第13話 ハッピーエンドの、その先


 ユーベルヴェーク公爵の前妻であり双子の母親であるアデリナは、西部に小さな領地を持つ子爵家の娘だった。『婚姻統制法』により公爵家に嫁いで、早々に二人の子を出産。そして『自由恋愛』の権利を得た彼女は、その3ヶ月後には公爵と離婚して故郷に帰った。


 恋人がいたのだ。


 彼の名はブルーノ。アデリナの実家の領地に住む農夫の息子だった。彼もまた、『婚姻統制法』によってアデリナとは別の女性と結婚し、一人の子をもうけていた。


 アデリナは故郷に帰って、まっすぐにブルーノを訪ねた。


『私と結婚して下さい』


 農場の真ん中で旅装のままで求婚したアデリナに、ブルーノは一瞬の迷いもなく答えた。


『はい』


 と。

 ブルーノの妻をはじめとする周囲の人々は二人を祝福し、その日の内に結婚を祝う宴が開かれた。ブルーノの妻は新しい夫の元へ嫁ぎ、一人いた子どもはブルーノの元に残った。その後、アデリナは3人の子を産んでいる。


 この時代に、よく聞くハッピーエンドである。



 ティアナは期せずして、ハッピーエンドのその先を知ることになった。




 * * *




「賑やかでごめんなさいね」


 アデリナとブルーノの住まいは、広いが素朴な作りだった。首都のきらびやかな屋敷を見慣れているティアナにとっては新鮮な空間。その中を、子どもたちが駆け回っている。


「いいえ。とても素敵なお家ですね」


 ティアナは心からそう思った。温かい雰囲気の、過ごしやすい家だ。


「そう言ってもらえると嬉しい。ティアナさんと二人のお部屋は、2階に準備したわ。本当に三人一緒の部屋でいいの?」

「ええ。あちらでも、いつも三人で寝ていましたから」


 ティアナが言うと、アデリナが目を見張った。


「その子達が一緒に眠るほど、乳母に懐く日が来るとは思わなかったわ」


 これには、子どもたちが顔をしかめる。


「だって、前の乳母はみんな嫌いだったもん」

「あれやれこれやれってうるさいし」

「すぐ叱るし」


 三人で過ごす部屋に到着すると、子どもたちは自分の手で荷解きを始めた。『あちらの家では自分のことは自分でしなければならない』と、ティアナが言い聞かせていたのを覚えていたようだ。ティアナも手伝って、カバンの中身をチェストにしまっていく。


「あら。ティアナさんは違うの?」


 双子の様子をまじまじと見ながら、アデリナが尋ねた。


「ぜんぜん違うよ!」

「な!」

「ティアナは僕らの話をちゃんと聞いてくれるし」

「絵本も読んでくれる」

「ピアノもひいてくれるし」

「何でも教えてくれるよな」

「それに優しいもん!」


 アデリナが面白そうに笑った。


「じゃあ、ティアナさんが優しくなかったら? 好きじゃない?」


 これには、双子が首を傾げた。


「優しくないときだって、たまにはあるけど」

「ティアナに叱られるのは嫌じゃないよ」


 淡々と告げる子どもたちに、アデリナはとうとう声を立てて笑い出した。


「はははは! 二人は、ティアナさんのことが大好きなんだね」

「うん!」

「お父様もティアナのことが好きなんだよ!」


 アルノルトの言葉に、今度はティアナがぎょっとした。


「そうなの?」

「うん! でも、ドレスも宝石も効果がないって言ってた」

「今度は新しいパティシエを雇うんだって」

「アル!」

「あ、これ内緒なんだった!」


 二人はしまったと顔を歪めてから、そろりとティアナの顔を覗き込んだ。


「……新しいパティシエさん、楽しみですね。お二人から聞いたことは、旦那様には言いませんよ」


 ティアナが言うと、二人はほっと息を吐いた。

 その様子を見ていたアデリナが、また声を立てて笑ったのだった。





 警備の兵士たちが邪魔になるのではないかと心配したが、アデリナから『どうせなら、手伝って』と提案を受けて、全員が農夫の格好をして農作業を手伝いながら警備にあたることになった。


「ここは田舎だからね、余所者が来たら目立つわよ。襲われるような心配は、首都にいるよりずっと少ないから安心して!」


 と、アデリナは笑った。

 村人たちにも事情を話してくれて、絶対に子どもたちやティアナから目を離さないように気を配ってくれた。

 お陰で、ティアナたちは穏やかな日々を過ごすことができた。


 子どもたちは、最初こそティアナにベッタリとくっついていたが、それは数日間のことだった。すぐにアデリナの子どもたちや村の子どもたちと打ち解けて、誘われるままにあっちへこっちへと遊び回った。また、午前中は村の子供達と一緒に学校に通うようにもなった。


 一方のティアナは日中を一人で過ごすことが増えるにつれて、一人悶々と考え込むようになった。頭の中に浮かぶのは、公爵のことばかりだ。





「行き詰まってるわね」


 そんなティアナに声をかけてくれたのは、やはりアデリナだ。

 屋敷のテラスでボーッと考え込んでいたティアナに、温かい紅茶を持ってきてくれたのだ。反対の手には焼き立てのスコーン。『子どもたちには内緒よ』と笑って、たっぷりと蜂蜜をかけてくれる。


