44話:妖討伐③



 ソレ、は突然現れた。

 

 

「報告します! 森の奥の湿地帯で討伐対象のあやかしを発見し、現在先遣隊せんけんたいが交戦中。ですが……」

「どうした、何かあったのか?」


 報告の途中で将軍の表情が曇る。

 

 

「見つけた妖はかなりの妖力らしく、苦戦しているとのことです」

「ではすぐに増援を送れ。それともし現場で早急な判断が必要な場合は、お前の考えで進めていい。報告も後回しでいいから、とにかく余計な被害を出さないようにしろ」


 自慢ではないが蒼翠そうすいに軍兵を指揮する能力はない。兵法を学んで、下手に謀反を疑われても困るので、逆に遠ざけてきたぐらいだ。ゆえにこういう場合は経験も実力もある将軍に指揮を任せるべきだ。


「ハッ」


 

 蒼翠に指揮・采配を委ねられた将軍が足早に去っていく。その背をじっと見ていた蒼翠だったが。

 

 ――なんか……いやな感じがする。

 

 

 不意に妙な直感を覚え、わずかに眉を顰めた。

 






 蒼翠の予感は当たった。


「嘘だろ? 黒邪軍こくじゃぐん邪界じゃかいの精鋭部隊だぞ」


 定期報告から二刻ほど経った後、再び訪れた将軍から援軍が全滅した告げられ、蒼翠は膝から崩れそうなほどの動揺を覚えた。

 

「そんな者たちがあっさり倒されるなんて……」


 天幕内が緊張と焦燥に包まれる。



「蒼翠様……いかがなされましょうか」



 将軍が蒼翠に指示を仰ぐということは、それだけ緊急事態を意味する。つまり撤退も視野に入れるべきだということだ。

 だが、これは邪君じゃくん勅命ちょくめい。撤退すれば蒼翠の評価が落ちることは当然の話として、おそらく黒邪軍を率いるこの将軍は責を負わされ死を命じられるだろう。


 ――もしこれがドラマの蒼翠だったら自分の名声のため、最後の一人になるまで戦ってこいと命令するんだろうな。

 

 

「お前たちほどの者たちを窮地に追い込むなんて、一体どんな妖だ?」

「それが……」

「何を迷っている。緊急事態だ、不確定な情報でもいいからさっさと言え」

「はっ……それが、報告によると幻の龍によく似た妖だと」

「は? 龍っ?」



 その言葉に蒼翠は驚愕を隠せなかった。

 まさか龍だなんて。そんなバカな。

 

 黒龍族こくりゅうぞく白龍族はくりゅうぞく。二つの国は龍の名を名乗っているが、本物の龍になれる者はいない。今代の邪君や聖君せいくんですらも龍化は不可能だ。

 太古の昔、龍族の祖先が龍体であった記録はあるが、長い歴史で進化と退化を繰り返すうちに大半の者が本来の姿と力を失い、人型でしかいられなくなったと書物にも記されている。


 が、ただそれが絶対かといえばそういうわけでもない。

 一応、龍族共通の歴史によれば、数千年に一度、高い資質と霊力を有する者が時折祖先の血を蘇らせることがあるとの話もある。それゆえ龍化を成し遂げる者は、奇跡とも幻とも呼ばれる。



 ――もしや本当にその数千年に一度の存在が現れたのか?

 ――いや、でもそんなはずは。

 


 金龍聖君こんりゅうせいくんのドラマ内でも御伽噺おとぎばなしのような扱いで話だけ出てはきたものの、そのような人物は最終回まで存在しなかった。主人公である無風ですら龍化は成し遂げなかったのだ。

 だからそんなことあるはずがない。



 ――でも、もしも。

 ――もしも妖が本当に龍だったならば。




 龍は王の力を遥かに凌ぐ存在。そんな伝説が相手ならいくら黒邪軍とはいえ太刀打ちできなくても仕方がないと、邪君は判断するかもしれない。それに物は言いようだ。邪君に叱責されたら『古より奇跡と呼ばれる龍を、邪君の命令なく傷つけるのは憚られた』と言い訳をすればいい。



 ――とにかくどちらに転ぶか分からないけど、今の俺ができることは一つしかないな。


 

 蒼翠は長椅子から立ち上がると、真摯な面持ちで将軍を見た。


 

「分かった。俺が出よう」

「蒼翠様がですかっ?」

「もし本当に妖が龍であるなら、討伐の是非は邪君に委ねなければならない」



 そのためには蒼翠自身が、自分の目で確認する必要がある。そう説明すると将軍は蒼翠の考えを読み取り、頭を下げた。

 


「承知いたしました。では私が護衛を務めましょう」

「頼んだ。では四半刻後に天幕の前で」


 蒼翠からの指示を受け取った将軍が頭を下げ、外に出ていく。

 その姿を見つめる蒼翠の手は、自らの意思と関係なく勝手に震えた。

 本心を言うなら怖い。

 でも皇子として、責任者として行かなければならない。

 覚悟を決め、蒼翠は長椅子の横に置かれた一振りの剣を手に取った。

 

 

 蒼翠の瞳と同じ色の韓紅かんこうの柄に、翼を広げる鳳凰が彫られた細長いこの剣は、邪君から成人の儀で与えられたもの。第八皇子という立場的に実戦で使うことはほぼないが、それでも常に身近に置いておかなければ不敬と罵られるほど価値のあるものだ。


 

 ――まさかこれを使う日が来るとはな……。

 


 今回も隣に飾って終わるだろうと思った剣を握りしめる。

 そこでようやく無風の声が耳に届いた。



「蒼翠様っ!」

「え? あ……どうした?」

「私もお連れください!」



 鬼気迫った表情の無風に開口一番で懇願されたが、蒼翠はすぐに目を逸らした。

 きっと言ってくると思った。



「ダメだ」

「どうしてです! 蒼翠様が戦場に行かれるのに、私一人で待っているなんてできません!」

「お前は武官ではない。従者を危険な場所に連れて行くことはできない」


 兵以外の者を戦地に連れて行っていけないという掟はない。けれどこの妖討伐は金龍聖君のドラマ本編でも描かれなかったエピソードだ。蒼翠自身も結果がどうなるか読めないゆえ、そんな場所に将来の聖君である無風を連れて行くわけにはいかない。

 しかし無風は納得してくれなかった。



「危険な場所ならなおさらのことです! 従者は主を守るためにいるもの。時にはこの命をも捧げるのも役目です!」

「お前の主務は俺の世話だ。それ以外の役目は与えた覚えはない」

「ですが蒼翠さ――――」

「とにかく! お前の同行は許さない。俺が戻ってくるまで、ここにいろ」


 普段つかわないような強い言葉で訴えを遮ると、無風は驚いたように目を丸めた。



「それに、ここへくる前にお前自身が誓っただろう。俺の命令は絶対に聞くと。お前はそれを違えるのか?」 

「っ……」



 屋敷で交わした約束を出され、無風が勢いを失う。

 卑怯かもしれないが、こうでも言わないと無風は絶対についてくるから仕方がなかった。



「大丈夫、ちゃんと戻ってくるから」



 自分には無風とまだやりたいことがたくさんある。だからこんなところで死んでなんていられない。



「蒼……翠様」

「戻ってきたら湯を浴びて、酒でも飲みながらゆっくりするつもりだから用意して待っててくれ」



 つまみは無風特製の揚げ魚の甘酢餡かけがいい。

 できれば喧嘩したまま出て行きたくないと、蒼翠は明るい口調と笑顔を浮かべる。そうして天幕を後にしたが、無風が後についてくる気配はなかった。


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