第9話 公爵の変貌


 その朝食の一件以来、公爵の様子がすっかり変わってしまった。


 まず仕事で外出することが極端に減り、書斎にこもる時間もぐんと減った。代わりに、子供部屋に顔を出すようになったのだ。

 急に子供部屋に現れた公爵に、はじめは使用人もティアナも戸惑いつつも尋ねた。


「ご用件は何でしょうか?」


 と。ところが、


「特にない」


 と言った公爵は、そのまま子供部屋に居座ってしまった。子供部屋には家具を置いていなかったので、フットマンたちが大慌てでソファを運ぶ羽目になって、それなりに大騒動だった。


「どうしてお父様がいるの?」


 と、子どもたちは首を傾げたが、無表情のままで子どもたちの様子を眺めたり、お茶を飲んだり、本を読んだりするだけの公爵の存在にはすぐに慣れてしまった。


(お互いに積極的に会話をすることはないけど、同じ時間を共有するのは悪いことじゃないわよね)


 ティアナはようやく父親として子どもたちに関心を向けるようになったのかと喜んだ。

 ところが、実はそうではないと気づいたのは、他でもない子どもたちだった。





 公爵が子供部屋に通い始めて数日が経った頃、寝室で3人で並んで寝ようとした時だ。


「お父様は、ティアナに会いに来てるんだよ」

「え?」


 ジークハルトが唇をとがらせて言ったのだ。


「どういうことですか?」

「ずーっとティアナのこと見てた!」


 アルノルトも同意するものだから、ティアナは驚いて双子の顔を代わる代わる見た。


「そんな、まさか」

「お父様、ティアナのことが好きになったんだよ」

「そうだよ、きっと」


 2人はさらに唇を尖らせて言い募る。


「僕らのティアナなのに」

「お父様に、とられちゃう」


 2人がぎゅっとティアナに抱きつくので、ティアナも2人を抱きしめた。


「私はお二人の乳母ですよ。誰かに取られたりなんかしませんよ」


 そう言って2人を宥めたのだが、その翌日からまた風向きが変わることになった。





「これは、なんですか?」


 午前の散歩から帰ってきたティアナと双子を待っていたのは、色とりどりの布地にレース、リボン、そして帽子などの装飾品の数々だった。それらが所狭しと子供部屋に並べられていたのだ。


「まずは子どもたちから」

「はい、お任せ下さい!」


 公爵はティアナの質問を無視して淡々と命じた。にこやかな笑顔で応えたのは、『メゾン・アルマ』のデザイナー、アルマ女史である。『メゾン・アルマ』は貴婦人たちから絶大な支持を集めるブティックだ。


「礼服と、それから普段着を……」


 言葉を切った公爵がティアナを見た。


「必要なだけ注文を」

「承知しました」


 どんな気まぐれなのか、公爵は子どもたちの服を新調することにしたらしいと理解したティアナは、さっそく布地を選び始めた。


(どんどん身体が大きくなられるから、たしかに必要な頃合いだわ)


 以前は執事のモーリッツが段取りをしていたと聞いていたので公爵自身がブティックを呼び寄せたのは意外だったが、ティアナはとりあえず納得した。


(……それにしても、どう見ても女性向けのレースや装飾品もあるけど)


 首を傾げたティアナだったが、とりあえずは子どもたちの服の注文に集中したのだった。

 ところが、子どもたちの服の注文が終わったところで、今度はティアナが衝立の向こうに押しやられてしまった。

 

「次はお嬢様の番ですね!」

「え、は、なんですか⁉」


 思わず大きな声を上げたティアナに構うことなく、アルマ女史と助手たちの手によって手際よくドレスを脱がされてしまう。


「ティアナお嬢様のドレスをご注文いただけるだなんて、光栄です!」


 アルマ女史が手を叩いて喜んだ。


「先日の夜会での一件は、社交界中で噂になっていますよ!」

「は、はあ」


 さらに声をはずませるアルマ女史の勢いに、ティアナはたじたじになる。


「ご存知とは思いますけど、私も不妊で……。お針子の仕事をしている内に、お店を任せてもらえるようになったんです」


 彼女は自伝を出版しているほどの有名人だ。不妊である自分に悩みながらも、デザイナーとして成功した彼女は国中の女性の憧れ。そのアルマ女史が、丁寧な手付きで試着のドレスをティアナに着せていく。


「お嬢様が毅然とした態度でいらっしゃったことを、同じ境遇の女の一人として誇りに思います」


 アルマ女史がにこりと笑った。ティアナは気恥ずかしく思いながらも、小さく頷いたのだった。


(公爵様が助けてくださったから、泣かずに済んだだけだけど)


