第17話 アイスブルーのドレス
「完膚無きまで、といっても……。何をすればいいんでしょうか?」
「深く考える必要はない。誰もが聞いている中で、真実を語ればいい」
と、公爵は事も無げに言っていた。今日は、その舞踏会の当日だ。
この日のために公爵が
「あの、このドレスは……」
「似合っている」
「でも、私は伯爵家の令嬢に過ぎません。こんなにも長いトレーンは、まずいのではないでしょうか……」
トレーンのついたドレスの着用が許されるのは、侯爵家以上の貴婦人だけだ。法律があるわけではないが、この国の古いしきたりとして今も引き継がれている。
位が高くなればなるほど、トレーンが長くなっていく。ティアナが着ているドレスのトレーンは、公爵夫人が身につけるような長さだ。
「奴らを釣るための餌でもあるし、私の意思表示でもある。……嫌か?」
「嫌ではありませんが」
ティアナはもじもじと両手をせわしなく動かした。今夜はパフォーマンスが重要だ。このドレスを着てティアナが会場に現れるだけで、効果があると言える。しかし、ティアナと公爵は結婚したわけではないし、そもそも公爵にはっきりと求婚されてもいない。
(だけど、このドレスを着て公の場に出れば後戻りはできないし……。そもそも、私が公爵夫人だなんて……)
と、悶々と考え込んだティアナの様子に、公爵が僅かに眉を下げた。
「嫌なら、やめるか?」
「え?」
「今日のことは、君にとっても良いことだとは思うが負担でもあるだろう」
公爵は別の意味でティアナがこのドレスを嫌がっていると思ったらしい。
今夜、舞踏会の場でダニエルとカタリーナのが犯した罪を明らかにする。それは、ティアナの名誉を回復することにもなるが、同時に彼女がことの矢面に立つということでもある。それを心配しているのだ。
「それは、大丈夫です」
ティアナは言い切った。
「私も、もう決めましたから」
職業婦人として生きると決めた、あの悲痛な決心とは違う。自分の未来を切り開くために、立ち向かうと決意したのだ。
「そうか」
「はい。そのために必要なら、私はこのドレスで出席します」
「大丈夫だ。私が必ず守る」
「はい」
公爵がティアナの手を握り、ティアナもそれに応えた。
「予定通りだ。ペルシュマン夫妻は、先に到着している」
会場で二人を待っていたのは、ティアナの兄姉たちだった。
「ティアナと公爵様が仲良さそうに連れ立って登場したら、まずはカタリーナさんに大打撃よ!」
「だって、こんなに素敵で! とっても幸せそうなんだもの!」
姉たちはティアナの姿にうっとりと微笑んでいる。
「あとは、あちらが勝手に自滅してくれるさ」
「そう上手くいくでしょうか?」
「うまくいくさ。奴らは、ティアナが帰ってきていることを知らないからな」
「ティアナが帰ってきていて、しかも公爵様と仲睦まじく入場する姿を見たら……」
「相当、焦るはずだ」
「そうなると、彼らにとれる手段は、そんなに多くない」
「今日の舞踏会でティアナに大恥をかかせるくらいしか、打つ手がないはずだ」
「きっと、そのドレスのことで突っかかってくる」
兄たちはこの作戦の成功を確信している様子だ。もしもカタリーナから突っかかって来なかった場合に備えて、信頼できる友人たちに彼女を煽るようにも頼んであるらしい。
「上手くいけば、『婚姻統制法』に疑問を持つ貴族たちの意識に一石を投じることになる。頼むぞ、ティアナ!」
「ええ、がんばるわ」
ティアナの兄姉たちには、首都に戻って早々に全ての事実を話して協力を仰いだ。『どうして早く教えてくれなかったんだ』と叱られたが、全面的に協力すると約束してくれた。アデリナの運動にも。以前から、思うところがあったのだという。
「いってらっしゃい」
「何かあったら、俺達も出ていくから心配するな」
兄姉たちの激励に見送られて、ティアナは公爵のエスコートで会場に足を踏み入れた。
「ユーベルヴェーク公爵閣下、ならびにシュミット伯爵家のティアナ嬢!」
侍従が高らかに宣言すると、会場内がしんと静まり返った。
