第18話 今の私
「私には、恥じることなど一つもございません」
堂々と言い切ったティアナの正面で、カタリーナとダニエルが息を呑んだ。まさかティアナが反撃するとは思わなかったのだろう。
(今日も、泣いて引き下がると思ったでしょうね)
ティアナは泣き虫だ。酷い言葉を投げつけられれば傷つき、ポロポロと涙があふれるのを止められない。カタリーナに悪意を投げつけられたあの夜会でも、公爵の助けが無ければみっともなく泣いていたに違いない。
(でも、今の私は違う)
公爵が着せてくれたドレスが、今のティアナの証明なのだ。
「先程、私のことを
ティアナの問いかけに、カタリーナがニヤリと笑う。
「ええ、事実でしょう? あなたは子供を産めない、女性として役立たずの社会の底辺だわ!」
その診断は捏造だ。他でもないカタリーナとダニエルが指示をして嘘の診断を書かせたのだから、彼女は事実を知っているはず。だが今の彼女の様子からは、ティアナは不妊であり社会の底辺だと信じ込んでいるようにも見える。
そうでなければならないと、彼女は思っているのだ。
(もう、尋常ではないわね)
「だというのに公爵様に取り入って、そんなドレスを着て……! 恥を知りなさい!」
カタリーナのヒステリックな声にも、ティアナは怯まなかった。
「私が石女……不妊だからといって、あなたに役立たず呼ばわりされる謂れはございません」
「はっ! 負け惜しみ? みっともない!」
「いいえ。あなたの望み通り、私は高位貴族としてあなたの品性のなさを指摘しているのです」
「なっ!」
今度はカタリーナの顔が真っ赤に染まった。
「ゆくゆく公爵夫人になる者として、敢えて申し上げますわ」
(とりあえず、そういうことにしておいていいのですよね?)
ティアナがちらりと公爵の方を見れば、公爵が頷いた。それでいいと。
それを受けて、ティアナは改めて深く息を吸い込んだ。
「子どもが産めない、その一点だけで女性を役立たず呼ばわりすることは、人として醜い行為であると自覚しなければなりません」
「何を……」
「カタリーナさん、あなたが着ているのは『メゾン・アルマ』のドレスでしょう?」
彼女のドレスは真っ赤な布地に金の刺繍が施された豪奢なドレス。その刺繍の特徴は、ティアナのドレスを手掛けたのと同じ、『メゾン・アルマ』のもので間違いない。
「ご存知の通り、デザイナーのアルマ女史も不妊の診断を受けて労働の義務を負う方です」
これは彼女が自伝にも書いて公表している周知の事実だ。
「アルマ女史が手掛けたドレスを着ておいて、彼女のことも役立たず呼ばわりなさいますの?」
カタリーナが言葉を詰まらせる。
「人にはそれぞれ役割があって、この国ではたまたま『婚姻統制法』によってそれを振り分けられているにすぎません。持って生まれた身体は変えようがない。それでも役割を全うしようと、必死に生きているのです」
ティアナが会場を見回した。ティアナと目が合った貴族が次々と顔を伏せていく。彼らもまた、ティアナによって糾弾されている気分なのだろう。
「こんな時代でさえなければ、役立たずなどと呼ばれる人間は一人も存在しないのですよ」
会場のあちこちで拍手が起こった。同じように傷ついてきた女性が、傷ついた女性を見て心を痛めている人がいるのだ。
「っ……!」
カタリーナの肩が震えている。少し馬鹿にすれば泣いて逃げ出すはずのティアナから思わぬ反撃を受けて、言葉を失っているのだ。
「あなたの言葉が、貴族の一人として……。いいえ、一人の人間としてふさわしい言葉だと私には思えません」
とうとう、カタリーナが顔を伏せて泣き出した。その肩をダニエルが支える。
「カタリーナ、もういいだろう?」
ダニエルが懸命に宥めようとするが、カタリーナの勢いは止まらない。
「ひどいわ! ティアナさん!」
(今度は涙で同情を誘おうというの?)
