64ストライク 妄想と決意
俺はバッターボックスの前で何度か素振りを行いながら、周りに気づかれないように左眼の神眼を発動させた。蒼い炎は瞳の中で小さく揺らめき、蒼い視界はマウンドのユリアを捉える。
魔力の流れが悪い……
淀んだ部分と早く流れている部分がところどころに窺えるのは、彼女の心が乱れている証拠だろう。表情には出さないが、この試合展開に加えてそれを不満に感じた父親からの咎めを受けて、彼女は相当に焦っているのだろう。
俺としてはまぁ、ここまでは思い通りの展開ではある。ヘラヘラと間抜けを演じてユリアを煽り、彼女が今まで経験した事のない"変化球"という技術を見せつけて翻弄する。相手の思惑の裏をかき、のらりくらりとかわしながら組み立てる配球は本当に面白いし、案の定、彼女は出鼻を挫かれて自分の打撃ができずに三振の山を築いている事には満足だ。
たまにだけど、自分でもひどい性格だと思う事もあるし、この性格が他人に知られれば言語道断、非難の嵐かも知れない。だけど、俺から言わせればこれこそ投球の醍醐味なのである。
とまぁ、話が逸れてしまったので俺の話は置いておくとして、まさにユリアは完全に俺の手のひらの上で踊っている状態である訳だが、先ほどユリア側のベンチでの一幕を見て、何かが俺の心に引っ掛かっているのもまた事実だった。
(作戦通り……ではあるんだけど、なんか気に食わないんだよなぁ。)
チラリとユリアのベンチに視線を向けるが、すでにユリアの父親の姿はない。正直、ユリアが父親に何を言われたのかは知らないが、今の彼女の様子を見ているとなぜだか放っておけなかった。
試合前の様子から考えれば、親に強要されてベスボルをやっている訳ではないはずだが、今の彼女の周りに漂っている悲壮感は6歳の少女が出せるそれではない。きっとこれまでいろんな理不尽を突きつけられながらも、自分の夢を叶えるために必死で乗り越えてきたんだろう。そんな過去が今の彼女の様子から見てとれる。
ふと、自身の過去とユリアの境遇を重ねてしまう。
プロ野球の世界に入ったものの、周囲の期待に応えなければならないというプレッシャーに負けてしまった自分と……
他人の期待というものは、時に人を簡単に追い詰めていくものだ。周りからはできて当たり前と思われ、それに応えるために必死に食らいつく日々。その圧力は少しずつだが人の心と体を蝕んでいき、最後に弱りきったところで一気に襲いかかってくる。
きっとそういうプレッシャーに打ち勝つ事ができる人間が成功していくんだろうけれど、俺はそれに勝てなかった。期待に応えようと無理をして肩を壊し、心を折られて早々にプロ野球人生に幕を下ろしたわけだから。
ーーートクンッ
なぜだか右肩に疼きを感じた……
この体はソフィアのものなので肩に怪我や傷はない。それでも右肩がチクチクと疼いている要因は、いくら考えても一つしか思い浮かばない。
そうだ。これは俺の魂に刻まれた記憶……深く深く刻まれた心の傷なのだ。
(貴族の事情は知らないけど、彼女はまだ6歳の女の子なんだ。彼女のこれまでの全部を、彼女のせいにするのはあまりにも理不尽だろ。)
ユリアの才能が本物である事は、ベスボルを初めてまもない俺でもわかるし、あれだけの向上心と自尊心はあの歳でなかなか育てられるものでもない。
まさに全てにおいて天才であると言える。
しかし、神から授かったその天賦の才が、今彼女自身を苦しめているのは間違いない。彼女の才に羨望を向ける周りのしがらみが、彼女自身を追い詰めているのだ。
(貴族の事はよく分からんが……俺がこの試合に勝った場合、ユリアは何かしら罰でも受けるのかな。)
ふと、折檻を受けるユリアの姿が頭に浮かぶ。
服は汚れてボロボロで手足は鎖で繋がれ、寒く寂しい牢獄に閉じ込められているユリア。乾いた鉄の軋む音と同時に扉が開いて姿を現す拷問官。怯えるユリアの姿に愉悦を浮かべ、手に持つ鞭で彼女を打ち抜いていく。
必死に歯を食いしばり、叫び声を堪えるユリア。それに対してさらに笑みを深める拷問官。打たれる度に服は裂け、綺麗な肌には痛々しい傷が刻まれていく。
そして、最後には拷問官の魔の手が……
「ぜ……絶対にそんな事はさせんぞ!!」