「……寂しい?」


 蜂蜜を垂らさないように慎重な手付きでスコーンにかぶりついたアデリナが尋ねた。


「ちょっとだけ」


 ティアナもアデリナに倣ってスコーンをかじる。こんな風に食べるのは初めてのことで、胸がどきどきした。


「子どもの成長って、たまに驚かされるわよね」

「はい。でも、嬉しいです。こんな風に自由に駆け回るお二人を見られて」


 二人の視線の先では、馬場で乗馬を習う子どもたちが見える。2人とも、楽しそうだ。


「そうね。年に1回くらい、公爵様の屋敷を訪ねていたけど、子どもたちのこんな様子は初めて見るわ。もっと早くに、こっちに遊びに来るように誘えばよかったわね」

「まだ5歳ですから。ようやく遠出できる年齢になったところですよ」

「それもそうね」


 話しながら、アデリナは二つ目のスコーンに蜂蜜を垂らした。


「ところで、ティアナさん」

「はい、なんですか?」


 アデリナがスコーンを片手に、ずいと身体を乗り出した。


「公爵様とは実際のところ、どうなの?」


(聞かれるとは思っていたけど……)


 ティアナは苦笑いを浮かべるしかない。彼女は、公爵とティアナの関係に興味津々のようだ。


「どう、と言っても……」


 言葉を濁したティアナの前に、アデリナが新しいスコーンを差し出して、残っていた蜂蜜を全てかけてしまう。手で持つ場所がないほど、たっぷりと蜂蜜をまとったスコーンを見て、ティアナはまた苦笑いを浮かべた。


「公爵様ね、くれぐれもよろしく頼むって、手紙を寄越してきたのよ。あなたの好みや性格、注意事項が長々と書いてあって。子どもたちのことは『ティアナに聞いてくれ』としか書いてなかったから、ちょっと呆れたわ」


 ティアナについて長々と手紙に綴っている公爵の姿を想像して、ティアナの頬が熱くなる。


「それに、あなたが首都に戻るのが嫌だと言ったら、子どもたちと一緒に西部こちらで暮らせるようにしてやってほしいって」


 意外な言葉に、ティアナは驚いて言葉も出なかった。


「恐ろしい思いをしたんでしょう? 恐いなら無理に帰ってくる必要はない。あなたの意思を尊重したいって、書いてあったのよ。……愛されてるのね」


 アデリナが優しく微笑む。


「……あなたは?」


 問われて、ティアナは何と答えていいのかわからずに眉を下げた。その様子にアデリナが笑みを深くする。


「話してしまいなさいよ。私しか聞いてないわ」

「でも……」

「じゃあ、こうしましょう」


 そう言ってアデリナが取り出したのは、ウィスキーの瓶だった。


「こんな昼間から……?」

「いいのいいの。今日は休暇よ」


 アデリナはカップに残っていた紅茶を一気に飲み干し、そこにウィスキーを注いで、それも一気に呷ってしまった。二杯目を注いで、ドンと音を立ててテーブルに瓶を置く。その目が、ほんの少しトロンとしている。


「私は酔うと忘れるタイプよ!」


 朗らかに笑ったアデリナに、ティアナは肩の力が抜けるのを感じた。



「……旦那様に考えてくれと言われて、本当は嬉しかったんです」



 自然に、ティアナの口から言葉がこぼれた。


(この人になら、話しても大丈夫)


 そう、確信できたからだ。


(この人は、本物の母親なんだわ)


 ハッピーエンドで終わらなかった。その先で、彼女は本物の母親になった。夫と子どもたちを愛する、本物の母親だ。愛することを知っているが故に、全てを包み込むような優しさを出会ったばかりのティアナにさえ向けてくれる。


「でも、旦那様の言う愛は男女のそれではなくて母親の愛情かもしれないって、思って」

「うん」

「それに、また裏切られるかもって……」

「あの最低最悪の元婚約者ね。一度裏切られると、それが別人だって分かっていても怖くなるわよね」

「それに、結局結婚してしまうなら、私の決意はなんだったんだろうって」

「決意?」

「職業婦人として生きていくって……。一人で生きていくって決めたのに」

「そっか。結婚っていう結末を選んだら、自分が自分じゃなくなるような気がするのね?」

「……はい」


 一気に吐き出したティアナの肩をアデリナが優しく撫でた。


「辛かったね」


 その一言に、ティアナの瞳から涙が溢れ出した。


(私は、辛かったんだ……)


 不妊だと告げられたことも、それを嘲笑われたことも。それら全てが見えない鎖になってティアナをがんじがらめにして、公爵の気持ちに応えられないことも。


(それを、誰かに分かってもらいたかった……!)


「いっぱい泣きな」


 今度はぎゅっと抱きしめられて、ティアナはその胸にすがりついた。


「枯れるまで泣いて、泣いて、泣いて。明日のことなんか気にしなくて大丈夫だよ。今はただ、泣けばいい」


 アデリナの優しい声と背を撫でるてのひらの温もりに、ティアナはその身を預けて。


 声を上げて泣いた。

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