東の国の王女様と西の国の農民との出会いと別れと

アホウドリ

第1話 東の国の王女様と西の国の農民との出会いと別れと

「うぅ~眠いよ」


 まだ寝たくないのに、まだこの絵本を読んでいたいのに、眠気に耐えられない。少しでも頭がぼーっとするこの感じを飛ばしたかったから、両手でごしごし目を搔いたのに全然目が覚めない。なんでよお、まだ夜の九時だよ。


 おかあさんとおとうさんはいつもこの時間まで起きてるし、なんでそんなに眠くならないのと聞いても「へっちゃらのちゃだからだよ」とか目をキラキラと輝かせて、わたしに嫌みみたいなこと言ってくる。なんでわたしだけこんなに眠いの。


 この前読んだ絵本の中に出てきたエミリーは、「やーい、小学生にもなってまだ八時とかに寝てんの?」なんて言っていた。わたしもエミリーみたいにもう十歳だから、夜の十持くらいまでは起きていたいのに。なんでわたしだけこんなに眠いのー!


 許せないよエミリー。おまえ、絶対七時には寝てるでしょ。おまえみたいな奴は、同級生を煽っておきながら自分は隠れておかあさんに腕枕してもらってるタイプだよ。絶対そうだよ。十歳はそんなに長く起きられないよ。あーもうやだ! 早く大人になりたい。


 早く大人になって、深夜までどんちゃん騒ぎしたい。そうしたら、エミリーに「おまえはわたしの腕の中で眠れ」とか言ってやる!


「エリス、もう眠いなら寝たら? 明日も学校でしょう」


 お母さんはそう言うけど、わたしはまだまだ粘るつもり。エミリーに負けていられないんだ。なんであんな小生意気な女に負けないといけないの。仮にもわたしはプリンセスだよ。おかあさんの跡を継ぐ女として、エミリーなんて庶民に負けていられないんだよ。


「やだやだやだ! まだ起きたいよおお」


 わたしは少し大きな声でそう言って、自分の頭を起こそうと思った。


「ちょっと、おとうさん起きちゃうよ」


「あ、ごめんなさい」


 とはいえ、おとうさんはまるで起きる気配を見せずぐーすかぴーと鼻を鳴らしていた。もう寝てるのおとうさん。これじゃ、おとうさんはエミリー以下だよ。おとうさんもう三十二歳なのに。もう、困ったおとうさん。お酒も飲めないのにね。


「あーもうだめ! 耐えられない」


 さすがに眠気がピークに達してきた。これはそろそろだめみたいだし、この絵本は明日でいいや。わたしは寝転がりながら開いていた絵本を閉じて、そばにあるランプ台にそれを置いた。待ってなさい、絵本。


「おかあさんはわたしくらいのころ、何時に寝てたの?」


「うーん、どうだろ。でもエリスとそんなに変わらなかったような気がするよ。遅くても二十二時くらいかなぁ」


 こともなげにおかあさんはそういうけど、わたしは大分変わると思う。その当時のおかあさんはエミリーの基準を超えていたんだから、わたしとは格が違う。これが本物のプリンセスの器なのか。ということは、わたしも負けていられないかもしれない。やるしかないんだ。


「わたし、決めた。今日はあと一時間起きてる」


「えぇ~? なんでよ」


 おかあさんはそばで寝転がりながそう言うけど、わたしは決めた。決めたからには、やるしかない。


「だって、おかあさんはわたしくらいのとき、この時間まで楽に起きてたんでしょ? 起きて面白い絵本なりをむさぼっていたんでしょ? じゃあ、わたしもそれに追いつくしかないよ」


「んー、なんだかよくわからないけど、よっぽど起きたいんだね」


「うん、だからおかあさん。なんか話してよ」


「なんかって……別に何もないよ?」


「いいからいいから。わたしの目が冴える程度の話でいいからさ」


 なんて無茶ぶりしちゃったけど、よくよく考えたら、わたしは絵本をほっぽりだしてまでこんなこと言ってるんだった。ただでさえ絵本でも眠気を飛ばせていないのに、これじゃおかあさんに絵本よりもクオリティの高いお話を求めてるみたいで酷かも。