社交界では、西部の田舎に行ったまま帰ってこないティアナと子どもたちについて、様々な噂が飛び交っていた。中でも悪質なのは、『公爵様に言い寄ろうとして失敗して、田舎に追い出された。公爵様は新しい妻を迎えるので、子どもたちも一緒に田舎にやったのだ』という噂だ。
そのティアナを公爵がエスコートすることなど、誰も予想していなかったのだろう。
そして、二人が会場の中心を目指して歩き出すと、今度は波のようにざわめきが広がった。ティアナのドレスの、長いトレーンが目に入ったからだ。
「あのドレス」
「あんな長いトレーンを」
「ご結婚されたの?」
「まさか」
「だって、ティアナさんは……」
「どうやって取り入ったのかしら」
「伯爵家の令嬢ごときが」
「
口々に交わされる
「なんとも無責任な言葉だな」
「……はい」
「我慢できるか?」
「できます」
「よし。君が傷つく必要は一つもない。じきに、彼らの方が恥をかくことになる。堂々と胸を張れ」
「はい」
ささやくように言葉を交わしながら、二人は会場内をまっすぐに進んだ。ユーベルヴェーク公爵は招待客の中で最も身分が高いので、ファーストダンスを踊る必要がある。
「お待ちになって、公爵様!」
それを引き止めたのは、甲高い女性の声だった。
(釣れた……!)
カタリーナだ。その後ろから、慌てた様子のダニエルが駆けてくる。どうやら、彼の制止を振り切って出てきたらしい。
「……」
「私はダニエル・ペルシュマンの妻、カタリーナでございます」
無言のままの公爵に、カタリーナは淑女の手本のような優雅な仕草でお辞儀をした。ティアナもお辞儀を返そうとしたが、公爵がそれを押し留める。
「以前にも言ったはずだ。発言を許可した覚えはない」
公爵の威圧的な態度にカタリーナは一瞬だけ怯んだ様子を見せたが、すぐにニコリと微笑む。
「いいえ。敢えて発言させていただきます。私たち貴族の、威厳に関わることですもの」
そう言って、今度はティアナの方を見た。ネットリとした視線でティアナの頭から足の先までを睨めつけていく。
「ティアナさん、そのドレスはどういうことですの?」
「どう、といいますと?」
「おとぼけにならないで!」
今度は、ピシャリと扇子で手のひらを打った。
「伯爵家の令嬢ごときが、そのようなドレスで公式の場に出てくるなど……。到底許されることではありませんわ。ねえ、皆さん」
カタリーナの問いかけに、会場からは控えめな賛同の声が上がった。
「どうせ、あなたが公爵様にワガママをおっしゃったんでしょう? 分をわきまえるべきではなくて?」
会場内から、クスクスと笑いが起こった。これには、公爵が不快感を
「分をわきまえる、か」
「そのとおりでございます、公爵様。私は、貴族として規範となるべき方の姿勢の問題を指摘しているのですわ」
「姿勢……?」
「ティアナさんは
カタリーナが、ちらりとティアナの方を見た。
「そんなドレスで公の場に出てくるだなんて。図太いというか、厚かましいというか、貴族の面汚しと言っても言い過ぎではございませんわ」
会場のあちこちから不穏な空気が立ち上った。カタリーナの言いようは、あまりにも失礼だ。だが、一方では事実でもあり、彼女の指摘は間違っていない。
「貴様……」
公爵がカタリーナに食ってかかろうとしたのを、ティアナがその腕をぎゅっと抱いて押し留めた。
「ティアナ」
「私がお話しします」
事前の打ち合わせでは、公爵が前面に出て彼らを糾弾することになっていた。だが、ここへ来てティアナはそうすべきではないと思ったのだ。
「これは、私の問題です」
驚く公爵をティアナが見つめた。公爵は一つ頷いてから、ティアナの背をそっと触れる。公爵の掌のぬくもりに背を押されて、ティアナが一歩前に出た。カタリーナは予想外の反応に目を見張っている。
(堂々と、胸を張る……)
ティアナは、公爵に言われた通りにきゅっと胸を張った。顎を軽く引き、榛色の瞳でカタリーナをまっすぐ見据える。そして、
「私には、恥じることなど一つもございません」
よく通る声で、堂々と言い切った。
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