頭の中で想像してしまった下劣な行為に、ついつい大声で叫んでしまった。ハッとしてマウンドを見れば、めちゃくちゃ訝しげな表情を浮かべているユリアがいる。
(し……しまった。変な妄想をし過ぎた……)
愛想笑いを浮かべながら、気を取り直して一度素振りを行って気を取り直す。
ユリアはマルクスの一人娘でもあるんだし、そんな酷い事にはならないだろうけど、何かしら罰は受けるんだろう。だが、もしそれがユリアのベスボルへの想いを打ち砕くものであるならば、"ライバル"として看過する事はできない。
彼女は俺のこれからのベスボル人生に、なくてはならない存在になる……そう直感していたからだ。
それにだ。
結局、ユリアたちプリベイル家がこの試合を預かった事で、ムースとの因縁は有耶無耶になってしまっている。変化球というこの世界では未知の技術を見せつけた事で、皇帝の目にも止まったようだし、俺がここで負けたとしてもムースに何かされる事はおそらくないだろう。
まぁ、あいつはムカつくので、いつかベスボルで完膚なきまでに負かしてやるつもりだけど……
なら、この試合に俺は何を求めるべきか。もちろん勝負に負ける事は絶対にあり得ないし、わざと引き分けにするつもりもない。
であるなら、やる事は一つしかない。
ーーーユリアの才能を信じて、渾身の一投で勝負する。
そして、それにはこのイニングでやっておかないといけない事がある。
そう決心した俺はバッタボックスに足を踏み入れ、ゆっくりとバットを大きく掲げて空を指し示した。
「…………っ!?」
俺の態度は、ユリアだけでなく場内に響めきを巻き起こす。
実況が大きく驚きの声を上げる。野球でも聞き慣れた"ホームラン宣言"という言葉に、観客からは小さな歓声と巨大な罵声が上がる。
だが、俺の耳にはそんなものは一切届かない。じっとユリアだけを見つめ、そしてゆっくりと打撃の構えをとった。
一方で、驚いていたユリアはすぐに表情を変えた。
もちろん、その理由は俺の態度に対する怒りによるものだ。 "ホームラン宣言"など今までされた事がないであろう彼女の事だから、コケにされたと感じて内心怒りの炎が燃え盛っているはずだ。
だが、それでいい。
今はしがらみなど全て忘れて、俺との勝負に集中させてやる。もう一度、野球……いや、この世界ではベスボルの楽しさを……勝負の楽しさを思い出させてやる。
次の瞬間、彼女の右手にこれまで以上の雷撃が迸る。彼女の怒りを具現化したようにバチバチと音を立てる小さな雷には、殺意すら感じられた。
これまでで一番本気の一球が放たれるはず……俺はそう直感する。
駆け引きなど一切なしの渾身の一球。
俺をねじ伏せるためだけに投じられるその一球を、俺はこれでもかと言うほどの結果を持って打ち返してやる。
Sゾーンから開始のブザーが鳴り響くと同時に、ユリアが待ったなしだと言うように大きく振りかぶった。
その様子を見た俺は、バットのグリップをさらに強く握り締めて左眼の神眼を発動させる。蒼い視界の中にユリアの魔力の流れが映し出され、その様子から初球と同じ"イモータル・バレット"が投げられるのだと瞬時に判断できる。
願ってもいない……
この場面に一番うってつけのボールじゃないか。
ーーーあの"イモータル・バレット"の攻略なんだけど……
ふと、シルビアがベンチで話していた事を思い出す。得意げに話すシルビアのあの表情には、なぜかイラッとしてしまったが……
彼女は魔力属性の相関関係がどうだとかなんとか、突然訳の分からない事を話しだしたので話半分に聞いていたけど……そもそも俺は無属性だから、風属性のスキルとか使えない。だから、やれる事と言えば、自分の魔力のありったけをバットに注ぎ込み、ユリアの放つボールを確実に捉える事だ。
正直に言えば、結果がどうなるかなんて想像もつかないけど、なぜだが俺自身の中に焦りはない。ユリアのボールを打ち返せるという根拠のない自信が、そうさせているのかもしれない。
ユリアがゆっくりと左足を上げ始める。
その様子を確認して、バットに魔力を注ぎ込むイメージを頭に浮かべながら、俺は口元で大きく笑みを浮かべた。
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