 それでも、懸命に涙を堪えた甲斐があったのだ。



 衝立の向こうでは、助手たちが次々と見本のドレスを出しているらしい。これらの中からデザインを選び、細かい装飾を指定して身体にぴったり合うドレスを仕立ててもらう。


「流行のデザインですと、まずこちらですね」

「ふむ」

「おや、あまりお好みではない?」

「いや、試着してから決めよう」


 公爵がううむと唸る声が聞こえてくる。こんな風に迷うような声を聞いたのは初めてで、ティアナは驚いた。


「承知しました。お持ちした以外にも様々なデザインがございますよ。こちらは最新のカタログです」

「わあ! これ、絶対ティアナに似合うよ!」

「だねぇ、かわいいね」


 今度はジークハルトとアルノルトの楽しそうな声。


「どれだ」

「これだよ、お父様!」

「ああ、確かに。似合うだろうな」

「靴はこれがいいよ!」

「ふむ。赤より青のほうがよくはないか?」

「そうかな?」

「でも、青ならこっちのデザインの方が可愛いよ」

「む。確かに」

「こっちのレースも可愛いねぇ」

「そうだな」


 など、衝立の向こうからは親子3人の仲睦まじい会話が聞こえてくる。こうなってしまうと、ティアナには反抗することができない。


(旦那様とお子様たちが、あんなに楽しそうに……!)


 ティアナは公爵親子とアルマ女史に勧められるがままに、何着もドレスを試着したのだった。





 その日以降、ティアナへの贈り物を持参する商人が子供部屋に出入りするようになった。さすがに苦言を呈したティアナだったが、それに対して公爵は悪びれることもなく、


「女性への贈り物について子どもたちと学んでいる。これも教育の一環だ」


 とのたまった。さらに反論しようとしたティアナに、公爵は首を傾げた。


「嬉しくないのか?」

「嬉しくないわけではありませんが……。着ていく場所もありませんし」


 あの夜会以降、公爵は無理に社交の場にティアナを連れ出すことはなくなったのだ。


「……そうか」


 公爵が頷いたので、ようやく贈り物が止まるかと思ったティアナだったが、その考えは甘かった。


「週に一度、夕食は晩餐会として本館の食堂に準備するように」


 と、公爵が命じたのだ。

 これには使用人たちも仰天したが、主人の命令であれば仕方がない。ティアナも『子どもたちのマナーの勉強のためだ』と言われてしまっては反論の余地はない。


 公爵家の晩餐会となれば、服装は正装フル・ドレス半正装デミ・トワレットでなければならない。もちろん、それに合わせて巻き髪をつくり、華やかに結い上げる必要がある。この週に一度の晩餐会の日の午後には、ティアナは自室にこもって支度をしなければならなくなった。これには2人のメイドは大喜びで、張り切って支度をしてくれたのだった。


 ちなみに、このイベントを一番喜んだのは、意外にも子どもたちだった。


「ティアナ、かわいい!」

「世界一だよ!」

「このリボン、やっぱりオールドローズにして正解だったな」

「そうだね。普通のピンクじゃ、浮いてたよね」

「次は、もっとシックなデザインでもいいと思うんだ」


 華やかに着飾ったティアナを褒め、次のドレスのデザインについて話し合う双子の様子を見てしまっては、やはりティアナには何も言えない。


 さらに、


「夜会を開く」


 と公爵が言い出したものだから、これにも使用人たちは仰天した。社交嫌いの公爵が自ら主催行事を開いたことなど、いまだかつてなかったからだ。


「本当に、夜会を?」


 尋ねたモーリッツに、公爵はあらかじめ準備していた招待客リストを差し出した。それを受け取ったモーリッツが、その意図に気づいて一つ頷く。そんな様子に、ティアナは首を傾げるばかりだった。


 その意図は当日になって明らかになった。





「ティアナ!」

「元気そうね!」

「安心したわ……」

「泣き虫のお前が乳母なんて、ちゃんと務まってるのか?」


 招待されたのは、シュミット伯爵家の縁者──ティアナの両親、そして兄姉きょうだいとその家族ばかりだったのだ。


「大丈夫ですよ、お兄様」

「ま、そうみたいだな」

「お二人とも、なんて素晴らしい貴公子なの……!」


 姉たちが目をキラキラさせて見つめる先には、ティアナの姪や甥たちに完璧な仕草で挨拶する双子がいた。子どもたちはすっかり意気投合し、音楽に乗って思い思いにダンスを楽しんでいる。


「……いい仕事をしているんだな」

「そうでしょうか?」

「そうよ。ただの乳母のために、こんな素晴らしい会を開いてくださるなんて!」


 その公爵は、ティアナの両親と何やら話し込んでいる。


「あのね……」


 公爵と両親の様子を見ながら、扇を口元に当ててひそひそと話しだしたのは二番目の姉だった。その様子にティアナを含む全員が耳元を寄せた。


「今さらなんだけれど、私、すごいことに気づいてしまったのよ」

「なあに?」

「すごいこと?」


 姉たちが先を急かすと、二番目の姉がごくりと喉を鳴らした。



「ユーベルヴェーク公爵様とティアナって、結婚、できてしまうわよね……?」



 ティアナは愕然とした。

 その可能性に、全く気づいていなかったのだ。

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