66ストライク 打席の結果


 静まり返った競技場。


 いったい自分たちの目の前で何が起こったのか……観客たちも実況者も皆が理解できずにいる中で、バットを握る両手の痛みを堪えながら、俺はボールが飛んでいった行く先を見据えている。

 一方で、マウンドでは俺と同じようにその行方を追っていたユリアが、言葉を失ったままバックスタンドを見つめている。

 俺たち二人の視線の先にあるのは、観客席とグラウンドを隔てている壁の延長線上ーーー壁の最上部から約数十メートルほどの高さの位置にできた、ボールとほぼ同じ大きさの穴だった。そこには、まるで透明な壁があるかのように無数のヒビが広がっていて、破壊された透明な壁から漏れ出した魔力と空気が干渉し合い、パチパチと音を立てている様子が窺える。




ーーー先ほどの1打席の結果がどうなったのか……


 それを説明するには、まずベスボルのルールとスタジアムの仕様について説明しておかなければならない。

 ベスボルにおける得点ルールは、野球とほとんど同じであると考えていい。攻撃側はスキルを駆使して塁に出て、ランナーをホームに返すことで点を得る他に、ホームランという絶対的な得点ケースもちゃんと存在している。

 もちろん、守備側もスキルを使ってボールの進路を妨害しアウトを取りにくる為、ホームランを打つ為にはそれらの妨害を跳ね除けていかねばならないが、もう一つ最後に越えなければならない関門があるのだ。

 それは、ベスボルが行われるスタジアムなら絶対に設置されている特殊な壁ーーー観客らを選手のスキルから守るなど、安全性を保つ為の重要な役割を担う"魔力障壁"であった。


 この魔力障壁の意義を考えれば、プロのベスボル選手たちでさえ簡単に超えられない事は明白である。

 現にベスボル界の歴史において、リーグ戦で二桁以上のホームランを記録した者は未だかつておらず、打てる者はどの時代においても一人、もしくは二人程度しか存在していない。


 それを踏まえた上で今回の結果を見てみれば、何が起きたのかはすぐに理解できるだろう。魔力障壁に空けられた穴は、ソフィアの渾身の一振りによって打ち返された打球の通り道。ユリアが放った一投に対して、ソフィアがこれ以上ない形で残した歴史的な痕跡なのだ。



『まさかの……ホ……ホームラン!!ここにきて、イクシード選手による特大ホームランです!!』



 動揺が混じった声色で叫ぶ実況の言葉に対して、競技場内はいまだに静まり返っている。

 それもそのはずだろう。自分たちが応援していたユリアが、どこの馬の骨かもわからない庶民に打たれたのだ。彼女が負ける事を想像していない連中にとって、この状況は理解し難いものだろう。

 それに加えて、俺が打ったボールは頭めがけて飛んできたまさに悪球であり、それを普通では考えられない打撃技法で完璧に打ち返したんだ。

 皆が驚いても不思議ではない。

 そんな周りの様子を窺いつつ、俺はゆっくりと駆け足でベースを周り始めた。





『イ……イクシード選手はいったい何をしているんでしょうか。』



 突然、バットを置いてベースを周り始めたソフィアの行動に、実況が困惑している。そんな実況の言葉に対して、解説のシード=ユリウスも首を横に振った。

 確かに、ソフィアが何をしているのかはよくわからない。だが、いまはそんな事はどうでもいい。



(やはりだ……やはり思った通りの逸材だった!)



 ベースをゆっくりと周っている少女こそ、自分が探し求めていた逸材。ユリアの教育権はゲイリーに越されてしまったが、そのユリアよりも可能性を秘めた逸材をやっと見つけることができた。

 だが、この舞台は大き過ぎる。

 多くの観客の目はおろか、皇帝にまで見られてしまっているのだ。このままでは、ソフィアの指導権を帝国に取られかねない。



(イクシードは俺のものだ……誰にも渡さんぞ……)



 シードが心の中でそう誓っていた事は、今は誰も知る由はない。





 ホームランを打った者でしか歩めない勝者の道。

 場内の全ての視線を奪い去る勝者の時間。

 至福の時間。

 まさに"ダイヤモンドロード"。


 言葉では言い表せない喜びを噛み締めながら、俺はゆっくりとベースからベースへと渡り歩き、そのまま元の位置まで戻ってきてホームベースを踏みつける。

 地面に置いたバットを再び拾い上げ、ふとユリアへ視線を向けると、彼女はなぜかめちゃくちゃ訝しげな表情を浮かべていた。



「あんた……何のつもり?」


「え……?ホームランだったから、ベースを周っただけだけど……」



 あれ?もしかして、ベスボルではそういうルールはないのか?



