第11話 薄暗い森の中
「見て、ティアナ!」
「きれいだね!」
「山が燃えてるみたいだ!」
季節は秋。
ティアナと子どもたち、そして公爵の一行は、公爵家の領地に来ていた。首都から汽車で西へ半日ほど。滞在3日目の今日は、夜明け前に屋敷を出発して馬車に揺られている。
「きれいな紅葉ですね」
「すごいね」
「きれいだね」
子どもたちも領地に赴くのは初めてのことで、馬車の窓から覗く景色に大はしゃぎだ。
「……君も初めてだろう?」
ティアナの向かいで腕を組んで黙り込んでいた公爵が不意に尋ねた。
「……はい」
ティアナは表情を引き締めてから、短く答える。シュミット伯爵も田舎に小さな領地を持ってはいるが、現地の管理人に任せきり。ティアナも首都から外に出るのは、これが初めて。
だが、ティアナは返事以上のことは何も言わなかった。
温室での一件以降、公爵と必要以上の会話を交わさないように細心の注意を払っているのだ。
(気付かれては、いけないから……)
「……」
「……」
公爵とティアナの間に沈黙が落ちた。子どもたちは相変わらず座席の上に乗り上げて窓の外を見てはしゃいでいる。
「ティアナ……」
「間もなく到着です」
何かを言いかけた公爵を遮ったのは、外から聞こえた従者の声だった。ティアナはこれ幸いとばかりに、子どもたちに声をかける。
「さあ、到着ですよ。靴を履きましょうね。今日はたくさん歩きますから、紐をしっかり結びましょう」
「はーい」
子どもたちに靴を履かせて紐をしっかりと引き締め、身支度を整えている間に馬車は目的地に到着した。山の中腹に建てられた山小屋だ。
ここから公爵は狩りへ、子どもたちとティアナは山の散策に出かけることになっている。
「あまり遠くへ行かないように」
「わかっています」
「何かあれば、すぐに知らせろ」
「はい」
ティアナと短いやりとりをして、公爵は早々に数人の従者と狩人を伴って森の奥へ入って行った。その様子を見ていたモーリッツが、可笑しそうに笑っている。
「どうしたんですか?」
「いや、旦那様がお可愛らしくて」
「可愛らしい?」
首を傾げたティアナに、モーリッツが微笑む。
「本当は狩りなどせずに、ティアナ様や坊ちゃまたちとお過ごしになりたいのでしょう」
公爵の領地では、年に一度の狩りが領主の義務だ。秋の初めに獲物を狩り、その年の実りを占うとともに豊穣を祈る神事なのだとか。昨年までは公爵一人で領地に出かけていたが、今年は子どもたちが同行したがったので、皆で一緒に旅行を兼ねてやって来たのだ。
「アル、行くぞ」
「うん。ジーク、虫かごの準備は?」
「完璧だ。虫取り網は?」
「バッチリだ!」
「ノートは?」
「ポケットに入れた!」
「よし、行くぞ!」
狩りを行う山で、昆虫採集をしたいと言い出したのだ。また、従者たちには昆虫図鑑だけでなく植物図鑑も持たせている。事前に家庭教師から採集の方法や観察のコツを聞き、それらをしっかりノートにメモしてきた。
「ティアナ、行くよ!」
「はい」
子どもたちは、すっかり植物や昆虫などの生き物の観察に夢中なのだ。公爵は驚きつつも、それを喜んでいるようにも見える。今回の旅行でも、彼らのために領地のあちこちを回る計画を立ててくれた。
「片時も離れたくないのでしょう」
「ええ。最近の旦那様は、坊ちゃまたちとお過ごしになる時間を大切にされていますからね」
ティアナは思わず早口でまくし立てた。その様子に、モーリッツがさらに笑みを深くする。
「そうですね」
何か言いたげな彼の視線から逃れるように、ティアナは子どもたちを追いかけたのだった。
* * *
異変が起こったのは、その数時間後のことだった。
「あちらに、めずらしい昆虫が集まる木があるのです。行ってみますか?」
「行く!」
ティアナたちの散策を先導していた地元の青年の案内で、少しばかり奥まった場所へ入ることになった。
「さあ、こちらです」
青年と子どもたちが、先へ先へと進んでいく。
「お待ち下さい!」
子どもたちと青年の足が速いので、ティアナと従者たちとの距離が徐々に開いてく。
「ティアナはそこで待っててよ!」
「いけません! 止まってください!」
「大丈夫だよ!」
嫌な予感がして、ティアナは必死に子どもたちを引き留めようとしたが、その声がどんどん遠くなる。そしてついに、双子の姿が見えなくなった。
その時だ。
「うわぁ!」
ティアナの後ろから叫び声が聞こえた。慌てて振り返ると、モーリッツが黒尽くめの男に襲われていた。
