第二章 少年期 合縁奇縁
71ストライク 夢、後悔、間一髪
「ハァハァ……にゃんでこんな事に……」
ミアは息も切れ切れにそう呟いた。
綺麗なダークブラウンのショートヘア、その間から見え隠れする獣人族特有の耳とお尻の上辺りから伸びる尻尾を携えた彼女は、薄暗い森の中を一人で駆けている。草木をかき分け、木々を飛び越えて軽快に走るミアであったが、その表情はあまり明るくない。その理由は、自分の後方から忍び寄る不穏な影にあった。
足には自信がある方だけれど、この逃亡劇によりすでに数時間近くスキルを酷使してしまっており、魔力も体力も限界に近い。もちろん、戦う選択肢もあったけれど、選んだのは逃げの一手だった。自分の脚力を慢心していたのかもしれないと、今更ながらに反省するがそれには少し遅すぎたかもしれない。里では走れば負けなしの自分でも、一歩外へと踏み出せば上には上がいる事を思い知らされた。
「ハァハァ……姿は見えないけど、確実にあたしを追い詰めにきているにゃ……」
チラリと後ろを窺うが、魔物の姿は見えない。しかし、追ってきている事がミアにでもわかるほど、その存在感は大きい。
自分を追い狙うのは、狼型の魔物であるブラッディウルフ。奴は狩りが非常に上手く、狙った獲物は決して逃さない事で有名な魔物だ。それに相手にとって、この森はホームグラウンドも同然。熟知した庭であり、わざと気配を消さずに追ってくるのは、自分に逃げ場はないと暗に伝えるため……心を折り、逃げる事を諦めさせる為だろうと、ミアはそう理解していた。
(絶対にそんな事にはならないにゃ……)
ミアも諦めるつもりはさらさらない。だが、その追いかけっこも突然終わりを迎える。後方に意識を向け過ぎていた為に、足元の盛り上がった木の幹に気づけなかったのだ。
「ひぎにゃっっっっ!!」
突然、目の前に現れた巨大な壁。
気づけば地面に顔から倒れ込み、同時に鼻に熱いものを感じ取る。
「痛だだだ……にゃ〜んでそんな所に……あっ……!」
強く打った鼻からは血が滴るが、ミアはそんな事よりも先に目の前に現れた魔物に意識を向けた。
真っ黒なその巨躯はミアの2倍以上はあるだろう。それに大きな口からは滴る涎と、獣特有の大きな牙が見てとれる。威嚇と愉悦の混じった唸り声には魔力が含まれていて、こちらの戦意を削ぎ落とそうと耳の中で鳴り響いている。自分の頭蓋が最も簡単に噛み砕かれる未来を想像して、ミアは身震いしながら自身を抱き締めた。
襲いかかる最適な距離とタイミングを測る様に、ブラッディウルフがジリジリと距離を詰めてくる。
(やばいにゃ……夢を叶えるとか言って里を飛び出したのに、こんなところで死んじゃうにゃ……)
ミアの夢はベスボル選手になる事だった。
獣人族身体能力が高い事で有名な種族で、それを活かしてベスボルの選手になる者は意外と多い。実際に現役で活躍している選手もいる為、彼らに憧れを持つ獣人族も少なからず存在している。ミアもそんな夢見る子供の一人だったが、彼女には他の獣人族と比べて劣る部分があり、里では常に笑いの種だった。
獣人族は、単なる身体能力だけなら存在する種族の中で1位2位を争うほどに強い。しかし、ミアはそんな獣人族の中でも能力のほとんどが劣っている落ちこぼれ。夢を語り、バカにされ、怒りに任せて里を飛び出した。12歳から選手登録ができる事を知り、ベスボル協会があるアネモスを目指して一人旅を続けてきたが、それもこれまでのようだ。
(里のみんなを見返したかったにゃ……あたしだってやればできるって事、見て欲しかったにゃ……)
走馬灯のように浮かんだのは父と母の優しい笑顔、そして、兄妹たちとの楽しかった思い出の数々……
(なんてバカな事をしたにゃ……父ちゃん、母ちゃん、みんな……)
目を瞑ったミアを見て、ブラッディウルフはまるで笑うかのように口角を上げる。相手が諦めたと理解したのだ。こうなってしまえば、あとは喉笛を噛み切り、トドメを指してご馳走にありつくだけ。ゆっくりとミアに近づく様子からは、そんな意図が見て取れた。
目の前で聞こえる獣特有の息遣い。生臭さが鼻をつき、ミアの恐怖心をさらに煽る。
「助けてにゃ……!」
ミアが小さく上げた悲鳴を合図に、ブラッディウルフが大きく牙を剥き出して襲いかかった。
「…………っ!」
祈る様にうずくまるミア。
だが、その凶牙が届く寸前に風を切り裂く音が鳴り、ブラッディウルフが悲鳴を上げた。何が起きたのかと驚いたミアがとっさに目を開けると、目の前には左目に矢のような物が突き刺さり、怯むブラッディウルフの姿があった。
(え……?何が起きたのにゃ……?)
混乱するミアとは裏腹に、ブラッディウルフは矢が飛んで来たと思われる方向を残った右目で鋭く睨みつける。そして、威嚇する様に唸りと咆哮を上げるが、今度は別の方向から矢が飛んできて彼の背中へと突き刺さった。
何度も何度も……ブラッディウルフが矢の発射元に目を向ける度に、それを嘲笑うかの様に別の方向から矢が飛んでくる様子に、ミアはその場にしゃがみ込んだまま驚く事しかできなかった。
すでに、ブラッディウルフの体には無数の矢が突き刺さっており、その姿はハリネズミを連想させた。
歩く事も吠える事もままならない状態で、なんとかこの場から逃げ出そうと体を引きずる目の前の魔物の様子に、ミアの恐怖心が同情心に変わる。
そして、弱々しく、まるで蚊が泣く様な声を垂れ流すブラッディウルフの眉間に、彼の人生に終止符を打つ一撃が音もなく突き刺さった。
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