「嫌がらせって訳ね……勝ち誇ったように私の周りをぐるぐると……ムカつくわね。」


「いや……そういうつもりじゃ……」



 やっぱり、一周する必要はないのか。細かいところは野球とは違うんだな。しかも、ユリアがめちゃくちゃ怒ってるし、もしかしてマナー違反だったかなぁ……

 だけど、この様子なら心配なさそうだと俺は内心でホッとした。

 特大のホームランを打たれてもなお、彼女の中で戦う意思は消えていないとわかったからだ。彼女にしてみても、このまま負けて終われるはずもない。父親の期待に応えたいのか叶えたい夢があるのかは今の俺が知る由もないが、彼女は譲れない何かを心に秘めている。



「私はまだ負けてないわ!たかが一点……一点を取られただけだもの!それにあんたのその手、今ので魔力をほとんど使い果たしたんじゃない?」


「え……?」



 突然のユリアの指摘に驚いて、自分の両手に目を落とした。確かに両手が小刻みに震えていて、それに少しだが倦怠感と脱力感も感じられる。手を握って力を込めても思うようにも出せないし、こんな感覚は今まで体験した事がなく、俺は驚きを隠せなかった。



(もしかして……これはさっき発動した右眼のせい……?)



 ユリアのボールを打ち返す際、突如発動した右眼の力。

 発動条件もどんな能力なのかもわからないままだが、原因があるとすればそれしか考えられない。

 だが、一度発動しただけで燃料切れを起こすなんてことがあり得るのだろうかと疑問に思い、周りにバレないように左眼に魔力を集めてみたが確かに神眼が発動できなかった。



(これは……このイニングは、もうお手上げかな……)



 正直、左眼が使えないなら今の俺にはユリアのスキルが乗ったボールを打ち返す術はない。もちろん、自分が投げる時に魔力は使っていないから投球にはあまり支障はないと思うが……

 なんにせよ、この回はこれで終わりにしよう。これ以上やっても俺が追加点を取ることは不可能なんだし、一点はリードできた訳だ。無駄な体力を使う必要もないし、ここは切り上げて最後のイニングでユリアと最後の勝負をおもいっきりしようじゃないか。

 そう考えて、俺はユリアに提案を持ち掛ける。



「そうみたいだね。う~ん、そうなると、ソフィアはもうあなたのボールを打ち返せないんだけど、このイニングはこれで終わりにしてもいいかなぁ。」


「その余裕もマジでむかつくわね。でもいいわ……その提案に乗ってあげる。主審!!いいかしら?」



 ユリアはそう告げると、審判席で待機する主審に声をかけた。

 ベスボルでは基本的に全てが自動で行われるため、野球でよく見る主審や塁審はグラウンド上にはいない。ベスボルにおける彼らは、試合中は専用の席で待機しており、自動判定の真偽を選手から求められた場合に状況を分析し、相応な判断を下すなどのサポート役となるのである。

 そんな彼らの一人にユリアが状況を説明すると、問題なくこのインニングの終了が承諾され、攻守交替の合図がSゾーンから鳴り響く。



「私は次の回、あんたのそのくだらないボールを絶対に打つわ……だから、覚悟していなさい。」



 ベンチへの帰り際に、ユリアからそう宣言されて、俺は笑みがこぼれてしまう。

 やっぱり、まだ心は折れていないみたいだな。それに、こっちとしても次のイニングでは俺の変化球にちゃんと対応してもらわないと俺だって困るんだよね。


 

「うん!次が最後で名残惜しいけど、お互いに精一杯勝負しようね。」



 俺の言葉には表情すら変えず、ユリアは鼻を鳴らすとベンチへ戻っていった。

 その背を見送りながら、俺はもう一度自分の手に視線を落とす。



「この握力でどこまで投げられるかわからないけど……ユリアの為にも手は抜けないよな。」



 そう呟いて、俺はほとんど握力の入らない右手を握り締め直した。

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