「ごめん、ずいぶんと無理言ったよね。やっぱ、普通にお話しようよ」


「いや、待って、エリス。いい話があるの。だいぶ昔の話だけど、幸せな気分になれてお目目パッチリになれる話が」


「そうなの!? 聞かせて聞かせて!」


「とは言っても、おかあさんの話だけどね。この国とその隣の国の話、そしておかあさんがこの国の女王になるまでの話」


「面白そう! 聞きたい!」


「よし、じゃあ話すよ。あれはそうだなぁ、確か二十年くらい前の話。エリスにとっては生まれる前のお話」



 あのときは確か十二歳になってすぐの頃だから、今のエリスより二歳年上だったはず。当時、ここエルディア王国は、今と違って二か国に分かれていたの。


 東に東エルディア、西に西エルディアで分かれていて、難しい話だから詳しくはもっと大人になればわかると思うけど、簡単に言うと政治的な対立をしていたの。それで、私は東エルディアの第一王女だった。


 当時、今の放任主義なエリスの育て方と違って私に対する締め付けがとても厳しくて、朝昼晩に掛けて常に監視の目が向けられていたの。屋敷の門を一歩出ると、すぐ目の前には銃を肩に提げた軍人のお方が歩いているような感じね。


 だから、私みたいな立場の人間では、とてもじゃないけど黙って外に出られるような状況じゃなかったの。それもそうね。なんてったって、東西は膠着状態だったんだから。


 もし私が一人で家を出ようものなら、たちまち屋敷は大慌てでしょうね。どこに敵国の軍人がいるかわからないもの。そんなこともあって、私はそれまで一度も一人で外に出たことがなかった。


 もちろん学校には行っていたのだけど、登校中は常に従者が隣についていたのね。そんな光景、今のあなたから見たら到底想像できないでしょうね。


 だから、私はふと思い立ったの。外の景色が見てみたい。ってね


 十二歳だったからね。本を読んだり、友達の話を聞いたりして頭の中で空想の世界を描いて楽しむしかなかった。でも、空想には限度があった。その目で見たことがないのだから、一つのパターンしか思い描けないのね。今思えば、あの頃はまるでファンタジーのような世界を空想していて、後になって笑っちゃうくらいだった。


 だから、外の世界をこの目で見て、この鼻と口で大きく息を吸って、この腕で風を切って、この足で地面を踏みしめる自由を味わってみたかったのね。 


 思い立ったが吉日という言葉がある。それを決心した私は、その日に軽く変装をして、侍従の目を盗んでベランダから抜け出した。勇気あったなと思うなぁ。若かったしね、なんでもできる気がした。事実、思ったほど脱け出すのは難しくなくて、少し肩透かしを喰らったの。こんな警備でいいの? ってね。


 ベランダから飛び降りて、地面に両足で着地したらそのまま門の外に向けて走ったよ。誰かに見つからないかな、もし見つかったら痛いことされるのかな、なんて怯えながら。でも、それと同時に楽しみでもあった。


 このまま見つからずに走り続ければ、まだ見ぬ世界が開けるんだーって。だから私は全力で走った。


 そして、無事に門を抜けられた。ひとまず第一関門は突破ね。そのあとも私は身を隠すようにひそひそしながら歩いた。門を出たとはいえ、周りには軍人のお方がいるからね。でも、変装が上手くいっていたみたいで、一度もバレることなく監視の目を潜り抜けた。


 そこからは気兼ねなく周囲に目配せできるようになって、これまでは馬車の中でしか見られなかったレンガ造りの家を、私の目で直に見ることができた。あー、この街って、こんな匂いをしているんだ。って深く感動したことを覚えている。


 そうして、そのままずーっと歩き続けていると、どんどん見慣れない景色に移っていったの。真っすぐ歩いてきただけだし、帰り道はそのまま反対方向に歩けばいいわけだから、迷う心配はしていなかったのだけど。それでも仕方ないよね。


