第16話 より良い未来


「よかったわね!」


 夕日が沈む直前に帰ってきたティアナと公爵を、笑顔のアデリナが迎えてくれた。二人の間に何があったのか、聞くまでもないということだろう。

 ティアナは顔を真赤に染めながらも、頷いた。


 その晩は、アデリナの邸宅の庭で盛大なパーティーが開かれた。農場の労働者や近隣からも住民が集まってきて、大きな焚き火を囲む。

 誰かが楽器を持ち込んで、軽快な音楽を奏でると子どもたちが踊り出す。ティアナと公爵も誘われるがまま踊った。舞踏会のダンスのような決まった型があるわけではなく、ただ手をつないで音楽に合わせて身体を揺らすだけだ。そうしていると、だんだん皆が同じステップを踏み始める。


「楽しいですね」

「ああ、そうだな」

「私、ここに来られてよかったです」

「また来よう。子どもたちも、ここの暮らしを気に入っているようだし」

「そうですね」


 ティアナは嬉しかった。公爵が子どもたちのために、またここに来ようと言ってくれたことが。





「公爵様! ティアナさん!」


 公爵とティアナが寝室に入ろうとした頃、二人はアデリナに呼び止められた。彼女はワインボトルを片手に、ブルーノに身体を支えられている。


「飲み過ぎじゃないのか?」

「いいのよ。今日は、気分がいいの!」

「そうか」

「ちょっと、話せない? 明日には帰るんでしょう?」

「わかった」


 ティアナも頷いた。双子は、今夜はアデリナの子どもたちと一緒に眠っているので、急いで寝室に入る必要がないからだ。


 アデリナに促されて、4人は居間に移動して腰を落ち着けた。


「私も同席していいのでしょうか?」


 ティアナがおずおずと尋ねると、公爵が頷いた。


「君にとっても、大事な話だ。……例の件だろう?」

「そうよ」


 アデリナはワインボトルから直接ワインを一口飲んでから、ギンと公爵の方を睨みつけた。


(アデリナさん、目が据わってる……)


 同じことを思ったのだろう、公爵も若干腰が引けている。


「お返事、聞かせてちょうだい」


 アデリナがすごむ。その様子に、公爵は一つため息を吐いてからティアナに向き合った。この場で、ティアナだけが事情が分からずに戸惑っていたからだ。


「アデリナは活動家なんだ」

「活動家?」

「西部地域の『婚姻統制法撤廃運動』を先導しているのが、彼女だ」

「え⁉」


 ティアナは驚いて声を上げてしまった。国内で起こっている『婚姻統制法撤廃運動』についてはティアナも知っている。連日、新聞を賑わせているのだから。


「『婚姻統制法』に自由恋愛の条項が追加されたのも、そもそもは『婚姻統制法撤廃運動』に起因するのよ。あれから70年、『自由恋愛』の権利を行使した女性の方がより多くの子を産んでいることが証明されているわ」


 アデリナが言った。彼女はブルーノにワインボトルを取り上げられて、仕方なく紅茶をグビグビと飲んでいる。


「こんな法律は、そもそも必要ないのよ!」


 隣に座るブルーノも頷いた。


「それに、『婚姻統制法』の下では不幸になる人があまりにも多すぎる」


 思い当たることがあるだけに、ティアナも頷いた。


「ブルーノの前の奥さんは、『自由恋愛』のおかげで私と彼が結ばれたことを喜んでくれたわ。……だけど、それが本心だったのかは今でもわからない」


 アデリナがちらりと子供部屋の方を見た。この家の一番年上の子どもは、ブルーノと前の妻との間に生まれた子ども。そして、同じ部屋には離れて暮らす二人の子も一緒に眠っている。


「子どもは父親が養育するのが当たり前よ。だけど、子供と離れることに、全く未練を持たない母親なんかいると思う?」


 これにもティアナは頷いた。


「私だって、ジークやアルと離れたことを後悔する時があるわ。私が選んだ結果なんだから、それもおかしな話なんだけどね……」


 アデリナの小さな声に、公爵がぎゅっと手を握った。思わず、ティアナもその手を握りしめる。自分で選んだことだからといって、全てを簡単に割り切れるはずがない。人間の感情は、そんなに単純なものではないのだ。


 『婚姻統制法』は、人類の存続のために必要な制度だ。だが、その陰で多くの悲劇を産んできたことは間違いない。だが、それも仕方がないことだと受け入れているのが、今のこの国の人々だ。


