67ストライク 因縁


「陛下……少し失礼いたします。」



 マルクス=プリベイルは、皇帝トウサへそう断りを入れると観戦用のテラスを後にした。

 通路に出たその足が目指す先はもちろん娘のいるベンチであり、その歩く速度からは彼がどれだけ怒りを溜め込んでいるかが理解できた。

 次は最後のイニングだ。それなのに、娘はこともあろう事に相手にリードを許す始末。


 

 「あのバカ娘がぁぁぁぁぁ!」



 怒りを吐き出しながら、通路の端に置いてあった鑑賞用の壺に八つ当たりをする。

 もちろん、この競技場は歴代の皇帝自ら設計したこともあり、装飾品もなかなか高価な物が使われているのだが、今の彼にとってそんな事はどうでもいい。

 大きな音とともに粉々に砕ける壺には見向きすらせず、その歩みを進めるマルクスだったが、突然後ろからかけられた声にはつい足を止めてしまった。



「待て、マルクス……」


「……ちっ……ヨハン=ジャスティス殿。何か御用でしょうかな?私は今、忙しいのです。」



 振り向くことなく、そう冷静さを装うマルクスに対して、ヨハンは彼との距離を保ったまま静かに口を開く。



「ここから先は……見守ってもいいのではないか?」


「見守る……?いったい何をですかな?」



 ヨハンの言葉を嘲笑うように、マルクスは振り返ってそう告げる。その顔には、普段の冷静な彼からは想像できないほどの不満と苛立ちが浮かんでいる。



「二人の勝負の事だ。ここは親として見守ってはどうかね?」


「ふん。えらく余裕をお見せになさるのですな……まぁ勝っているのだから当然か。しかし、あなたには関係のない事だ。我ら一族の事に口を挟まないでもらいたい。」



 マルクスはそう告げると、ヨハンを強く指差した。



「我らプリベイル家は、あなた方ジャスティスとは違うのですよ。我らはいずれこの国で最高位の貴族になる。あなた達のように現状で満足する事なく、高みを目指す一族。それがプリベイル家なのですから。」


「だからと言って、子供達をそれに巻き込む必要はないのではないかね?ユリアはベスボルについてはかなりの才を持っている。だからこそ、あのゲイリーをつけたのだろう?ならば、彼女がより成長できるように支援する方が、一族の利益になると思うが……」


「だから、我らの事に口を挟まないでいただきたい!!」



 マルクスは感情的な声を上げて、ヨハンの言葉を遮った。興奮から肩で息をするマルクスに、言葉を失ったヨハンは内心でため息をつく。

 彼の感情の深層にはジャスティス家への憎悪がある。ニーナとの婚姻を結べなかった事への怒りと、それにより自分が貶められたと言う被害者感情……これがジャスティス家に対する彼の感情を形取っているのだろう。



(確かにこの男はニーナを愛していた……それ故に、憎悪も根深いか。)



 ヨハンは彼の視線を受け止めるようにその瞳を見据える。


 ジャスティス家とプリベイル家は、もとより対立関係にあった。どちらも歴代の皇帝の血を引く謂わば親族関係にある訳で、本来ならば協力し合って帝国のために尽くす事が義であるが、マルクスの父も祖父も代々にしてジャスティス家をライバル視してきた。

 その理由は、"ジャスティス家"の歴史の方がプリベイル家よりも少しだけ長く、皇帝からの寵愛を比較的多く受けていたから……ただそれだけの事だったのだが。

 しかしある時、そんな両家の関係に一つの光明が差し込んだ。マルクスが自分の娘であるニーナに一目惚れしたのである。

 プリベイル家の跡取りであったマルクスは、当時は父や祖父からの教えに共感しておらず、逆に両家の関係を良いものにしようと行動していた。

 それ故、彼は頻繁にジャスティス家に足を運んでは、経済施策など帝国に有益となる議論をヨハンに求めてきたし、ヨハンもそれを快く受け入れてマルクスと様々な議論を交わしてきた。

 今思えば、それは両家にとって理想の関係性だったと改めて思う。

 自分に息子がいれば……議論を交わすのは自分の息子であったならばと、悔いたこともあったが、幸いにもマルクスはニーナに惚れた。


ーーー二人の婚姻関係を結ぶ事ができれば、これまでの両家の因縁を断つ事ができるかもしれない。


 安易にそう考えてしまった事が間違いだったと、ヨハンは今でも後悔している。



「ニーナの事は本当に申し訳なかった。過ぎた事だと水に流す気はさらさらないよ。だが……君も両家の因縁を子供にまで継ぎたくないと言っていたではないか。」


「……確かにそんな時期もありましたね。だが、それは昔の話だ。今は我がプリベイル家の発展を第一に考えている。だからこそ、ユリアはベスボルで成り上がらせる……プリベイル家の名を世界に知らしめ、我が一族は帝国で確固たる地位を築くのです。」