 かれこれ三十分くらいかな。ゆるやかな坂を下っていくと、目の前には横に長ーく伸びた壁が見えた。なんだろう、と思いながらもその壁に向かって歩き続けていると、ふと門のようなところを見つけた。そこからは、最近よく見かけるようになった自動車という乗り物や馬車が行き来していたの。


 これは多分どこかとの境目にある門で、外から来た人や外に出ようとする人が通る場所なんだろうと思った。


 ここは恐らく黙って通っちゃいけないんだろうなぁ、と思ったから、私はそこを通る馬車で身体を隠しながら門に入っていった。もちろん、自動車や馬車はゆっくり走っていたから、身の心配には及ばなかった。


 そうして、結構あっさりと境目っぽい門を通り抜けることができた。あんな薄い警備では隣の国に責められたとき、何もできないだろうと心配になったくらいだった。だから、私が女王になったらそこのところしっかりしようと思ったわ。


 そして、門の外には初めての光景が広がっていたの。あたり一面にはお花畑が広がっていて、一体何色あるんだろうと思うほどの色々な花があった。あまりの綺麗な光景に目がくらくらしてしまうくらいで、それはもうとても感動したよ。


 私は目の前の絶景に飛び込みたいと思って、お花畑に向けて駆け出したの。これぜーんぶ私のものだーなんて思いながらも。というか実際にそうやって口に出したんだけどね。ずーっと走って行ってもずーっと変わらない景色で、この世界にはもうお花畑しかないんじゃないかと思った。


 それからというものはしゃぎ続けていたんだけど、どうやら疲れていたみたいでその場に転んでしまった。でも、痛さも気にならないくらい笑っていたわ。すごい楽しかった。


 私は身体を起こして、近くにあった花を摘まんだの。この花でできることってなんだろうと思って、手でいじくっていたらふと天啓のように思いついた。これで花飾りを作るべきなんだとね。


 そうして、髪の色にちょうど合うような適当な花を組み合わせて、四苦八苦しながらも作ったわ。ようやく完成させて自分の髪に挿したは良いんだけど、鏡がなかったからどんな見た目になっているかわからなかったのが惜しいところね。でも、私には合ったと思うわ。そうでも思ってないとやっていられないしね。


 それからもいくつか花飾りを作っては髪に挿してを繰り返して、若干頭が重くなってきた頃。目の前に一人の男の子が歩いてくるのが見えたの。手には一輪の花を持って、それをふらふらと振りながら近づいてきたわ。


 もちろん見覚えのない男の子だったから少し緊張したけど、どうやら敵意はなさそうだった。別に剣や銃を備えているわけでもなかったしね。


 彼は私にまで近づいてきたとき、その場にしゃがんで話し掛けてきたわ。


「君、ここの子じゃないよね」


 それが彼の初めての声だった。


「うん、そこから来たの」私は歩いてきた場所を指さしてそう言った。「外の景色が見たくてね」


「そうか、あの国の子なのか」


 彼はそう言ったわ。それを聞いて、ここでようやく知ったの。つまり、あの壁と門は国境で、ここはもう他国なのね。まずいことをしたのかもしれない。黙って屋敷の門を越しただけでなく、他国にまで来てしまって。これが知れたら、お父様は怒り心頭になること間違いなし。ああ、帰りたくないなぁ。なんて思った。