「今すぐにどうこうできるとは思ってないの。でもね、私は、子どもたちに選択肢を残してあげたい」

「選択肢?」

「誰にも何も強制されない、自由な人生。それが許されるからこそ、人は生を実感できるんだと思うのよ、私は」


 アデリナの言葉が、じんとティアナの胸に響いた。ティアナもまた、『婚姻統制法』によって生み出された悲劇の一人だ。子供が産めないと診断されただけで社会の底辺として扱われ、婚約者に捨てられ、労働を強制された。


「はい。私も、そう思います」


 言い切ったティアナに、アデリナが微笑んだ。


「ありがとう。特に貴族様は『婚姻統制法』の維持継続に熱心だから」

「貴族は、『婚姻統制法』には縛られないからですか?」

「それもあるけど、もし撤廃して人口が減少したら、特権階級であることを維持できなくなるからね。それだけは避けたいのよ」

「『婚姻統制法』は、人口を維持するだけでなく貴族の特権を守るための法律でもあるんですね」

「その通りよ。それでも、私たちの考えに賛同してくれる?」

「……はい。私の両親も兄姉も、同じだと思います」


 彼らの考えを聞いたわけではない。だが、ティアナと同じ気持ちだということは確信できる。子どもたちの未来のために決断できる人たちだ。


「公爵様、堅物のくせに女を見る目だけはあるのね」


 ニヤリと笑ったアデリナに、公爵がふいと視線を逸らした。その頬が、わずかに赤く染まっている。


「余計なお世話だ」

「旦那様?」


 公爵の様子にティアナが首をかしげると、公爵は一つ咳払いをした。そして、誤魔化すように言った。


「前々から、彼女に協力を要請されていたんだ」

「協力、ですか?」

「端的に言えば、資金援助だ」


 アデリナが、姿勢を正す。


「返事は?」

「イエスだ」


 公爵の端的な返事を聞いたアデリナとブルーノは、ぎゅっと拳を握りしめてから抱き合って喜びを顕にした。


「ありがとう!」

「ありがとうございます!」


 二人の目には、涙さえ滲んでいた。


「これで運動を続けられるわ」

「正直、資金繰りに困っていたんですよ」

「天下のユーベルヴェーク公爵が味方についたとなれば、百人力ね!」


 そして、二人は公爵と固い握手を交わした。


「礼ならティアナに」

「私、ですか?」


 驚くティアナに、公爵が微笑みかける。


「君が私を父親にしてくれた。だから決断できたんだ」

「私は、ただ自分の仕事をしただけで……」

「君の仕事には、それ以上の価値があった」


 どちらからともなく二人は手を握り、そして見つめ合った。


「子どもたちの未来を、より良くしたい。それが父親としての役割だと気づいたんだ」

「旦那様……」


 その様子を見ていたアデリナがゴホンと咳払いをしたので、ティアナは慌ててその手を振り払った。


「イチャつくのはいいけど、明日は早朝の汽車で帰るんだからほどほどにね」

「アデリナさん!」

「ふふふ。可愛いわね、ティアナさん」

「そうだろう」

「そこであなたが胸を張るのはどうかと思うわよ、公爵様」


 アデリナとブルーノが笑った。つられてティアナが笑う隣では、公爵が憮然としていて。ティアナも声を上げて笑ったのだった。


「……もう一つ、頼みがあるんだけど」


 笑いを収めたアデリナが神妙な表情で言うので、ティアナも居住まいを正す。


「頼みというか、これはティアナさんのためでもあると思うんだけど」

「はい」

「最低最悪の元婚約者と女狐を、公衆の面前で完膚無きまで叩きのめしてもらいたいのよ」


 『最低最悪の元婚約者と女狐』とは、つまりティアナの元婚約者であるダニエル・ペルシュマンとその妻のカタリーナのことである。


「完膚無きまで叩きのめす?」

「そうよ。あの二人は、『婚姻統制法』を利用してあなたを陥れた。その事実を、公にしてもらいたいの。しかも、劇的ドラマティックにね」


 アデリナの意図はすぐにわかった。


「そもそも『婚姻統制法』の存在が悪いのだという印象を広げたい、ということですね?」

「そのとおりよ」


 そして、アデリナが身を乗り出して言った。


「今度の舞踏会で、あの二人をコテンパンにしてやって!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る