最終話 臆病者の愛


 それから数日後、ティアナのもとに一通の手紙が届いた。差出人は留置所にいるダニエル・ペルシュマン。開封済みの手紙をティアナの方に差し出す公爵の表情が険しい。


「悪いが、先に読ませてもらった」

「いいえ、ありがとうございます」


 公爵が先に読んだ上でティアナの元に持ってきてくれたということは、彼女を傷つけるような言葉は書かれていなかったのだろう。むしろ感謝すべきことだ。


 公爵はティアナの向かいに一度腰掛けてから、すぐに立ち上がった。


「旦那様?」

「一人で読みたいだろう」

「いいえ。そこに居ていただけますか?」


 ティアナに懇願されて、公爵はすぐに座り直した。所在なさ気な様子の公爵に、ティアナが紅茶を淹れる。

 暖かな日差しが差し込む温室の中、ティアナと公爵の二人きり。

 ティアナと公爵が二人でいるときには、使用人たちは席を外すのが暗黙の了解になっているし、双子たちは家庭教師と一緒に街の図書館に出かけているところだ。


「……」

「……」


 二人の間に沈黙が落ちる。

 あの舞踏会以降、公爵はティアナとの間に微妙な距離を置くようになっていた。


(何か、気に障るようなことをしたかしら?)


 それを本人に問いただす勇気を持てずに、今日まできてしまった。

 本来であればティアナはすぐにでも『婚姻統制法』に従って誰かと結婚しなければならないはずだが、それについては公爵が『気にするな』と言うので、そのまま乳母の仕事を続けている。彼が裏から手を回しているのだろうが、そうであれば今の状況と辻褄が合わない。


(何を考えていらっしゃるのかしら……?)


「読まないのか?」

「あ、読みます」


 公爵のことばかりを考えていたのが気恥ずかしくて、ティアナは誤魔化すように慌てて手紙を広げた。



==========


 君に何を伝えるべきか、伝えるべきではないか、ずっと悩み続けている。このまま何も言わずに君の前から消えることが最良の選択であることもわかっている。それでも、君に伝えたいことがある。


 あの日──婚約破棄を告げた日、君が泣いていることに気づいていながら、僕は君を置き去りにした。

 当時は『カタリーナを愛しているから君が犠牲になることは仕方がないことだ』と、……自分に酔っていたんだ。今にして思えば、僕は君から逃げただけだった。


 僕には君が眩しすぎた。

 愛されて育ち、真実の愛を知る君は。

 君の前にいると全てを見透かされているようで、自分の弱さや醜さを映す鏡のようで。


 本当なら、その鏡に映った自分と向き合わなければいけなかった。僕が君に相応しい男になろうと努力さえできれば、それでよかったのに。……僕はそれをしなかった。それこそが、僕の弱さだ。


 カタリーナは、そんな僕の弱さを慰めてくれた。同じ弱さを抱える者同士、傷をなめ合っていたと言ってもいい。


 勝手な言い分だとは思うが、彼女もまた、この時代の中で傷ついた女性の一人だと思う。


 これからも、僕は彼女のために生きるよ。

 傷のなめ合いから始まった愛だけど、それでも僕は彼女を愛している。


 君にしたことを謝罪させてほしい。心から申し訳ないと思っている。

 だけど、君は僕らを許さなくていい。

 ただ、幸せになってくれ。


 さようなら。


==========



 手紙を読み終えて、ティアナはようやく晴れやかな気持ちになった。舞踏会の夜、あの縋るようなダニエルの瞳だけが気がかりだった。あれは、許しを請うためのものではない。ティアナに別れを告げようとしていたのだ。


