第12話 いつまでも子どもじゃない
その夜は、山小屋に泊まることになった。山小屋から屋敷までは緩やかとはいえ山道、夜間の移動は危険だからだ。
屋根裏の寝室で子どもたちを寝かしつけようとしたが、子どもたちは火の側から離れるのを嫌がった。二人はティアナにしがみつくようにして、暖炉の前に敷いたブランケットに包まれて眠っている。
「少し話そう」
子どもたちが寝静まった頃、公爵がティアナに声をかけた。
「このままでも?」
「それがいいだろう」
公爵は小さな声で返事をしてから、音を立てないように気をつけてティアナの隣に座り込んだ。その手にはホットワインのグラスが2つ。ティアナは差し出されたグラスをありがたく受け取った。
「怪我がなくてよかった」
「はい。お二人とも、お身体の方は問題ありません」
「……そうだな」
「問題は心の傷です。恐い思いをさせてしまいました」
ティアナは、改めて公爵に向き直った。
「申し訳ございません」
「なぜ君が謝る」
「私のせいで、お二人を……」
「馬鹿なことを言うな」
公爵がティアナの言葉を遮り、
「君のせいなどではない」
公爵の眉が、わずかに下がって見える。ティアナを責めるつもりはないようだ。それでもティアナは納得できなかった。
「私がお二人を巻き込んでしまいました。それに、モーリッツさんたちも」
襲撃された執事や兵たちには、骨折などの重傷を負った者はいたが、幸いなことに死人は出なかった。襲撃者たちは、やはり脅迫だけが目的だったのだ。ティアナたちの居場所を公爵に知らせてきた人物も、すぐに行方がわからなくなっている。彼らの一員だったのだろう。
(私のせいで……)
ティアナは無意識の内にキュッと唇を噛んでいた。その様子を見た公爵が眉を寄せる。
「ティアナ」
公爵がティアナの手に触れた。ホットワインのグラスを優しく取り上げられて、両手をしっかりと握られる。
「君は何一つ悪くない。いいな」
「けれど」
「君も被害者だ」
言い切った公爵に、ティアナはそれでも首を横に振った。
「いいえ。私のせいです」
言い切ってから、ティアナもぎゅっと公爵の手を握り返した。
「……旦那様、お願いがございます」
「ダメだ」
肝心の内容を言う前に、公爵がぴしゃりと言い放った。ティアナが何を言おうとしているのか、彼には分かっているのだ。
「旦那様」
ティアナは懇願するように公爵の顔を見上げた。下から顔を覗き込まれる格好になった公爵の眉間に、さらに深いしわが寄る。
「休職も退職も認めない」
「ですが、このままでは坊ちゃまたちが」
「問題ない。警備を強化する」
「ですが」
「ティアナ」
公爵が、もう一度ティアナの名を呼んだ。ティアナの肩がビクリと震える。
「子どもたち自身が、君が離れていくことを望むと思うか?」
「それは」
「子どもたちから離れて、君の安全が確保されるならそれでもいいだろう。だが、事はそんなに単純でもない。分かるな?」
「……はい」
ティアナはしゅんと肩を落とした。公爵の言うとおりだ。ティアナが子どもたちと距離を置いたからといって解決する問題ではない。
「心当たりは?」
「……」
ティアナはある二人の人物を思い浮かべはしたが、その名を口にすることはしなかった。
(確証がないわ)
公爵の方も、『心当たり』については尋ねるまでもなかったのだろう。一つ、ため息を吐いた。
「わかった。私の方で調べる」
「旦那様が?」
「そうだ」
「でも……」
ただの乳母のために、公爵ともあろう人がそこまでする必要はないと言外に伝えようとしたが、それには苦笑いが返ってきた。
「大切な
『大切な
「……い、今さら新しい乳母を探すのは大変ですしね」
ティアナは誤魔化すように言って、顔を伏せた。公爵の肩が僅かに揺れるのが見えて、ティアナの顔がさらに赤くなる。
「……『勘違い』は、傷ついた」
「それは、その……」
「だが、君の言うとおりだろうな」
「え?」
公爵がティアナの手を優しく撫でた。今夜は振り払うようなことはできない。そんなことをすれば、ティアナにくっついて眠っている子どもたちが目を覚ましてしまうから。
