032:魔界への誘い②
「ダーリンが我の話を聞いてくれて、我に話しかけてくれて、ダーリンとこうしてお喋りできて、我は嬉しい! 今がすごく楽しいんだ!」
裏表を感じさせない屈託のない笑顔でオトワが言う。
その笑顔からオトワの感情が伝わるようだった。
「人間もモンスターも皆いずれは死ぬ。不死を語る屍の王ですら、長い時間の末にいつかは朽ち果てるのがこの世の定めだと聞いた。だったらどう死ぬかなんて考えるより、我はどう生きるのかを考えたい。ダーリンと一緒にな♡」
「どう生きる、か……」
ヴィータはこれまでの人生をモンスターと戦って勝つことだけにささげてきた。
モンスターは絶対的な人類の敵だと言う、誰かに言われた常識。
魔法剣に選ばれる事が素晴らしいと言う、誰かに言われた価値。
勇者に選ばれる事が最高の名誉だと言う、誰かに言われた理想。
魔王を討伐すれば世界は救われると言う、誰かに言われた目的。
そこに本当に自分自身の意思があったのだろうか。
オトワと出会うまで考えたこともなかった。
考えないようにしていたのか、それとも考えないようにさせられていたのか。
ヴィータにはそれすらもわからなくなった。
生きていくためには価値の証明が必要で、それがヴィータの場合は戦う事だった。
だたそれだけに必死だった。
村のため、国のため、勇者のため、世界のため。
それは全て生きるための戦いだったハズなのに、果たしてそれは、それこそが自分の生き様だった言えるのだろうか。
ヴィータには胸を張って自分の生き様を肯定できるものが何もなかった。
記憶も、感情も、思想も、何もない。
モンスターとの戦いの後にあったのはいつも、笑顔なんかではない不機嫌そうな勇者たちの顔ばかりだった。
ヴィータにあるのはただ強さだけで、自分の証明そのものだったそれを、結局は誰も認めてなどくれてはいなかったのだ。
なんて、空っぽなんだ。
そう自覚すると、途方もない虚無感に眩暈がしそうだった。
「……っ!」
オトワの手が、ヴィータの頭をそっとなでた。
突如ヴィータの脳内にあふれ出した、存在しない記憶。
見たことのない母の姿が、オトワに重なって見える。
「ダーリンは昔の我と少し似ている。我も生まれたばかりの頃は何も持たないただのちっぽけなスライムだった。弱くて、生きるのに必死で、何も考える余裕なんてなくて……戦い続けたんだ」
いつかの時代、魔界の王と呼ばれる何かが気まぐれに1匹のスライムと交わり、そしてオトワは生まれた。
オトワには父と母の記憶はない。
知性を持たず本能のままに生きるだけの、どこにでもいる低級モンスターのスライムとして生まれたからだ。
「本能で逃げて、逃げて、逃げて。それからたまに勝てそうなヤツは返り討ちにしたりして……生きる為に戦い続けて、そして気づいたら我は最強のスライムになっていた」
いつの間にか知性を得ていたオトワは、自分が進化した原因すら知らない。
オトワが進化を変異を繰り返した先に、本来なら持つはずがなかった知性を得た時には、すでに親である者の姿はどこにもなかった。
「それから目的もなく彷徨うように生きていた。ただ死ぬのは嫌で、本能ってヤツだろうな。でも偶然、出会った友が『遊び』ってヤツを教えてくれた。楽しいという感情を知って、我の世界は少しだけ美しくなった」
楽しい、なんて。
最後にそう思ったのはいつの事だろうとヴィータは記憶を掘り返してみる。
思い出せる記憶は一つもない。
「それからはやりたい事が増えて、あの偵察拠点を作ったんだ。そしてダーリンに出会った」
魔王討伐のための勇者パーティの戦いである。
「ダーリンのパンチは効いたぞ! 生まれて初めての感覚だった! そしたら、世界にこんな人間がいるんだって事におどろいて、それからずっとダーリンの事ばかり考えてしまって……気づいたら夢中になっていたんだ!」
殺人パンチで愛に目覚めるとは中々に性癖のレベルが高いが、ヴィータは恋愛知識がないがゆえに「スライムとはそういうものなのだろう」と納得して受け入れていた。
「楽しいとは違う、きっとこれはもっと特別な感情だ……ダーリンが我に愛を教えてくれたんだ!」
「そんな大げさな……」
「大げさなモノか!」
オトワはズイと今までよりも更に顔を接近させて頬を少しだけ膨らませた。
抗議のつもりだろうか、とも思うが、それにしては可愛らしすぎて微笑ましい。
かと思えば、今度は少しだけヴィータから離れ、大きく手を広げて見せた。
日差し避けのためにパラソルに変形させていた部分がさらに姿を変え、辺りに広がる。
それは真っ赤な尾びれの魚だったり、不思議な青色を揺らめかせる蝶々だったり、様々な色をした花々だったりした。
「だから今はこんなにも世界がカラフルに見えるんだ!!」
ヴィータの視界が色であふれる。
それはオトワが感じてきた世界の色そのものだった。
その美しい世界を愛しい人に共有したい。
それがオトワにとっての愛だった。
「今、ダーリンの世界は何色だ?」
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