「このことは誰にも言わないでね」


「誰にもって言っても、君が誰かわからないから話しようがないよ」


「それもそうだった。ところで、あなたはここの国の子なの?」


「そうだよ。ここから少し離れたところで牧畜をやっているんだ。今はそれの休憩がてら散歩をしていたわけさ」


「へぇ~農民ってやつ? 初めて見た」


「とすると、君は結構お金持ちなのか? あの国はどういう産業で栄えているのか知らないけど、農民を知らないなんてよっぽどだよ」


 私はそれを聞いて、失言だったと思った。いくら他国の子であっても身分は隠すべきだし、そもそも世間知らずなところを知られるのは恥ずかしい。


 慌てて取り繕ろうとして「ま、まあまあだよ~」と言ったけど、あまり意味はなさそうだった。彼は怪訝な顔をしただけだった。


「ええと、あなたはなんて名前なの?」これが話を逸らすために必死に考えて思いついた言葉だった。


「ああ、僕はアランだよ」


「へぇ、良い名前。私はアリア。覚えやすい名前でしょ」


「アリアか。きれいな名前だね」


 アランは事も無げに、恥ずかしげもなくそういったの。別に顔を赤らめるほどでもなかったけど、やるじゃんと思った。


「アリアは何をしているんだい?」


「見てわかるでしょ」頭に指を指してそう言った。「花飾り作りよ」


「ふ~ん、それって面白い?」


「え、そりゃあもちろん」


 とはいえ、そろそろ飽きてきた頃合いでもあったから、少し煮え切らない回答でもあったの。


「そうか。ところでアリアは今暇かい?」


「いや、花飾りを作ってる」


「そうか。うちに来て何か遊ばないかい?」


「でも、花飾りを作ってるし」


「まあまあ、良いじゃないか」アランは私の言うことを一向に聞かず、自分のやりたいことを押し切ろうと強引に腕を掴んで立たせてきた。「花飾りなんていつでも作れるだろうさ」


 そうして、私はアランに連れ去られた。


 しばらく歩いていると、大きな木とその下に建つ一軒の家が見えてきた。近くからは牛の鳴き声が聞こえて、ここが彼の家かーと気付いた。


「ここが僕の家さ」


 アランは家の扉を開け、私の身体を押し込むようにして入れた。少しほこりっぽくて、牛の臭いが酷かった。あまり住み心地は良くなさそうというのが第一印象だったの。


 彼は中心にあるテーブルに私を着かせ、「喉が渇いてるだろう? 牛乳でもどうぞ」と言った。


 いくら農民とはいえ初対面。そんな相手から一方的に出された牛乳を飲むのは少し怖かったけど、私は恐る恐る飲んだ。一口喉を通すと、続けて口に注いでごくごくと喉を鳴らして、コップを空にした。


「おいしい」


 いつも飲んでいる牛乳とは何かが違った。なぜか、深いコクのようなものと少しの甘みを舌に感じたの。あの味は今でも覚えているね。おいしかった、ものすごく。


「ありがとう、それが聞きたかったよ」


 彼はそう言って、恥ずかしがりながらも私に微笑みを見せた。良い顔するなーと思った。かわいいところあるじゃん。


「それで、アランの言う遊びっていうのはどういうの?」


「ああ、うん。遊びっていうか、もしかしたら遊びじゃないかもしれないけど。その牛乳はどうやって作ってるかわかるかい」


「え、何言ってんの。そりゃあ牛さんからとってるんでしょ」


「うん、そうだ。というわけで、乳搾りをしよう」


 私はそれを聞いて深く落胆したわ。そんなものは遊びじゃない、仕事だよ。でも、断り切れなかった。ちょっと興味深かったからね。


 私は渋々承諾すると、彼は「オーケー」と言って作業着を取りに行った。サイズを聞かれていないけど、彼と背丈も一緒くらいだからそこは心配ないだろう。だけど、初対面の男の使い古しの服は抵抗が。


 なんて考えていたが、それは杞憂のようだった。作業着を持ってきたアランによれば、「これは母さんが使ってたやつだから」という話だった。私は一安心して、それに着替えた。


 数分後、お互い作業着に着替えると、牛の待つ小屋に向かった。そして、中に入った時の衝撃は強烈だった。


「うわーくさいよー」


 私は鼻声でアランに文句を言った。なんたる刺激臭。こんなものと毎日向き合っていたら、私は死ぬしかないかもしれない。


「そうかなぁ、良い匂いじゃないか?」


 彼はそう言って、私に向けて臭いを押し付けるように手を扇いできた。


「ちょ、馬鹿! やめてよ」


 なおも扇ぎ続けるアランの手を掴んでボコスカと頭を叩いたけど、彼はかっかっかと高笑いをしながらもう片方の手を扇いできた。ああああ。


 私たちはそうして牛のそばへと近づくと、乳の見えるところにしゃがみ込んだ。


「まずは僕のお手本を見ているといいよ」


 そう言って、乳の下にバケツを置いて、乳を右手で搾り始めた。彼はそのとき「どうだい、これが本当の乳繰り合いってやつだよ」なんて馬鹿げたことを言ったけど、私は無視して牛乳を見続けた。


