82ストライク お戯れはほどほどに


 ヘイムがボールをリリースした瞬間、俺は自身の全ての集中力をその一点に注ぎ込んだ。


 ヘイムは自分のスキルの力にかまけている。

 だから、ボールをコントロールしてコースを突くという野球において基本的な技術は持ち合わせていないだろう。それについては彼の体の使い方を見れば一目瞭然だし、加えてこの"インビジブルショット"というスキルはユリアやラル、ジルベルトのそれとは違って単にボールの姿を消すだけであり、こちらが魔力を使わずとも打ち返せる程度の威力しかない事は先ほど確認済みだ。

 それなら、俺がするべき事は一つだけ……彼の体の動きからボールの行末を予測して、バットを振り抜くのみ。


 そう結論づけた俺は長年培った経験を活かし、ヘイムの体の動きを見極めていく。

 リリースポイント、肘の角度、上半身の傾きやしなり具合、膝の角度とつま先の位置、腕の振り抜き度合い……目に視えるありとあらゆる情報から放たれたと思われるボールの軌道を、瞬時に分析し視界の中に思い描いていった。

 不思議だったのは、想像したとおりの軌道にボールの存在を感じる事ができた事だ。神眼も魔眼も、魔力感知だって展開していないはずなのに、しっかりと軌道上のボールを感じる事ができるのはここが異世界だからだろうか。以前の世界ならば、こんな事をしてもあくまでも想像と推測の域を出なかったはずなのに、もしかすると自分の知らない物理的な……いや何らかの理が働いているとか……

 まぁ、そんな事を考えても意味がないとわかっている。今は確実にこのボールを捉えて打ち抜くだけだ。


 俺は無意識にタイミングを取り、軸となる右足を固定してテイクバックを行った。ボールは目には視えないが、間もなくミートポイントに到達するはずだ。それを確信して乗せた体重を無駄なく移動させ、左足を地面に着地させる。体重移動によって生じる運動エネルギーをバットの動きに乗せ、グリップエンドを向かってくるボールに対してぶつけるように自身の肩口からバットを出していく。

※グリップエンドとは、バットの握る部分であるグリップの下の先端の事


 そのまま、完璧なタイミングでバットがミートポイントに到達すると同時に、ずしりと重い感触が手に伝わってくる。予測通り、ボールの軌道を読み切ったのだ。あとはこれを力の限りに打ち返すだけ……

 フォールスルーを意識してボールを前に押し込むイメージを持つ。インパクトの瞬間はほんの一瞬だが、ボールとバットがくっ付いているようなイメージを持つ事が大切だ。

 そうして、俺は思い切りバットを振り抜いた。

 透き通った打撃音が耳に心地よく響き渡り、軽くなったバットをそのまま大きくフォールスローする。その先端が地面にコツンと当たると同時に、俺はボールの行末を見守った。

 打ち返されたボールは高々と大きな弧を描き、グラウンドを囲うように設置された背の高いネットフェンスを軽々と超えていく。



「よし……っ!!」



 魔力無しでもホームランが打てたその事実に、俺は小さくガッツポーズをする。一方で、打たれたヘイムは状況を飲み込めず、ポカンと口を開けたままこちらを見ている。



「1本目はソフィアさんの勝ちですね。」



 受付嬢のマリーがいつのまにか俺たち2人の間に立ってそう告げる。



「な……!ちょっ……ちょっと待て!今のは何かの間違いだ!」


「間違い?私にはそうは見えませんでしたが……とりあえず、時間がもったいないのでさっさと2本目を始めてくださいますか?」



 マリーが慌てて詰め寄るヘイムに構う事はなかった。淡々とそう告げられて言葉を失い、ヘイムは悔しがりながらも肩を落として渋々と打席へと向かう。その様子を見て、俺もバットを地面に置くとマウンドへと歩き出す。



「ソフィアさん……でしたか?次は出し惜しみせずにお願いしますね。」



 前を通るタイミングでマリーが俺にそう微笑んだ。何となくその言葉の真意に気づいたが、余計なことは言うまいと素直に頷いておく。そうして歩いていると、今度はヘイムがすれ違い様にぼそっと呟いた。



「イカサマ野郎が……」



 大の大人が、まだ中学生ほどの少女に向かって"イカサマ野郎"と罵るのは如何なものか。その言葉を投げかけた相手が俺自身でなく別の誰かだったら、俺はヘイムに詰め寄って胸ぐらを掴み罵倒したであろう。だが、今の言葉は間違いなく俺へ向けられた賛辞の言葉だった。

 自然と笑みが溢れてしまう。

 俺の手のひらの上で踊らされているヘイムを想像して、ニヤニヤが止まらなくなる。



 マウンドに着き、落ち着きを取り戻そうと深呼吸をする。足元に落ちていた無数の穴が空いたベスボル専用のボールは、持ち上げると野球のそれよりも少しだけ軽い。それを握り締めて打席へと視線を向ければ、歯を食いしばって素振りをするヘイムの姿が見える。



(さすがに振り慣れてはいる……か。しかしまぁ、スイングに鋭さはないなぁ。)

 


 ヘイムを品定めしながら、ポケットに忍ばせていたロジンバッグに触れていると、Sゾーンから開始の合図が鳴り響いた。



「おじさん!スキル有り無し、どっちがいい!?」



 俺の言葉にヘイムの顔色がみるみると赤く染まる。



「あぁ!?てめぇ、どこまで俺を舐めてやがんだ!全力でこいやぁ!!」


「オーケーオーケー!なら、魔力無しでいくね!」


「は……?ふっざけんな!!このアマ……!!!」



 怒り狂うヘイムを見て、俺は口元で笑みを堪えながら大きく振りかぶった。冷静さを欠いたヘイムが歯を食いしばり、バットを持つ両手を更に強く握り締める様子を嘲笑いながら、左足を高く上げてこう叫ぶ。



「いくぜぇぇ!!魔球"ストレート"だぁぁぁ!!」



 笑いながら俺は、Sゾーンのど真ん中に最高級の直球を放り込んだ。

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