第14話 覆る真実


 時は少し遡る。

 ティアナの家族を招いて開いた、あの夜会での出来事だ。


「ティアナ嬢に、求婚したいと思っています」


 淡々と告げた公爵に、シュミット伯爵夫妻はポカンと口を開いて驚いていた。


「……」

「……」

「……」


 会場の中央では小さな子どもたちが楽しそうに踊っていて、楽しげな音楽が響き続けている。しかし、三人の間には時が止まったかのような沈黙だけが漂った。


「お許しいただけますか?」


 公爵の問いかけに、最初に我に返ったのは伯爵だった。


「え、あ、こ、公爵様が、ティアナに、きゅ、求婚ですか……?」


 しどろもどろに問いかけた伯爵に、


「はい」


 と、公爵はやはり淡々と答えた。彼の感情が全く見えてこないので、伯爵夫妻は混乱するばかりだ。その様子を見た公爵がさっと手を挙げると、すぐに水のグラスが運ばれてきた。


「これは、どうも」


 伯爵は一気に水を飲み干し、夫人もそれに倣う。


「ご存知とは思いますが、我がシュミット伯爵家は伝統があるだけの、たいしたことのない家柄です。公爵家との婚姻など……」

「ご謙遜を。建国から続く立派なお家柄ではありませんか」

「いや、まあ、そうなんですが。それしか取り柄のない家ですぞ?」


 伯爵の言葉に、公爵は首を横に振った。


「家は関係ありません。私が、ティアナ嬢と結婚したいのです」


 淡々と、だが力強く言い切った公爵に、今度は伯爵夫人が尋ねた。


「理由をお伺いしても?」

「彼女を愛しているからです」


 公爵がきっぱりと言い切ると、伯爵夫人の目に涙が滲んだ。その涙を伯爵がハンカチで優しく拭う。


(……このお二人が、彼女を育てたのか)


 公爵は、改めて二人に向き直った。


「どうか、お許しください」

「もちろん」


 伯爵が頷いた。そして、


「ティアナを、どうかよろしくお願いいたします」


 伯爵夫人の震える声に、公爵はしかと頷いた。


「……ですが、ティアナは素直に『はい』とは言わんでしょうな」

「そうですね」


 伯爵夫妻が苦笑いを浮かべ、つられて公爵も眉を下げた。


「最近のあの子は、必要以上に自分を追い詰めているようで、見ていて辛い」


 それは、公爵にも分かっていた。公爵の目には、ティアナはこうあるべきだという理想に自分を押し込めようと必死になっているように見える。


「ダニエル・ペルシュマンとの婚約は、あの子の幸せを願ってのことだったが……。結果として、心に深い傷を負わせてしまった。あの子は、再び傷つくことを恐れているのでしょう」


 伯爵の言う通りだと、公爵は頷いた。本来であれば、もっと伸び伸びとした人柄であるはずのティアナは、自分の心を守るために頑なにならざるを得なかったのだろう。


「ですが……」


 公爵は子どもたちの方へ視線を巡らせた。そこには、数ヶ月前には想像もできなかったほど楽しそうに笑う双子がいて。優しく微笑むティアナが、彼らを見守っている。


「ティアナは、子どもたちのあるがままを受け入れてくれました。私も、子どもたちも、彼女に救われた……」


 公爵がつぶやくように言うと、ふとティアナと目が合った。


「私も彼女に受け入れてもらいたいし、彼女を受け入れたいのです」


 公爵が何を言ったのか、ティアナには伝わらなかっただろうが、すぐにプイッと視線を逸らしてしまった。そんな様子に、公爵のアイスブルーの瞳が柔らかく細められた。それはまるで、彼女との無言のやりとりを楽しんでいるかのようで。


 その表情の変化を見ていた伯爵夫妻は、何か見てはいけないものを見てしまった気分になって、そわそわと身体を揺らしたのだった。



 * * *



 『ティアナの気持ちを尊重する』と固い約束を交わした公爵は、あの手この手でティアナを口説こうとした。だが、なかなか彼女の心を解すことができず、空気を変えようと計画した旅行で例の事件が起こったのだ。