「すごーい、こんな勢いよく出るんだね」


「ああ、僕も初めて見たときは驚いたね。それで、父さんにやらせてやらせてだなんだ騒いで、実際にやってみたら顔に全部飛んできてべちゃべちゃになった思い出がある。アリアもそれは気を付けて」


 私はアランと立ち位置を入れ替え、右手で牛の乳を掴んだ。なんか奇妙な手触りで気持ち悪い、と思った。少し鳥肌が立ったくらい。そうして、乳を搾ると、バケツは大きな音を立てて牛乳を貯め始めた。


「すごいすごい! これが牛乳なんだね」


「うんうん、凄いだろう」


 私は興奮して、ジュージュー牛乳を搾り続けた。駄目だ、はまっちゃうかもしれない。それくらい興奮したの。それからアランの存在を忘れるくらい搾っていると、彼の方から突然牛乳が飛んできた。これが全部私の顔に掛かって、べちゃべちゃになってしまった。


「ああもう! 何よもう」


 私はそう言いながらも、笑いが止まらなかった。楽しくてたまらなかった。顔に付いた牛乳を拭く前に舌で舐めてみると、温かくて少し甘かった。


 それからというもの、アランの教えで餌やりやフンの片づけ、外に出て牛の散歩に出るなどをしたの。もちろんアランと付きっ切りでいて、そこではいろんなおしゃべりをした。


 どうやら彼の家族はお父さんとアランの二人家族のようで、お母さんは早くに亡くなっていたそうなの。それでここまで逞しく育ったのだから、彼のお父さんもそうだし彼自身も凄い人だよ。本当に尊敬できる人だと思った。


 牛の世話に熱中し続けていたら、太陽が傾いてきているのが見えた。そろそろ戻らないといけない。でも、もう二度と彼に会えないかもしれない。だから名残惜しい。


「最後にもう一度乳搾りがしたい」


 私は気を遣いながらもそう言った。思い出になることをさせて欲しいという期待を込めて。


「その言葉は嬉しいけど。でも牛が少し疲れてるみたいだからさ、今日はもう終わりにさせて欲しいんだ」


「そ、そっか。残念」


「あっそうだ。じゃあ明日にしてよ。明日またうちに来て、また搾ればいい」


「いいの!?」


「ああ、そうするといいよ」


「じゃあ、また明日!」


 私はそう言って、彼に別れを告げた。


 その日はなんなく無事に家に帰ることができて、お父様にも知られることはなかった。唯一の後悔と言えば、はしゃぎすぎたせいで身体中が筋肉痛になったことくらい。夜の私室は私のうめき声が轟いたわ。


 次の日も、昨日と同じく彼の家に向かったの。アランは私を快く受け入れてくれて、一緒に牛の世話を楽しんだ。


 次の日も同様に、私はアランの家を楽しみにしながら向かった。


 次の日にアランの家に向かうと、その日は彼のお父さんがいた。「なんだ、アランの彼女か」なんてからかわれたりしながらも、牧畜の専門家から多くの手ほどきを受けたよ。


 次の日も、また次の日も。私は続けてアランのお家に行ったわ。


 途中から牛目当てなのかアラン目当てなのか自分でもわからなくなっていたけど、とにかく彼の家が待ち遠しかった。


 そういう生活を続けてはや三か月が経とうとしていた頃。


「アリア、今日からお前は外に出るんじゃないぞ」


 そう、お父様に言われたの。どうやらとっくに知られていたみたい。それで、恐る恐るお父様に聞いてみた。すると、思いもよらぬ答えが返ってきた。


「西エルディアとの関係が悪化してきてな。相手国側がこちらの要求を無視して他国と貿易をしていたものだから、けん制の大砲を放ったところあちらの人間が被害を受けたらしい。怒り心頭の彼らは正式に宣戦布告を出してきたんだ。それで私たちも受けざるを得なかった。よって、これから戦争状態に入る」


