第3話 無関心な父親


「昼間は申し訳なかった」


 その晩、ティアナは公爵の晩餐に招かれた。


「いいえ。お忙しい中、ご招待いただき感謝申し上げます」

「子どもたちの様子はどうだ?」


 ティアナは、なんと答えるべきかと考え込んだ。挨拶の後、なんとか二人と打ち解けようとしたティアナだったが、全く相手にされなかったのだ。

 双子たちは子供部屋の中を好き放題に暴れまわり、本を破き、絨毯じゅうたんを汚し、家具を破壊した。午後からやって来た家庭教師の授業は全くの無視。アフタヌーンティーでも、作法など全く知らないといった風だった。

 ティアナの初日の仕事は、二人が汚した服を5度も着替えさせただけで終わってしまった。


「……申し訳ない」


 公爵が頭を下げた。


「旦那様、おやめください」


 ティアナが言うと、公爵は黙ったまま顔を上げた。表情が全く動かないので、彼が何を考えているのかティアナには全く分からない。


「乳母は君で12人目だ」


(あら、まあ)


 あの様子なら相当だろうと思っていたが、ティアナが予想していたよりもずっと多かった。公爵家から提示された報酬が多すぎると思っていたが、こういう事情があったようだ。どうにかして子どもたちを任せられる乳母を見つけたいのだろう。


(それにしても……)


「どんな乳母をあてがっても、子どもたちが懐かない


(……まるで他人事ね)


 ティアナは、内心で呆れた。

 公爵は乳母を雇って父親の責任を果たしているように見える。しかし、実際には無関心なのだと、ティアナは既に気付いていた。


(こんな時間に乳母を晩餐に招待するくらいだもの)


 本来であれば、乳母は子どもたちの寝かしつけをしている時間だ。こんな時間に乳母を呼び出すのは、無神経と言ってもいい。


(子どもたちの様子を聞いたのも、謝罪したのも、形だけね)


 ティアナは徐々に胸の内が冷めていくのを自覚していた。

 彼女が感じているのは呆れ、苛立ち、そして怒りだ。


(私は、運が良かった)


 ティアナの両親も『婚姻統制法』によって強制的に結ばれた二人だった。それでも、二人は愛し合っていた。互いを慈しみ、尊重し、そして何よりも子どもたちを愛してくれた。ティアナは7人きょうだいの末っ子で、本当に愛されて育ってきたのだ。


(こんな家庭が、きっとたくさんあるのね)


 世間知らずだった自分に呆れ、そして苛立っている。そして何より、子どもたちへの愛情を欠片ほども持ち合わせていない様子の目の前の男に、怒りを覚えているのだ。


(……落ち着くのよ、ティアナ。こういう家庭は珍しくない。むしろ貴族なら普通よ)


 無言で食事を進める公爵を横目に見ながら、ティアナは深呼吸を繰り返した。晩餐は沈黙のまま進み、デザートが出てきた頃になってようやく公爵が口を開いた。


「忙しさにかまけて、子どもたちの教育を怠ってきた。そのツケを、あなたに押し付ける形になってしまった。申し訳ないと思うが、どうかよろしく頼む」

……?」


 小さくつぶやいたティアナに、公爵が首を傾げた。全く何も分かっていないらしい様子に、とうとうティアナの中で何かが切れた。


「なんてことをおっしゃるんですか!」


 思わず立ち上がって大きな声を上げたティアナに、公爵が目をく。その表情を見ても、ティアナの怒りは収まらなかった。


「ツケだなんて……! お二人は、まだ5歳なんですよ! やんちゃをするのも、わがままを言うのも、当たり前ではありませんか! それを、まるで悪いことのようにおっしゃるだなんて……!」


 わなわなと握りしめた拳を震わせて、ティアナは踵を返した。


「ティアナ嬢!」


 公爵が呼び止めるが、ティアナは足を止めなかった。扉のそばではフットマンたちがコーヒーと葉巻、酒にチョコレートの準備をしていた。この無益な時間を、まだ続けるつもりだったのだ。


「ティアナ嬢」


 公爵がもう一度ティアナを呼んだ。それも形ばかりだろうと、ティアナは思った。


(私の機嫌を損ねて、辞められたら困るから)


 だから豪華な晩餐を準備して、公爵自らがもてなしているのだ。


(まったく、見当違いだわ!)


