62ストライク マグヌスは嘲笑う


「お…おい……ユリア様が空振りしたぞ……」

「いったい……何が起こったんだ……」

「スキル……じゃなかったよな……」



 場内にいる観客の間に、ざわめきと驚きの波紋が広がっている。想像していた状況とはかけ離れた目の前の光景に、ユリアを応援していた貴族たちは驚きを隠せないようだ。

 彼らはユリアの勝ちを信じて止まない。ソフィアが勝つことなど微塵も望んでいない彼らだからこそ、今の一球を見て受けた衝撃はかなりのものだったはずだ。

 だが、そんな中で一番驚いているのはユリア本人だろう。単なる棒球と思って侮った訳ではない。バカにされたことにイラつきはしたが、冷静に球筋を見極めたつもりだった。

 それなのに、なぜ……



(な……なにが起こったの……)



 ユリアは振り抜いたバットを握り締め、それを下ろすことなく一点を見据えている。その顔にはまるで狐に化かされたかのような……そんな表情が浮かんでいる。



(この私が……空振りした?あり得ないわ!ボールの軌道は読み切っていたはずなのに……いったいなぜ!?)



 寸前まで確実に読み切っていたボールの軌道。

 だが、そんな自分を嘲笑うかのように、ボールは目の前でその姿を消した。

 スキルの効果ではない。魔力を感じなかった事からもそれは間違いない……はずだが、確信を得ることができない理由がある。

 空振りする寸前、持ち前の動体視力でなんとか確認できたボールの動き。ゆらゆらと不規則な動きを重ね、まるでいくつもの分身を作りながら落ちていくその軌道は、今まで見た事も経験した事もないものだったからだ。



(あの動き、やっぱりスキル……?でも魔力が……)



 混乱する頭を必死に整理していく。

 魔力を使わずにスキルは行使できないし、スキルを使わずにボールを変化させる事も普通はできないはずだ。だとすれば、やはり今のボールの変化はスキルによるものとしか考えられない。

 そうなると、次の疑問はなぜ魔力を感じる事ができなかったのかという事になる。

 ベスボルにおける全ての動作において、魔力とスキルは欠かせないものだ。どんな場面においても自分の魔力を使い、時に相手の魔力を読みながらスキルを使いこなしてプレーする。打撃であれば、今のようにボールに込められた魔力を読み取って、バットに乗せた自身の魔力による感知スキルで追撃するのが基本中の基本なのである。



(でも、わたしのバットはボールに込められた魔力を感知できなかった……)



 まさか魔力の……スキルの隠蔽?いや、そんな技術はこれまで一度も聞いたことがない。それに自慢じゃないが、自分の感知スキルの精度はかなり高いと自負している。どんなに隠そうとしても、少しでも魔力が込められていれば気づける自信はある。

 だが、感知スキルが機能せず空振りをしたという事は、やはりボールには魔力が込められていなかったのか。


 考えれば考えるほど、疑問の渦に飲み込まれていく。



(もしかして、私が知らないスキル技術をあの子が知っている?!でも、そんなものがあるなんてゲイリーは教えてくれなかったし……いったいどうすればいいの!?)



 相手に遅れを取っているという事実に焦りが生まれる。それがユリアの心を乱して、さらなる混乱を招いていく。


ーーーまさか私が負ける……?


 その言葉が頭をよぎるが……



「ユリア!冷静にだ!」



 突然ベンチから大きく響いたゲイリーの言葉で、ユリアは我に返った。

 自分とした事が何を弱気になっているのか。未知の技術を目の当たりにしたくらいで、負けるなどと感じてしまうとは情けない。



(そうよ。見たことないから勝てないなんて……そんな弱気な考え方、大嫌いよね。あなたはどんな時でも前を向かないと……しっかりしなさい、ユリア!)



 一度、バッターボックスを外してバットを両腿で挟むと、自由になった両手で頬を思いっきり叩いた。

 ジーンとした痛みが頬に広がっていくが、この痛みは自分への戒めだと言い聞かせる。この程度で足りるはずもないが、一瞬でも負けるなどと考えた自分へのだ。

 

 大きくため息をついて、再びバットを握りしめたユリアはソフィアに向かって大きく声を張る。



「次は打ってやるわよ!さっさと投げてきなさい!!」


 


 

 場内にざわめきが残る中、俺はSゾーンから一人で戻ってきたボールを受け取ると、下を向いてマウンドを整える。地面の感触は良好、固さは申し分なくスキルを使ってなくても力を体に伝えやすいし、これなら良いパフォーマンスができそうだなどと考えながら、今しがた投げた一球に対する手応えを感じていた。



(思ったとおりだ。ユリアも含めて、この世界の人は"変化球"についてまったく知らないらしい。)



 予想していたとおり、この世界において"変化球"というものは未知の技術のようだ。ユリアの反応だけでなく場内の観客の響めきやベンチにいるゲイリーの表情、そして、観戦テラスにいる皇帝が、わざわざ立ち上がってこちらを見ている様子からもそれが確信できる。



(これは俺にとって、かなりのプラス要因だな。駆け引きの幅がぐっと広がる!)