「私は、君の母性のようなものに惹かれたのだと思う」
公爵の声が縋るような色をしているのに気づいて、ティアナはハッと顔を上げた。そこには、目を細めてティアナを見つめる公爵がいて。
「だが、今は」
今度は大きな手がティアナの頬を撫でる。
「男として君を守りたいと思っている。それに、君を抱きしめたい。それ以上も……」
「ちょ、ちょ、ちょっと!」
ティアナは思わず大きな声を上げてしまった。子どもたちがわずかに身じろぎをする。慌ててその顔を覗き込むと、すぐに深い寝息を立て始めたので、ティアナはホッと息を吐いた。
「坊ちゃまたちの前ですよ!」
「子どもたちの前でなければいいのか?」
「旦那様!」
声を荒げたティアナに、公爵は喉の奥を鳴らして楽しそうに笑ったのだった。
* * *
その2日後、ティアナは子どもたちと共にさらに西の地域に旅立つことになった。子どもたちの母親のところで、しばらく過ごすことになったのだ。
「ちょうど、一度は旅行させようと思っていたところだ。しばらく、ゆっくりしてくるといい。その間に、襲撃の首謀者とその狙いを調べる」
ということだ。
ティアナは迷ったが、結局この提案を受け入れることにした。公爵の手を煩わせることにはなるが、他に良い案が浮かばなかったのだ。両親を心配させたくないという理由もあった。
「何か分かったら、私に知らせていただけますか?」
「必ず、そうしよう。私がすることは、真相を調べることまでだ。それからどうするかは、君が決めればいい」
「ありがとうございます」
「警備の兵もつけるが、気をつけるように」
「はい。坊ちゃまたちに危険が及ばないように、きちんと目を配ります」
ティアナは胸を張って言ったが、これには、公爵も子どもたちもため息を吐いた。
「それじゃあ、あべこべだよ」
言ったのは、ジークハルトだ。
「僕らが、ティアナを守るんだよ!」
今度はアルノルト。公爵は二人の言葉に深く頷いている。
「二人とも、頼むぞ」
「任せて!」
その様子に、ティアナは首を傾げた。
「お二人をお守りするのは、私の役目で……」
「ティアナ、僕たちは男だよ?」
「いつまでも子どもじゃないんだよ!」
そう言って胸を叩いた子どもたちに手を引かれて、ティアナは西へ向けて旅立ったのだった。
* * *
汽車が西部の駅に到着すると、すぐに子どもたちが歓声を上げた。
「お母様だ!」
双子が指差す方を見れば、日に焼けた肌で大きな口を開いて朗らかに笑う女性がいた。ホームで汽車が到着するのを待っていたらしい。双子の姿を認めて、一目散に駆けてくる。
「ジークハルト! アルノルト!」
双子も同じように母親に駆け寄って、そのまま抱きつくのかと思ったが、そうはしなかった。母親の前に立ち止まって、きちんと足を揃えて立って、
「お久しぶりです、お母様」
「ご機嫌いかがでしょうか?」
と、きちんと挨拶をしたのだ。女性は驚いた表情をしてから、すぐにニッコリと微笑んだ。そして、双子と同じようにスカートをつまんで淑やかにお辞儀をした。
「お久しぶりです、ジークハルト様、アルノルト様」
同じように、女性はティアナにもお辞儀をした。ティアナもきちんと挨拶を返す。
「子どもたちの母親のアデリナです」
「乳母のティアナでございます」
「お手紙では何度かお話したけど、想像したよりも華奢なお嬢様ね」
「華奢、ですか?」
「ええ。この、やんちゃ坊主共を手懐けたんだから、もっと、こう、……ふっくらとした感じを想像していたわ!」
これには、思わず吹き出した。
「ふふふ。そうですか?」
「……素敵ね」
「え?」
「笑った顔が、とっても素敵だわ」
アデリナがニコリと笑った。そして、慈しむように子どもたちの頭を撫でて。
「あなたに会えて嬉しい。ゆっくりしていってね」
「お世話になります」
こうして、ティアナと双子たちの田舎の農村での生活が始まったのだった。
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