「それも、おやめください」


 振り返ったティアナの冷めた表情に、公爵がわずかに怯む。


「私はこの家の乳母でございます。伯爵家の令嬢ではございません」

「ああ、わかった」

「では、失礼致します」

「どこへ……」


 公爵が、ため息を吐いてから問うた。ティアナが伯爵家に帰るつもりだと思ったのかもしれない。


(お生憎様あいにくさま、私は絶対に辞めませんからね!)


 ティアナは長身の公爵の顔をしっかりと見上げて、そのアイスブルーの瞳を睨みつけた。まさか睨まれるとは思っていなかっただろう公爵は、とても驚いていた。若い令嬢にこんな目を向けられたのは初めてなのだろう。


「子供部屋に決まっているでしょう!」


 食堂を出たティアナを、慌てた様子で追いかけてきたのは公爵ではなくモーリッツだった。


「ティアナ様、申し訳ございません」

「あなたが謝ることではないでしょう」

「ですが……」


 ツカツカと早足で歩いていたティアナは、子供部屋の前に到着してようやく足を止めた。


「私は、悲しいです」


 ポツリと言ったティアナの言葉に、モーリッツが眉を下げた。


「旦那様もお子様たちも、愛を知らないだなんて……」


 モーリッツは否定しなかった。この家に愛がないことなど、誰の目にも明らかだ。


「こんな時代です。それに貴族ですから。親子の愛情が深いという家の方が珍しいのではありませんか?」


 問いかけたモーリッツに、ティアナは首を横に振った。


「だとしても。それが当たり前だと思いたくありません。少なくとも、私は愛されて生きてきました」


 ティアナはもう一度、ぎゅっと手を握りしめた。


「……私にできることをします」

「どうか、よろしくお願いいたします」


 深く頭を下げたモーリッツが、子供部屋の扉を開いた。

 そこには、暴れまわった子どもたちの後始末をするフットマンたちがいて。奥の寝室では、二人の天使が寝息を立てていた。二人は互いの手を握ったまま眠っていて、またティアナの胸が痛んだ。


(寂しいのね)


 自分たちに無関心な父親。遠くで幸せに暮らす母親。そして、次々と離れていく乳母。5歳の小さな胸には、抱えきれないほどの深い悲しみがある。


「私は、絶対におそばを離れませんからね」



 * * *



「おはようございます! アルノルト坊ちゃま、ジークハルト坊ちゃま!」


 翌朝、双子が目覚める前にティアナは子供部屋にやってきた。子どもたちを起こすことはせずに自然に目が覚めるのを待っていると、時間は昼前になっていた。


「ん……?」


 時計を見た双子が不思議そうに首を傾げる。


「よくお眠りでしたね。まずはお着替えをしましょう」


 ティアナが取りだしたのは、ゆったりとした綿のシャツとズボンだった。


「これを着るの?」

「上着は?」


 思わず問いかけた双子に、ティアナがニコリと笑う。


「お客様がいらっしゃるわけでもありませんし、必要ありませんよ。これならたくさん動いても楽ですし、汚しても問題ありませんから」

「ふーん」

「そっか」


 着替えと身支度を終えてリビングルームに出た二人は、また驚いて声を上げた。


「なにこれ」

「なんにもないじゃん」


 驚くのも無理はない。早朝から作業をして、リビングルームの家具や装飾品は全て撤去してしまったのだから。食事は隣の部屋を食堂として整えたので問題ない。


「この方が、広くて遊びやすいかと思いまして」


 またしてもニコリと笑ったティアナに、今度こそ双子は顔をしかめた。


「なに考えてるの?」

「お父様に叱られるよ?」


(なるほど、そうやって乳母を脅すのね)


 公爵に叱られるかもと思えば、乳母も迂闊うかつなことはできないと思っているのだろう。だが、それはとんだ見当違いだ。


「あら。誰も私を叱ることなどできませんよ」

「え?」

「私はこの家の乳母ですから」


(父親が無関心だというなら、乳母の好きにやらせていただきます!)

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