まさに破れかぶれ、節操がないとはこのことだ。既に周囲の貴族たちが誰一人彼女の味方をするつもりがないことなど明らかなのに。
「ご自分が不幸だからって、こんな風に私を傷つけるだなんて!」
これには、さすがのティアナも失笑した。
「馬鹿になさらないで。私は不幸などではありません」
カタリーナがダニエルの腕を振り払った。
「うるさい! うるさい! あなたは不幸なのよ! そうでなければならないの! あなたのような、生まれた時から何もかも手にしている、幸運だけが取り柄の女が幸せになるだなんて! そんなことが許されていいはずがないわ!」
叫ぶような声に、公爵が一歩前に出た。
「それが本音か。実に、醜い」
氷のような声に、カタリーナとダニエルの身体がビクリと震えた。
「ティアナは確かに幸運だ。由緒正しい家柄に生まれ、ご両親の愛情を一身に受けて育った。労働の義務を負う今も公爵家に勤めて、何不自由ない暮らしをしているように見えるだろうな」
公爵が、そっとティアナの肩を抱いた。
「だが、彼女がその幸運に胡座をかいて何の努力もしない人間だったなら、このドレスを着ることはなかっただろう」
公爵はアイスブルーの瞳で優しくティアナを見つめて、次の瞬間には目の前の二人を睨みつけた。
「彼女にこそ相応しいと思ったから、私が着せたドレスだ。貴様らごときにとやかく言われる筋合いはない。それと……」
公爵が手を上げると、数十人の兵士が会場の中に入ってきてカタリーナとダニエルを取り囲んだ。
「な、なんですの⁉」
カタリーナが叫ぶが、兵士たちは淡々と二人に縄をかけていく。ダニエルは、すでに諦めの表情だ。
「君たちはティアナの成人前の健康診断を行った医師を買収し、嘘の診断を書かせた」
これには会場からざわめきが起こった。
「まさか!」
「それじゃあ、ティアナさんは不妊ではないということ?」
「なんということを!」
彼女を石女だと言って馬鹿にしていた貴婦人たちの顔が真っ青に染まる。
「また、1ヶ月ほど前にティアナと私の子どもたちが襲撃される事件があった」
会場に、さらに大きなざわめきが広がる。
「実行犯はカタリーナ・ペルシュマンの指示でやったと供述している」
「そんな! 違います!」
真っ青な顔で首を横に振るカタリーナの隣で、ダニエルが絶句している。彼は、襲撃事件については関与していなかったのだろう。
「診断の捏造を隠すために、ティアナに対して『首都に帰るな』と脅迫した。その際に、私の子どもたちにも精神的な苦痛を与えた」
「違います! 違います!」
「黙れ」
公爵の鋭い声に、会場が静寂に包まれた。
「『婚姻統制法』を利用して、一人の女性を不当に陥れた。さらに嘘を守るために、あろうことかユーベルヴェーク公爵家の家族に手を出したのだ。……覚悟はできているだろうな」
今度は、さざなみのように会場にざわめきが広がっていく。
「君たちが騒ぎ立てたりしなければ、こんな場所で断罪することもなかった。全て、自業自得だ」
吐き捨てるように言った公爵が軽く手を振ると、兵士たちが二人を引きずるように連行していった。
「いや! はなして! 私じゃない! 悪いのはあの女よ!」
叫び続けるカタリーナの隣で、ダニエルが縋るようにティアナを見た。
カタリーナがティアナに叱責される間も、二人が断罪される間も、何も言わなかったダニエル。彼はカタリーナを愛していたのだろう。だから、彼女に言われるがまま従った。その結果が、この状況だ。
ティアナはすぐにダニエルから視線を逸した。
(今さら、そんな目で私を見ないで……)
兵士たちが去った後は何事もなかったかのように舞踏会が再開されたが、多くの貴族は気まずさからティアナと目を合わせることもできずにいた。
それでも、ティアナの勇気を称える貴婦人もいた。心優しい人たちだ。彼女らは、改めてティアナと友人になりたいと言ってくれたのだった。
それでも、ティアナの気分は晴れなかった。名誉を回復して、彼女を陥れた人物が断罪されたというのに。
「ティアナ、誰かが不幸でなければ自分の幸せを実感できないような人間のことなど、気遣う必要はない」
公爵はそう言って慰めてくれたが、それでもティアナの胸に残ったもやもやとした気持ちは消えることはなかった。
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