 アルノルトの屋敷を辞してニコラウスが向かったのは、郊外にある孤児院だった。


 ニコラウスは18歳の時に父親から領地の一部を引き継いで、同時にアードラー子爵の名を継いだ。その時から始めた繊維業が軌道に乗り、それなりの資産を得ている。彼はその半分以上を、孤児院の支援に使っているのだ。

 兄姉たちもそれぞれ慈善活動はしていたが、今ではニコラウスがその取りまとめ役になっている。今回は15歳で独り立ちする子どもたちに贈る記念品をアルノルトに頼んだ。思っていた以上に立派な贈り物を準備してくれたので、ニコラウスは嬉しくて、駆けるようにして孤児院に向かった。


(きっと、彼女も喜んでくれる!)





 * * *





「あら、マルコ。ごきげんよう」

「や、やあ、ニーナ」


 道すがら行き合ったのは、同じく孤児院の支援をしている令嬢のニーナだった。


 アメジストの瞳が夏の太陽の光を浴びてキラキラと光り、亜麻色の髪の隙間から項に向かって汗が流れる。


 その様子に思わず赤面したニコラウスだったが、何でもない振りをして軽く挨拶を返した。

 『マルコ』とはニコラウスの偽名だ。慈善活動をする貴族たちは、自分の寄付金の額を誇示することが多いが、ニコラウスはその風潮が嫌で仕方がない。だから、家名を伏せて活動しているのだ。


「君も孤児院に?」

「ええ。パーティーの準備を手伝おうと思って」

「僕も」


 明日は孤児院から独り立ちする子どもたちを送り出すためのパーティーが開かれる予定だ。


「男手があるのは助かるわ」

「そうだと思ってね」

「こき使うわよ」

「覚悟してるよ」


 嬉しそうに笑うニーナに、ニコラウスも自然と笑顔がこぼれた。


(今日も、ニーナと一緒にいられる)


 ニコラウスは無意識の内に飛び跳ねそうになる足を懸命に押さえつけながら、ニーナの隣を歩いたのだった。





「……こんなものかしら?」


 額の汗を拭って呟いたニーナに、ニコラウスも同じように汗を拭きながら頷いた。


「うん。明日の朝には花が届くから、華やかになるね」

「お花の手配、ありがとう」

「花は姉さんからだよ」

「……記念品は2番目のお兄様で、お花はお姉様? あなた、何人きょうだいなの?」

「ひみつ」


 ニコリと笑ったニコラウスに、ニーナは肩を竦めてから笑顔になった。ニコラウスが家のことを秘密にしていることは、その理由も含めてニーナも理解している。実はニーナ自身も、家名を伏せて活動しているのだ。


 ニコラウスがニーナについて知っているのは、どこかの貴族の令嬢だということ。そして、双子の兄がいるということだけだ。双子の兄には会ったことはないが、とても仲が良いらしいということは彼女と話してよく分かった。





「お二人とも、休憩してください!」


 院長に声をかけられて、2人はようやく椅子に座って息を吐いた。


「あなた、変わってるわよね」

「僕が?」

「他の貴族なんか寄付金を送ってくるだけじゃない? こんな風に自分で汗水流して慈善活動する貴族様なんか、珍しいでしょ」

「その言葉、そっくりそのまま君に返すよ」


 院長が淹れてくれた冷たいレモン水を飲みながら、2人は顔を見合わせて笑った。季節は夏。2人とも汗だくで髪も服もキレイとは言い難い状態だ。院長が準備してくれた、冷えた手ぬぐいがありがたい。

 ニーナとニコラウスが出会ったのは、数ヶ月前のことだ。もともとニコラウスが手伝いのために出入りしていた孤児院で、ニーナが勉強やマナーを教える活動をするようになった。


『両親はあまり良い顔をしてないけどね。結婚前のワガママってことで、許してもらってるの』


 と、ニーナは笑っていた。その笑顔があまりにも印象的で、ニコラウスはニーナと顔を合わせる度に思い出してはドギマギしてしまう。姉の一人に言わせれば、『それが恋よ』ということらしい。


「……ねえ、ニーナ」

「ん?」

「ちょっと、相談してもいい?」

「相談?」


 言いにくそうに切り出したニコラウスに、ニーナはきょとんと首を傾げた。


「結婚の、ことなんだけど」


 急な話題に、ニーナが首を傾げる。


「どうしたのよ、急に」

「急にっていうか、ちょっと行き詰まってて」

「どういうこと?」

「兄姉に相談しても、両親に相談しても結論が出ないから……」

「ああ、それで私? 同じ時期だもんね、私とあなたの結婚」


 ニーナは数カ月後に18歳になる。彼女も、間もなく結婚しなければならないのだ。同じ悩みを抱える仲間として相談したのだと、ニーナは受け取ったらしい。


(思いを伝える……)


 ニコラウスの喉がゴクリと鳴った。この相談を口実に、伝えることができるかもしれないと思ったのだ。


「ニーナは、婚約者いるの?」


 覚悟を決めて切り出したニコラウスに、ニーナは一瞬だけ目を見開いたように見えた。だが、すぐにいつも通りの表情に戻って、軽く首を振る。


「いない。私は『婚姻統制法』で決められた人と結婚するわ」


 はっきりと言い切ったニーナに、今度はニコラウスが目を見開いた。


 貴族の男性が『婚姻統制法』に従って決められた妻を迎えることは、少数派ではあるが、それほど珍しいことではない。逆に貴族の令嬢が決められた相手のもとに嫁ぐことは、ほとんどないと言ってもいい。


「でも、相手が貴族じゃなかったら、困るんじゃない?」


 『婚姻統制法』では、貴族、平民に関わらずに相手が決められる。同じ時期に誕生日を迎える男女の名簿の中から、最も血縁が遠い者同士が選ばれる。血縁が遠い方が、健康な子供が生まれる確率が高いのだ。


「困らないわよ。決められた相手と結婚して、子供を産んで、家庭を築くの。相手が貴族だろうと平民だろうと、やることは変わらないでしょう?」

「でも、今までと同じ生活はできないだろう?」


 平民と結婚することになれば、生活はガラリと変わってしまう。彼女は貴族の令嬢として贅沢な暮らしをしてきたのだから、簡単に受け入れられることではないはずだ。


「結婚は生活のためにするものじゃないわよ」

「そうだけど」

「私の話はいいのよ。ねえ。あなたは、何を悩んでいるの?」


 机越しに身を乗り出したニーナに、ニコラウスは困ったような表情を浮かべた。


「僕の兄姉は、みんな好きな人と結婚したんだ」

「あら」

「僕の両親も愛し合って結婚したし、僕も愛されて育ったよ。幸せなことだと思う。……だけど」


 ニコラウスが手元に視線を落とすと、そこには明日孤児院を旅立つ子どもたちの名簿があった。


「その幸せは、平等なんかじゃないだろう?」


 名簿には、52名の子どもたちの名が記されている。この孤児院だけでも、毎年50名程度の子どもたちが旅立っていく。そんな孤児院が、首都だけでも10箇所以上ある。今この国には、孤児が溢れているのだ。


「そうね」


 ニコラウスの言いたいことが分かったのだろう。ニーナが深く息を吐いた。そして。




「……私ね、この孤児院の出身なの」




 突然の告白に、ニコラウスは言葉を失った。



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