 そう考えると、自然に笑みが溢れてしまった。

 そもそも、ベスボルという野球によく似たスポーツが盛んなこの世界で、なぜ"変化球"が知られていないのかと疑問が浮かぶ人もいるかもしれないが、その答えは簡単に推察できる。簡単に言うと、スキルで競い合うベスボルというスポーツには、変化球という技術は必要がなかったからだろう。


 "変化球"とは、俺が元いた世界"地球"で人気を誇る野球の技術、投手が打者を打ち取るために考案された技術である。

 地球の物理法則において、投手が投じたボールは重力のほかに空気抵抗とスピンによって生じる揚力を受けるが、このスピンは投球動作によって変化を持たせる事ができ、スピン次第で空気抵抗と揚力、ひいては球の軌道を変化させる事が可能となる。他にもボールの握り方やリリース次第で急速を遅くする事もでき、これらの方法で球の軌道や球速を直球(ストレート)に対して変化させた球を"変化球"という称する訳だ。


 

(この世界の物理法則は地球と同じだけど、それ以前にそんなものをほとんど無視できる"スキル"という便利な技術が存在するんだ。普通なら変化球なんて技術、必要ないもんな。)



 それに、変化球の一つの要因として挙げられる揚力は、『マグヌス効果』と呼ばれる現象から生み出される。ボールが進む事によって受ける向かい風と、進行方向に対して角度を持ちながらスピンするボールが生む「循環」が干渉い合うことで、揚力が発生してボールの軌道が変化すると言われているが、この『マグヌス効果』はドイツの科学者が小銃から発射される球型の弾丸が曲がる事を証明するにあたり認識されたものである為、地球に存在する"銃"がないこの世界では、知られていなくても別になんら不思議はないという訳だ。


※ マグヌス効果とは、回転しながら進む物体にその進行方向に対して垂直の力( 揚力 )が働く現象


 そしてもう一つ、俺にとって喜ぶべき結果がある。

 それは、ユリアがバットに感知スキルを展開していたにも関わらず、空振りをしたという事実だ。


 この試合を迎えるにあたり、実践的な知識が乏しいと感じていた俺は、シルビアに頼んでベスボルに関する色々な知識を学ばせてもらった。その中で初めて知った"感知スキル"は、バットに込めた魔力を半径数メートル程度の球体状に展開し、その範囲に入ってきた物体の動きを読み取るという技術である。

 この世界における全ての事象は魔力とスキルに関係しており、もちろんそれはベスボルにおいても同様だ。打つ・投げる・守るといった全ての動作に魔力を使用している為、プレイヤーは感知スキルなどを駆使し常に相手の魔力の動きを探って、次の一手を予測しながらスキルをぶつけ合う。

 もちろん、その全てが力と力のぶつかり合いだけではなく、時に選手間で繰り広げられる“駆け引き”もまた、ベスボルの醍醐味と言える。

 中でも投球と打撃においては、ほとんどがお互いの腹の探り合い。次の球はストライクかボールか、どんなスキルを使ってくるか、打者が投げられたくない球は何か、意表を突く為にはどうするかなど、これまでの経験や前回までの打席の配球といった様々な情報から相手の考えを見抜いて、試合を優位に進めるためにそれを上回る一手を投じるのである。

 ……と、少し話が長くなってしまったが、要は俺が言いたいのは、


ーーー今のユリアは感知スキルに頼っている部分が大きく、魔力を使わないボールの変化には対応しきれない。


という事だ。

 彼女が空振りしたのは"変化球を知らなかった"事だけが原因ではなく、感知スキルに頼り切っている為に魔力によらないボールの変化に体がついていけないのだ。

 もちろん、彼女の資質から考えれば、変化球を何度も見るうちに打てるようになるだろうけど……



(まったく、シルビアにイニング数を少なく提示するようにお願いしていて良かったよ。)



 内心でホッとため息をつき、再び投球モーションに入る視線の先でこちらを睨みつけるユリアの表情からは、悔しさが滲み出ているのがわかる。



(だけど、今日は一切打たせないぜ。こちとら20年以上野球に身を置いてきたんだ。駆け引きで5歳児に負けたら笑いもんだからな。)



 そんな俺の意図の通り、この打席以降、ユリアは俺のボールにバットをかすらせる事すらできなかった。

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