 私は大きく落胆した。そして、怖くなった。何よりアランが心配で心配で仕方がなかった。だって、隣国というのが正にアランの住む国だったから。


 それからというもの、私は塞ぎこむようになった。ただでさえアランとの関係は国と国を隔てていて距離も離れていたのに、戦争によって敵同士となり強制的に手を離されてしまった。


 これで戦争がさらに悪化して、東エルディアと西エルディア両方が甚大な被害を受けてしまったら。考えたくもないけど、もしアランが戦争の巻き添えになってしまったら。もう二度と会えないかもしれない。


 私の心は沈んでいった。何もする気が起きず、一日中ベッドにいる日々。食事も喉を通らず、やせ細っていく一方だった。


 それから、二年もの時が経った。


 私は十四歳になった頃、ようやく戦争が終わった。お父様の話では、「西エルディアは降伏したため東エルディアの勝利となった」とのことだった。でも、私は全然嬉しくなかった。アランの身だけが心配だった。


 あれからというもの、だんだんと落ち着きを取り戻したので食事もできるようになり、同時に身体の変化を感じるようになった。身長は十センチくらい伸びて、身体つきも徐々に大人らしくなっていった。でも、アランへの思いだけは変わらなかった。一日たりとも彼のことを忘れたことはなかった。


 毎日彼のことを考えていると、戦争による不安だけではすぐに頭が疲れてしまう。だから、彼は今何しているんだろうなんて考え始めた。彼の顔も男らしくなって、身長も伸びたり筋肉も付いてきたりして、かっこよくなっているんだろうなぁなんて。


 これじゃあまるで恋煩いみたいで恥ずかしかったけど、いや私の目的は牛だからとかいって気を紛らわせたりしてね。


 そうして戦争が終わり、待ちに待った彼の家へと向かうことに決めた。


 戦争が起き、二年もの月日が経つとこれほど外の世界は変わってしまうのか。そう衝撃を受けた。


 東エルディアは大きな被害を受けていなかったが、国境を越えた外の景色はまるで異世界へと変わっていた。あの頃あった一面のお花畑は見る影もないほどに枯れ果てていて、どこか違う国に迷い込んでしまったのかと思うほどだった。私は不安を抑えきれなかったものの、アランの家へと歩を進めた。


 歩けど歩けど、あたり一面はずっと枯れた花ばかりが地面に生えていた。それから歩き続けてアランの家のあたりにまで到着した。


「ここのはずなんだけど」


 アランの家の近くには大きな木が生えていて、それがトレードマークのようになっていた。それを当たりにつけて歩いてきたが、有るべきところに有るはずのものがない。


 跡形もなく、アランの家はなくなっていた。がれきが残っているわけでもなく、最初からそこには何もなかったかのように。


 でも、そばにはあの木が残っている。だから私の覚えているアランの家は存在していたはず。なのに、ない。何もない。どうして家がないの。ここにないといけない家がない。


 あの日々は幻想だった。そんなはずはない。そんなことはありえない。どうしてどうして。


 私は悲しさのあまり俯いた。そして、しゃがみ込むと声を上げて泣いた。


 アランはどこに行ってしまったの? あの牛たちは一体どこに消えたの? 私はどこに向かえばいいの。思いが止まらなかった。考えないようにしていた最悪のパターンが頭をもたげた。でも、具体的には考えたくなかった。


 どれだけの時間その場でうずくまっていただろうか。数時間にも及んでいたような気がした。そのときふと耳が音をとらえた。女の人の声だった。私はその姿を見ようと顔を上げた。