「旦那様」


 書斎で眉間にシワを寄せて考え込んでいた公爵のもとに、モーリッツがやってきた。彼は襲撃を受けて怪我を負ったが、すでに包帯も取れている。


「新しい調査報告です」


 一枚目の書類には、一人の医師の氏名に写真、現在の住まい、家族について……、あらゆる情報が記載されていた。二枚目の書類にはティアナの診断の結果と医師のサイン。三枚目の書類は、尋問官の記録だ。


「今は?」

「拘束して、別荘の地下に繋いであります」

「間違っても、自害などさせるなよ」

「はい」


 公爵がドカリと音を立てて椅子に座り込むと、すかさずモーリッツが紅茶を淹れはじめた。二人とも表情を険しくして考え込んでいる。


「これで、証拠が全て出揃ったことになるな」

「はい」


 公爵の問いかけに、モーリッツが答えた。公爵は、改めて手元の書類を見た。二枚目の診断書は、くだんの医師に改めて書かせた正しい診断書だ。



「ティアナの不妊の診断は、捏造だった」



 それは予想の範疇ではあったが、そうであってほしくはない事実だった。ティアナにとって、あまりにも酷な仕打ちだ。


「金を積んで医師に指示を出したのは、ダニエル・ペルシュマンと、その妻カタリーナ」


 今日の報告書で、その事実が明確になった。


「ティアナが私と結婚するようなことになれば、それが明るみに出る。それを恐れて、ティアナを首都から遠ざけようとした」


 それが襲撃の真相だ。襲撃犯は既に捕えられ、彼らの口から『カタリーナ・ペルシュマンからの依頼だった』との証言を得ている。また、襲撃犯と彼女がやりとりをした文書も入手済みであり、物的な証拠も十分だ。


「そして、これだ」


 公爵がげんなりと視線を送った先には、手紙の山。内容は全て、公爵の縁談に関することだ。


「ペルシュマン伯爵家は、カタリーナ夫人の実家に相当な便宜を図っているようですね。ここ数ヶ月で、不動産の売買で成功しています。今さら二人の婚姻が破綻するようなことがあれば、大打撃なのでしょう」


 だから、ティアナを遠ざけている内に、あちこちに手を回して公爵に新たな妻をあてがおうとしているのだ。


「そちらも調べてくれ」

「手配済みです。すでに、いくつか不正の証拠が手に入りました」


 モーリッツは執事だ。主人の先回りをして快適な暮らしを支えるのが仕事とはいえ、これはあまりにも抜かりがなさすぎる。


「らしくないな、モーリッツ」

「そうでしょうか?」


 モーリッツが、公爵のカップに紅茶のおかわりを注ぐ。


「……これでも感謝しているのですよ」

「感謝?」

「彼らが馬鹿なことをしでかしてくれたおかげで、この家にティアナ様が来てくださいました」


 これには、思わず公爵も頷いた。


「だからこそ、許せないのですよ」

「だからこそ、か」

「ええ。ティアナ様は、こんな酷い仕打ちを受けて、それでも強く生きようとなさいました。本当に、素晴らしい方です。そのティアナ様の暮らしを脅かそうとしたのですから、彼らは決して許されるべきではありません」

「その通りだ」


 公爵はぐいっと紅茶を飲み干してから、立ち上がった。


「調査を急いでくれ」

「かしこまりました」





 そんな公爵のもとにティアナからの手紙が届いたのは、その日の夕方のことだった。子どもたちの様子やアデリナとその家族のこと、警備の兵士たちのことが長々と綴られた手紙の最後には、こんな言葉が添えられていた。


『旦那様にお会いできないので、寂しいです』


 その一文を、公爵は何度も何度も読み返した。


(何かが、彼女の気持ちを変えたのか……)


 それは、あの朗らかに笑う女性だろうとすぐに分かった。愛し合うことはなかったが、今では良き友人である女性だ。


(気が合うだろうとは思ったが……)


 公爵は少しばかり悔しい気持ちになったが、それよりも喜びが勝った。

 すぐに手紙の返事を書き始める。書き出しは、こうだ。


『私も、今すぐ君に会いたい』

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