エピローグ


「……あれ?私はいったい何を……?」



 ハッとして我に返ったユリアは、いつの間にか自分がベンチに座っている事に気がついた。

 さっきまで父であるマルクスと話していたはずだが……思い出そうとしても、頭の奥が霞んでいるような感覚に見舞われてうまく思い出せない。ソフィアがタイムを取ったので双方ベンチへ戻ったところまでは覚えているのに、なぜかその後の記憶が曖昧だ。

 首を傾げて考え込んでいると、ユリアは場内に異様な響めきが蔓延している事に気がつき、ふとソフィアのベンチの様子を窺ってみる。

 だが、ベンチはもぬけの殻で誰もいない。



(……え?なんで誰もいないの?)



 まだ試合中であるはずなのに、ソフィアたちはいったいどこへ行ったのか……

 だが、状況が飲み込めずにいる自分とは裏腹に、観客たちのほとんどが皆同じ方向を見ているようだ。いったい観客らは何を見ているのかと、ユリアも釣られるように自然とそちらの方へ視線が動く。



(あ……あれは……救護班?なんで……)



 追った視線の先では、真っ白な服に身を包んだ者たちがしゃがみ込んで何かを行っている。しかも、その周りでは心配そうに彼らの作業を覗き込むスーザンたちの姿があり、その様子を見た瞬間、自分の中で鼓動が大きく弾けた気がした。

 隙間から見えるのは確実にソフィアだ。横たわり、救護班の処置を受けているようだが、自分にはいったい何が起きたのか全くをもって理解ができない。



(ちょっと待ってよ……なんであいつがあそこに倒れて……)



 頭をフル回転させて記憶を辿ろうと試みるが、やっぱり何も思い出す事ができないのに、それでもなぜか得体の知れない不安が心を覆っていく感覚に、自分自身の体を抱きしめた。



「ユリア様、お見事でした。」



 突然、後ろからメフィアにそう告げられたが、その意味が理解し難くてすぐさま振り返る。



「メフィア……それはいったいどういう意味なの?」



 真剣な眼差しで使用人のエルフを睨みつけてみるが、彼女は澄ました表情を崩す事なく、淡々と起きた出来事を話していく。

 

 

「いえいえ、見事な打席だったという事です。魔力をよく練り込んだスイングで、的確にボールを捉えていましたから。まぁ……その後に起こった事故は不幸としか言いようがありませんが……」



 彼女の言い方は相変わらず感情が読み取れないから、褒められている気がしない。それに"事故"とはいったい……


 だが、そこまで考えてすぐにハッとした。

 さっきまで憎たらしいほどピンピンしていたソフィアが、今は外野で横たわったまま救護班の治療を受けている。そこから考えられるのは、ソフィアは自分の打球でああなってしまったという事だ。

 だが、冷静に考えれば自分にその記憶がないのはおかしかった。もしも本当に自分の打球が彼女に当たったのなら、何事もなかったようにここに座っているはずはない。公爵家令嬢だからと言っても、ベスボルに関してはそこまで冷徹であるつもりはないし、相手へのリスペクトはスポーツ選手として忘れてはならない事だから。


 ならば、なぜ自分は平然とここに座っていたのだろうか。なぜどんなスキルで打ち返したのか覚えていないのだろうか。

 思い出そうとしても、ぽっかり穴が空いた様にそこだけ思い出す事ができなかった。


 ちらりとゲイリーに視線を向ける。

 そういえば、さっきほどから父もゲイリーも一言も発していないのもおかしい。二人ともどこか気まずいといった雰囲気を醸し出している様にも見える。

 そう感じたユリアは、再びメフィアへと視線を向ける。相変わらず、澄ました表情でいるメフィアは、ユリアの視線に気づいてニコリと笑う。

 ユリアはメフィアの事はよく知らない。父専属の従者であるとは聞いているが、彼女が何をしているのかは聞いていないし、聞かされてもいない。

 ただ、得体の知れない不気味な印象ではあった。だからこそ、彼女に対する疑念が浮かぶ。だが、ユリアが口を開こうとしたところで、突然マルクスが立ち上がった。

 


「ユリア、この試合は相手の棄権により我々の勝利が決まった。最後まで戦えなかったのはとても残念だが……スポーツには事故は付きものだからな。しかし、あれで死なないとはよほど"幸運"の持ち主なのか……まぁ、大事に至らなくてよかったじゃないか。」



 皮肉めいた口振りでマルクスは鼻で笑う。まるで父は、あの程度で済んで"残念"だと言っている様にユリアには感じられた。



「お父様!ですが、これは……」


「だまれ……」



 父の視線に息を飲み、ユリアは言いかけた言葉を飲み込んだ。今までに見せた事がないその冷たく、乾いた視線に気圧されて。



「陛下がお呼びだ。ゲイリー……後の事は任せる。」



 マルクスはそう告げると、踵を返すように裏へと消えていった。父の迫力に気圧されたユリアは何もいう事ができずに、まるで固まってしまった様に動けないでいる。そんな放心したままのユリアの手を取って、メフィアはマルクスの後に続いた。

 残されたゲイリーは外野へと視線を移し、担架で運ばれていくソフィアとそれに追従するスーザンたちを見て大きなため息をつく。


 場内の響めきは静まりそうにない。

 何とも言い難い思いを抱いたまま、彼はスーザンらの後を追った。


ーーー

第一章 イクシードの女の子 完

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