「モーリッツさん!」
「坊ちゃまたちを!」
倒れざまにモーリッツが叫ぶ。さらに数人の黒尽くめの男たちが現れて、従者たちに次々と襲いかかった。ティアナは震える足を叱責して、駆け出した。
「ジークハルト坊ちゃま! アルノルト坊ちゃま!」
何度呼んでも返事がない。
「そんな!」
転がるようにして森の中を駆けた。後ろからは、ティアナを追いかける誰かの足音が迫る。
「坊ちゃま! 坊ちゃま!」
逃げながら、とにかく叫んだ。早く二人の安全を確保しなければ。ティアナは、その一心だった。
「……アナ……!」
遠くから、アルノルトの声が聞こえた。
「ティアナ……!」
今度はジークハルトの声。
「坊ちゃま! そこを動かないで!」
ティアナは、その声を頼りに必死に森を進んだ。
「ティアナ!」
「ティアナぁ!」
「すぐに、そちらに行きますから!」
不気味な気配がティアナを追いかけてくる。それでもティアナは必死に足を動かし続けた。
「ティアナ!」
果たして、二人は薄暗い森の中、大きな岩の陰で肩を寄せ合っていた。
「坊ちゃま!」
「ティアナ!」
二人の顔が涙で濡れていて、ティアナは駆けてきた勢いのままで二人を抱きしめた。
「お怪我はありませんか?」
「大丈夫だよ」
「案内役の彼は?」
「ここで動かずに待ってろって……」
状況から見て、案内役の青年はモーリッツや従者に襲いかかった黒尽くめの男たちの仲間、ということで間違いない。
ティアナの背後から、足音が迫る。
「ティアナ……?」
「ねえ、何があったの?」
ティアナは、子どもたちの手をぎゅっと握りしめた。後ろからは暴漢、目の前には薄暗い森。どちらに進むべきか決められない。
「……お嬢ちゃん、そう怯えるなよ」
森の奥から、しわがれた声が聞こえてきた。
「どちら様ですか?」
「お貴族様に名乗るような名は持っちゃいねえ」
「では、何が目的ですか?」
周囲を見回してみても、声の主の姿は見えない。代わりに、ざわざわと不気味な気配だけが漂ってくる。子どもたちが、ティアナのスカートにぎゅっとしがみついた。その肩がガクガクと震えている。
(もしものときは、この身を盾にしてでも守らなければ)
そう決意をして、改めて声のする方を睨みつけた。木陰の向こうの気配がざわりとうごめく。
「首都には帰るな」
「え?」
思わぬ言葉に、ティアナは声を上げた。
「帰れば、今度こそ殺す」
「殺、す……?」
「お嬢ちゃんじゃないぞ、その坊ちゃまたちを、生きたまま引き裂いてやる」
ティアナの背筋を、ぞわりと悪寒が走った。
「どうして……」
「忠告はしたぞ。……首都には帰るな」
それが、最後の一言だった。暴漢たちの気配が森の奥へと消えていく。
ティアナはすっかり足の力をなくして、ペタリとその場に座り込んだ。
「ティアナ!」
「大丈夫?」
「怪我したの?」
そんなティアナの顔を子どもたちが覗き込む。ティアナの顔は、真っ青だった。
「大丈夫ですよ」
「でも……」
「さあ、ここに座って」
ティアナは双子を膝の上に座らせて、その身体をぎゅっと抱きしめた。
「このまま、ここで待っていましょう」
「戻らなくていいの?」
「道がわかりませんから。こういう時は、動かないほうがいいんですよ」
「ん」
「わかった」
「じきに、旦那様が探しに来てくれますから」
ティアナは、自分に言い聞かせるように言ったのだった。
『首都には帰るな』
暴漢の言葉が脳裏に過る。
(あれは、私に対する脅迫だわ)
暴漢たちの目的は公爵家の嫡子である子どもたちではなく、ティアナだった。彼らは、ティアナを首都に帰したくないらしい。ティアナに恐怖心を植え付けるために、わざと彼女を追いかけ回したのだ。
(でも、どうして……?)
彼らの目的が分からず、ティアナはその身体をブルリと震わせた。
(私が、お二人を巻き込んでしまった)
ティアナは子どもたちを抱きしめる腕に、さらに力を込める。それに応えるように、二対のアイスブルーの瞳がティアナを見つめた。
「ティアナ?」
不安そうに揺れる瞳に、ティアナの胸が締め付けられる。
「大丈夫ですよ。何も心配はいりませんからね」
ティアナにできることは、にこりと笑って二人を抱きしめることだけ。そうして、不安を紛らわせることだけだった。
それから数時間後。
三人は、ようやく公爵の手によって保護されたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます