第15話 義務のない二人
公爵がティアナと子どもたちを迎えに来たのは、その数週間後のことだった。
「お父様!」
汽車を降りた公爵に、子どもたちが駆け寄る。その勢いのまま双子を抱き上げた公爵に、子どもたちが次々と話しかけた。
「僕ね、馬に乗れるようになったんだよ」
「家に帰ったら、馬を買ってよ!」
「そうか。では、春に仔馬を買ってやろう」
「やったぁ!」
「ありがとう、お父様!」
「あとね、あとね!」
「落ち着いて話せ。時間はたっぷりある」
その様子を見ていたアデリナが目を細めた。
「すっかり、父親の顔になったわねぇ」
「ティアナのおかげだ」
公爵の言葉に、アデリナがため息を吐く。
「惚気は結構よ。ねえティアナさん、本当にこの男でいいの?」
問われたティアナは、顔を真赤にして俯いた。
「いいも何も、私の片思いだ。……邪魔をするな」
公爵が眉を寄せるのを見て、アデリナが目を見開いた。そしてティアナの顔と公爵の顔とを交互に見て、芝居がかった仕草で頭を抱え込んだ。
「頻繁に手紙のやりとりをしていたのに、まだ進展してなかったの⁉」
「アデリナさん……」
ティアナは慌ててアデリナの袖を引いたが、彼女の勢いは止まらない。誰にも明言していなかったが、ティアナの心境の変化に彼女だけは気づいているのだ。
「だったら、二人きりにならなきゃ。今すぐに!」
「え?」
「ブルーノ、馬を!」
「馬⁉」
「二人で走っていらっしゃいよ。その間に、私たちはパーティーの準備をしておくから」
「パーティーですか?」
「ティアナさんとジークとアルの、お別れ会をしなくちゃ」
「でも……」
「ほら、急がないと日が沈むわ!」
ティアナが目を白黒させている内に、ブルーノが馬を引いてきた。ご丁寧に、二人乗り用の鞍が置かれている。双子は、すでにアデリナの隣だ。
「ちゃんと留守番してるよ」
「お父様、ティアナをちゃんとエスコートしてよ」
と、子どもたちに見送られて、二人は追い立てられるように出発したのだった。
「……アデリナは、相変わらずだな」
二人乗りの馬上で公爵が言った。横向きに乗っているティアナの後ろから腕を回した公爵が手綱を握り、馬はゆっくりと進んでいる。
「以前から、ああいう感じなのですか?」
「そうだ。結婚当初から、明け透けな物言いをする女だった」
「明け透けな?」
「ああ。初夜の晩に『子どもを産んだらすぐに離婚したい。故郷に恋人がいるので』とはっきり言われて面食らった」
「それは……」
そういう考えで結婚する人も多いが、そこまではっきりと言う人は多くはないだろうとティアナは思った。
「私は、むしろ助かったよ。子どもたちのことで揉めることもなく、今でも良い友人でいてくれる」
「そうなんですね」
「……彼女に君を任せたのは、正解だったようだな」
「え?」
公爵がティアナの顔を覗き込んだ。
「顔色が良い。それに、少しふっくらしたか?」
ティアナは顔を真赤にして、ぷいと横を向いた。
「こちらの食事が美味しくて……。量を減らしてもらいます」
「その必要はない」
「でも」
「今の方が、私は好きだ」
あまりにもはっきりとした言葉に、ティアナの胸がドキドキと高鳴る。
「でも、贈っていただいたドレスが着れません」
「また新しいドレスを贈る」
「無駄遣いです」
「君を口説くために使う金なら惜しまない」
公爵の表情が和らぐ。他人から見れば、やはり無表情に見えたかもしれない。だが、ティアナには彼の表情の変化がよく分かった。
(無表情でも無感動なんかでもないわ。こんなに、優しく笑えるんだから……)
そう思ったが、口には出せなかった。
「……私を口説くとおっしゃいますけど、やっぱり帰らないと言ったらどうするんですか?」
恥ずかしさから思わず心にもないことを言ったが、公爵はそうとは気づかずに生真面目に考え込んだ。
「……それなら、口説くために君の元に通う」
「汽車で何日もかかるのに?」
「何日もかけて通う」
公爵が片手で手綱を握り直した。そして、反対の手でティアナの腰をぎゅっと抱きしめる。
「君は君の決めたように生きればいい。いずれにしても、私たちには愛し合う義務はないんだ。……こうして君を口説き続ける人生も、悪くない」
『愛し合う義務はない』
こんな時代にあって、そんな幸せなことがあるだろうか。
ティアナは、あふれる涙を抑えられなかった。
「旦那様……」
「そう呼ばれるのは、あまり好きではない」
「では、公爵様?」
「それも」
「……レオンハルト様」
改めて呼ぶと、公爵がティアナを抱く手に力をこめた。ティアナがその温もりに身体を委ねると、今度は両腕で抱きしめられる。
いつの間にか、馬は足を止めていて。
ティアナは公爵の顔をそっと仰ぎ見た。黄昏に染まり始めた空を背景に、美しい人がティアナを見つめていた。そのアイスブルーの瞳の奥にほのかな熱を見つけて、ティアナの胸がきゅっと締め付けられる。
(嬉しい)
その瞳が自分を見つめていることに、心の底から喜びがあふれてくる。
「ティアナ」
長い指が、ティアナの頬を優しく撫でる。
それに応えるように、ティアナはゆっくりと瞼を閉じたのだった
* * *
「私の診断が、捏造だった……?」
帰り道に告げられたいくつかの事実に、ティアナは驚きを隠せなかった。
「では、私は不妊ではないということですか?」
「少なくとも、事前の診断では」
実際に妊娠するまでははっきりとは言えないが、少なくとも可能性がないとの診断は嘘だったということだ。
「そう、ですか」
ティアナにとっては、嬉しい事実のはずだが、それほど心動かされることはなかった。公爵と思いが通じ合った時の方が、よっぽど嬉しかったのだ。
(……だから、このお話は後回しにしてくださったのね)
それに気づいて、ティアナはまた胸が温かくなるのを感じた。
不妊でなければ、婚姻は義務だ。婚姻統制法に従って決められた誰かの元に嫁ぐか、貴族同士で結婚しなければならない。公爵の気持ちに応えることが、その選択肢の内の一つになってしまうのだ。
「ありがとうございます」
ティアナは手綱を握る公爵を見上げた。
「私の気持ちを、大事にしてくださって」
「君が教えてくれたことだ」
公爵がこともなげに言い、ティアナはまた頬を赤くした。
「それで、どうする?」
約束どおり、公爵がしたことは真相を明らかにすることまでだ。ここから先、どうするかはティアナが決めなければならない。
「このまま乳母を続けたいなら、無理に真実を明らかにする必要はない。田舎で静かに暮らすのも悪くないだろう。もちろん、全てを明らかにして彼らの罪を問うこともできる」
公爵は、ティアナのためにいくつもの選択肢を準備してくれている。
「君の思うようにすればいい」
ティアナは、これまでの出来事を思い浮かべた。
ダニエルに婚約破棄を告げられたこと。
きらびやかな場所で自分に向けられた無数の悪意。
日々成長を続ける子どもたちの笑顔。
アデリナの優しい眼差し。
公爵の腕の温もり。
それら全てが、今のティアナを形作っている。
「……私は、首都に帰ります」
ティアナの言葉に、公爵が小さく息を呑んだ。
「それは、全てを明かすということか?」
「そうです」
「いいのか?」
「はい」
ティアナはまっすぐ前を見た。
「私は、胸を張って生きていきたいです」
曲がりくねったあぜ道の向こうに、村の家々の灯がともっている。その一つ一つに家族がいて、それぞれが悩み苦しみながらも生きているのだ。
「子どもたちに恥じない生き方をしたい」
公爵がティアナの髪にそっと鼻先を埋めた。
「最高に、君らしい決断だ」
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