「これから、あの二人はどうなりますか?」

「有罪になることは間違いない。罰金とペルシュマン伯爵家の領地の一部を没収のうえ、領地にて蟄居ちっきょが妥当なところだろう」

「ペルシュマン伯爵家はどうなりますか?」

「中央の社交界にはいられないだろう。カタリーナの実家も首都で商売を続けることはできないな。……どちらの家も、没落は免れないだろう」

「そうですか」


 ティアナは、ふうと息を吐いた。


「社交界からは追放されても、お二人はこれからも一緒にいられるのですね」

「……君は優しすぎる」


 言われて、ティアナは苦笑いを浮かべた。そうかもしれないとは、自分でも思っているのだ。


「こんな自分の懺悔ざんげのためだけの手紙を一方的に送りつけてきて、君の気持ちなどお構いなしだ」

「そうですね」

「だいたい、彼らには診断の捏造や襲撃事件以外にも様々な不正の容疑がかかっている。君が許すも何も関係ない」


 公爵は苛立たしげに言ってから、紅茶を一気に飲み干した。さらに一つ息を吐いて、ティアナの顔を覗き込む。


「泣かないのか?」


 公爵に問われて、ティアナはきょとんとした。


「いくら泣き虫の私でも、理由もないのに泣いたりしませんよ」

「……さよならと、書いてあっただろう」

「え?」


 無表情のまま告げた公爵に、ティアナは首を傾げた。


「愛していた男に、別れを告げられたから……」


 アイスブルーの瞳だけが、不安げに揺れている。


「私が、ダニエル様を?」

「そうだ。舞踏会の夜から、浮かない顔をしていた。……彼のことを思っていたのだろう?」


 ティアナは、ようやく公爵が勘違いをしていることに気づいた。


「確かに、切ない思いはあります。あの頃の私はダニエル様のことが大好きでしたから」

「……そうか」

「でも、今は違います」


 ティアナはテーブル越しに公爵の手にそっと触れた。



「今は、旦那様……。レオンハルト様を、心からお慕いしているので」



 公爵が目を見開いて、次いで慌てて立ち上がった。


「ティアナ……!」


 そのまま転がるようにしてティアナの前に跪き、懐から小さな箱を取り出す。


(ずっと、そこに持っていたのね)


 それなのに言い出せずにいたのだ。

 目の前に跪く愛に臆病な男を、ティアナは心から愛しいと思った。


「ティアナ・シュミット嬢」

「はい」


 公爵が小さな箱を捧げるようにティアナに差し出した。そこには、透き通るように輝くブルー・ダイヤモンドの指輪。


「愛しています。どうか、私と結婚して下さい」


 ティアナの榛色ヘーゼルの瞳から、ポロポロと涙の雫がこぼれた。


「はい」


 公爵がほっと小さく息を吐いてから、ティアナの左手を取った。そして、薬指にそっと指輪をはめる。そうしている間も、ティアナの涙は止まらなかった。


「止まらないな」


 優しく笑いながら、公爵がティアナの涙を拭ってくれる。


「嬉しくて」

「……そうか。私も嬉しい」


 公爵が優しく頬を撫でるので、ティアナはそっと目を閉じた。瞼の向こうに陰がかかる。


「あー!」

「ティアナが泣いてる!」


 遠くから聞こえた声にティアナがパチリと目を開けば、そこには苦笑いの公爵がいて。


「……今夜からは、子どもたちだけで眠らせなければ」


 小さなつぶやきに、ティアナは声を立てて笑ったのだった。





 * * *





 『婚姻統制法』が撤廃されるまでには、それから数十年の時を要した。


 王国の西部を中心に興った撤廃運動はやがて全土に広がり、『婚姻統制法』によって生まれた歪な社会構造の恩恵を受けていたはずの貴族の中にも、運動に賛同する者がいたのだ。


 その筆頭が、ユーベルヴェーク公爵である。


 彼には4人の息子と5人の娘がおり、子煩悩であったことでも知られている。そして、愛妻家であったとも。


 人類は滅亡の淵に立たされている。

 そんな時代にあっても愛を諦めなかった一人の女性が、一人の男を変えたのだ──。









==========


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

この後、番外編を投稿予定(本数、更新頻度未定)ですが、一旦ここで完結となります。

おもしろかった!と思っていただけましたら、ぜひ★評価、フォロー、応援など、よろしくお願いします!!!!

ありがとうございました!

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