第3話

久美は須藤から正社員のオファーをもらったことを旦那に話した。

旦那は少し驚いたようだったけど、家のことが疎かにならなければ別に働いてもいいというようなニュアンスのことを偉そうに言ってきた。久美は旦那の上から目線には日々怒りを感じずにはいられなかったが、この発言のせいで更に、彼に対しては絶望を感じた。

「あーなんでこんなやつと結婚したんだろ」

久美は思わず、お風呂の中で呟いた。

付き合ってた時は、優しくて気の利くタイプだと思ってたのに、結婚したら旦那のデリカシーのなさが目立ち始めた。

はじめはちょっとしたことだった。

物を元の場所に戻さないとか、掃除が雑だったり…

最近では、会話の節々に見られる上から目線。

きっと彼は働いて稼いでる人間が偉いとでも思ってるんだろう。

心のどこかで久美自身も旦那の稼ぎがないと生きていけないことがわかってるからこそ何も言えずに余計に辛い。

そして、疲れるのだ。

でも、旦那ほどの稼ぎはないが疲労宴で働くことで自分でも生きていく為のお金を得られる。

そのことは、少し自信に繋がりそうだと久美は思った。


「皆さん、既にご存知かと思いますが、今日から私たちと一緒に働く佐藤久美さんです」

須藤は改めて久美の紹介をメンバーに行った。

「皆さん、これからは一緒に働く仲間としてよろしくお願いします!」

久美はまるで新入社員のように頭を下げた。

すると、疲労宴のメンバーはいつもにも増して盛大な拍手で久美を仲間として受け入れた。

久美はそれからというもの必死に働いた。

多くの人の疲れを癒すために、自分のできることはなんでもするつもりで働いた。

その結果、久美は職場に様々な改善案を出し続け、疲労宴の売上も久美が来てからは右肩上がりの業績を維持し続けた。

元々、客だった久美は誰よりも疲労宴のことをお客様目線で見れるため、どのような改善

すればお客様が喜ぶかは手に取るようにわかったのだった。

久美はこれまでに出してきた結果が評価され、1年もしないうちに須藤から疲労宴を運営する株式会社ノーヒロウの執行役員にならないかと提案された。

「えっ、私が執行役員ですか!?」

確かに今まで頑張って仕事に打ち込んではきたが、多少ボーナスなどが上がるならまだしも執行役員なんかになるなんて信じられなかった。

「そうよ。久美さんなら我が社の執行役員になれると思うの。社長の私の勘がそう言ってるの」

須藤は経営者ならではの勘を信じている。今まで須藤の勘によってこの株式会社ノーヒロウは着実に利益を上げ、毎年10%以上成長している。久美が来たこの年は過去最高の18%の成長が見込まれている。

「疲労宴部門はほぼ久美さんに任せようと私は思ってるの。そして、私は自身は新規事業の立ち上げに集中したいと思ってるの」

そう、株式会社ノーヒロウは疲労宴の事業のみならず、更に健康食品事業にも進出しようとしていた。

疲労宴では身体の内部からの疲労は取りきれない。そんな課題意識がある中、須藤の勘によって見つけたアメリカで密かに流行り出している新素材を使ったサプリメントで身体の内部の疲労にもアプローチできないかと考えたのだ。

実際に須藤は自分の身体でその新素材のサプリメントを服用した。

その効果があまりにもわかりやすく疲労を取り除いてくれたため、今回この事業に乗り出すことにしたのだ。

そして、現在の主軸の事業である疲労宴を久美に任せることにしたのだ。

久美が驚きで何も言えないでいると、須藤はニコニコしながら、「どう?執行役員?やってみる?」といたずら好きな女子高生のように尋ねた。

「えっ、でもいいんですか?私なんかでも」

「もちろん、良いから言ってるのよ」

須藤は戸惑う久美の様子を楽しんでいるようだった。須藤はこういうところは子供ぽい。

「うーん」

久美は正直迷っていた。執行役員となると今まで以上に忙しくなる。家のことなどがちゃんと回るのかが心配になっているようだった。

その久美の心配を見越したようで更に説明を加えた。

「もちろん、家庭のこともあるかと思うから無理にとは言わないわ。でも、年収は少なくとも1000万円は約束するし、久美さんの働きやすいように働いてくれたらいい。例えば、子供が熱を出したり、何かあったそちらを優先して。私が廣瀬でそこはしっかりフォローするから」

年収1000万円で自由な働き方が出来るなんてまるで夢のようだ。

久美はあまりにも良い条件で飛びつきそうになった。

なんといっても年収1000万円ももらえれば、旦那の給与なんが余裕で越える。2倍ぐらいだ。

あんなに「俺が稼いでいる」を全面に出してきた旦那の鼻をへし折りたいという欲望が久美の中に芽生えた。



「あー疲れた」

深夜1時に久美はやっとパソコンを閉じることができた。

久美は執行役員になってからは保育園に子供達を預けている時間に加え、子供を迎えに行き、家のことをやった後にまた働くという生活を1年近く続けている。

しかし、こんなにハードな生活にも関わらず、久美はなんとかここまでやってこれた。

久美の仕事ぶりは相変わらず、須藤から高く評価されており、任される仕事や裁量権もどんどん増えてきた。

大変なことは間違いないが、それが久美のやりがいでもあった。

久美はハーブティーを用意し、一人でゆっくり飲み始めた。

このひと時が久美の唯一の自分の時間だ。

「はー、あいついらないな」

ハーブティーを片手に子供達と一緒に寝る旦那見て、呟いた。

稼ぐ金額は久美の方が多い、家のことも久美の方がしている。

あれだけ「俺が稼いでる」を暗にアピールしてきたくせに、いざ年収が久美に及ばなくなっても家のこと、子供のことをしようとしない。

「一体、なんであいつはここにいるんだ?」

久美の中でそんな思いが大きくなっていった。

久美はうっすら笑みを浮かべ、過去のことを思い出した。

久美が稼いでいる金額を知った時の旦那の間抜けな顔が忘れられない。

久美は「お前、なんだったら出来るんだよ。稼ぎも私以下で生きてて恥ずかしくないのか?」と旦那に言い放ったあの日を思い出していた。

もちろん、その日は凄い喧嘩になってしまったが、言いたいことを言えた爽快感はたまらなかった。

今まで私は旦那に虐げられてきた。

もう、離婚だって怖くない。

昔の久美が旦那に愛想をつかされ離婚されたら、到底経済的にやっていけるはずもなかった。

でも、今は違う。年収1000万円以上を稼ぐ、スーパーママだ。

もう私に怖いものなんてない。

久美は離婚届にハンコを押した。

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