 マルクスは本気でそう考えている……ヨハンは彼の瞳を見て改めてそう感じた。

 確かにニーナの件は彼の心を変えてしまったかもしれない。だが、もともと彼が国に尽くす志は本物なのだ。帝国の貴族として、国のために身を粉にして尽くす。"公爵"という高い地位にいる自負と責任は、ジャスティス家同様にプリベイル家が代々育て受け継いできた歴史の証なのである。



「ユリアの才能は私も理解している。だが、プリベイル家に"甘え"は要らない。必要な時に必要な結果を残せぬ者には、大事を成す事など無理ですから……」



 マルクスはそう吐き捨てるように告げて踵を返す。

 コツコツと靴の音だけが静かに響く中で、ヨハンは遠ざかるその背を眺める事しかできなかった。





「やっぱり……手にあまり力が入らないなぁ。」



 最後のイニング前のベンチで、水分補給をしながら俺は一人でそう呟いた。

 いまだに震える手を握り締めても、半分くらいの握力しか出せていない。この様子だと、最後のイニングで投げる事ができる変化球はそう多くはないだろう。自分の手を見つめながら配球の見直しについて考えていると、シルビアが俺に声をかけてくる。



「ソ……ソフィア……?あ……あなた、さっきの打席……何をしたの?」



 そう尋ねてきた彼女の顔には、明らかに動揺が浮かんでいた。



(……そういえば、ベンチに戻ってきた時、誰も声をかけてこなかったっけ。)



 ベンチに戻った時の違和感の正体はこれだったか。

 俺はそうため息をつくと、シルビアの方へと顔を向ける。



「え……っと、ホームラン打っちゃったね!」


「そ……そぉぉぉぉじゃないでしょぉぉぉぉぉ!!」



 シルビアもさすがにこれでは納得しない。ベンチをバシンバシンと叩いて声を大にする。



「あの目にも止まらないイモータル・バレットを!!しかも故意ではないとはいえ、自分の頭に向かってきた悪球をよ?!何よ、あの意味のわからない打法……い……いえ、理には適っているんだけど……どうやったらあのスピードのボールを、あんな簡単に意味わからない方法で打てるのよ!!」



 そこまで叫んだシルビアは、肩で息をしながら俺を睨んでいる。まぁ、誤魔化すつもりもないので、ちゃんと説明しておこう。



「ごめんごめん。冗談は置いといて……実はさっきの打席で右眼の能力が発動したみたいなんだ。」


「え……!?」



 驚くシルビアの後ろでは、スーザンも目を見開いて驚いている。

 まぁ、その反応は想定内なんだけど……二人に比べてニーナは特に表情を変えることなく、静かに俺たちの話に耳を傾けているその落ち着き様が少し気になった。

 しかし、今はあまり時間もないのでその件は置いておき、俺は先ほどの一部始終をみんなへ説明していく。



「視界が……突然紫に染まった……?」



 シルビアが俺の話に首を傾げる横で、スーザンは納得したように自分の顎に手をおいた。



「原理はわからんが、左眼の蒼炎と右眼の紅炎が混ざってそう見せた可能性が一番高いんじゃないか?」


「たぶんね……でも、力の効果がイマイチよくわからなくって……」


「ソフィアの感覚だと、あの黒い雷の威力が弱くなった気がしたのよね?それだと風属性のスキルが発動した可能性が一番高くなるけれど……」


「う〜ん……」



 両眼の力が発現すると風属性が発動する?眼と俺の魔力の因果関係がそんな単純なものなのだろうか。そもそも俺は無属性なのに……

 いくら考えてみても、どこか納得がいかない。全員が頭を抱え込む中、ニーナが相変わらず笑顔を浮かべたままで口を開いた。



「ユリアは準備ができたみたいよ。」



 その言葉を聞いた俺がユリアのベンチへ視線を向けると、彼女はすでにベンチ前で素振りを始めており、その後ろではマルクスが怒りの形相で何かを叫んでいる。



(はぁ〜相変わらず大変だな。まぁ、あのお父上様が怒っているのは俺のせいでもあるんだけど……)


 

 俺の力の事は後回しでいい。投球では魔力は使わないんだしな。

 そう小さくため息をつき、俺はゆっくりと立ち上がった。スーザン、シルビア、ニーナを順番に視線を送る。そして、グローブを手に取ってこう告げた。



「じゃあ、最後に思いっきり楽しんでくるね!それと……ユリアをしがらみから解放してきまぁ〜す!」



 俺の言葉にニーナはにっこりと笑い、シルビアはやれやれと肩をすくめ、スーザンは大きく頷いた。

 最後のイニング……ユリアにベスボルの楽しさを思い出させてやる。俺は改めてそう心に留めるのであった。



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