「わー、ずいぶんと泣いちゃってねぇ、お嬢さんここの子じゃないでしょう? どうしたのこんなところで」


 見覚えのないおばあさんが、そこに立っていた。私は急いで両目の涙を拭いて立ち上がった。色々聞かなければならないことがある。


「すみません、ここにあったお家ってどうしたかわかりますか?」


 私は恐る恐るではありながらも思い切って聞いてみた。最悪の覚悟をして。


「ああ、ここの家は戦争の被害を真っ先に受けてねぇ。一年くらい前にはもう更地になってたよ」


 私は口をパクパクとさせて、上手く言葉を返すことができなかった。しばらくその状態であったために不審に思ったのか、おばあさんは踵を返してどこかへと去っていった。


 もうここからは何も考えることができず、とぼとぼと家路へと足を向けた。


 私はそれからというもの、一週間おきにアランの家に向かったの。いつも同じ時間に、あの大きな木の下に背中を預けて。時間は彼と初めて出会った時だったな。その時間であれば、彼もそこに姿を現してくれる。そう祈ってね。


 でも、アランは姿を現さなかった。私も心では彼を待ち続けていたつもりだったけど、心の奥底では少し諦めていたのかもしれない。半年くらいこれを続けていたら、徐々に「もう意味なんてないかもしれない」っていう気持ちになり始めていたの。


 半年経って、一年が経っていくと一週間おきが二週間おきになって、三年が経つ頃には一か月おきになっていたわ。それでも行き続けていたのは、どうしても一縷の望みに掛けたかったのでしょうね。


 そうして、五年もの時が流れた。


 私はこれで最後にしようと思って、もし今回でアランに再会できなかったら彼のことは諦めるという思いで大きな木の下に向かったわ。そうだなぁ、あのときは確か、アランと初めて会った頃に作った花飾りを髪に挿して行ったの。それなら、彼も私のことを見つけやすくなるだろうと思ったから。




「そういえば、あの時の花飾りってなんで枯れてなかったんだろ。七年も経ってたら普通枯れそうなものなのにね。よくわかんないけど、当時の西エルディアは変な技術でも使ってたんじゃないかなぁ」


「そっか。それで、続きは?」


「え、もう良いじゃないの。もう夜の十時だよ」


 え、と思って時計を見た。あ、ほんとだ。これでエミリーに追いついた。やった! エミリーに勝った!


「いや、違うよ。お話の続きはどうなのさ」


「えーやだよ、恥ずかしいし」


 ちょっと待って。ここで話を切る人がいるの? え、なんでよ。えーは? はい?


「なんでよ、話してよ。なんでそんなところで話切っちゃうの。そんな変なところで切るなら最初から話さないでよ。起きてたいからお話してとは言ったけど、まさか変なところで切って先が気になったまま終わられるとは思ってないよ。こんなんじゃ全然幸せな気分になれないよ!」


 わたしがここまでおかあさん相手に怒ったのは初めてかも。でもまさかここまで半端なことするとは思わないよ。わけわかんない。


「ご、ごめんね。うーん、じゃあおとうさんに聞いてよ。私はこれから口を閉じます」


「ちょ、なんでよ。おとうさんが知ってるの? なんでおかあさんが話してくれないの」


「私にも羞恥心がありますからね。おとうさんはわたしより詳しいから。彼に聞いてよね」


 もう信じられない。おかあさんがこんな人だとは思わなかった。おとうさんだけでなくおかあさんもこんなにも酷い人だったなんて。


 わたしは話の続きがどうしても気になったので、おとうさんを叩き起こすことに決めた。


「おとうさん、起きて!」


 わたしがバンバンおとうさんの肩を叩いてそう言っていると、横からおかあさんのクスクス笑う声が聞こえてきた。なんなのもう。意味わかんない!


「おとうさん起きてよー」


 なおも肩を叩き続けていると、おとうさんは目が覚めたのか「うぅ」と唸り始めた。わたしはそれから期待を込めてまじまじと見つめていると、おとうさんの口が開くのが見えた。


「明日にしてよ」


 おとうさんもかあああああああ!

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