58ストライク 嫌いだ


 歓声が響き渡るグラウンド。

 俺は一人バットを携えて打席を目指している。

 大きな歓声は喧騒となり、止まる事なく球場内を埋め尽くす。それは重力のように俺の肩へとのしかかり、ビリビリと肌を震わせる。

 それを遮るように手に持つバットを肩に担ぎ上げ、ゆっくりと歩を進めるその先には、魔力で構築された四角い枠と白いラインで囲まれたバッターボックスがあった。

 それを見ただけで、今まで感じた事のない気分が湧き上がってくる。


 誰もが認める大舞台……

 俺の心の中では緊張よりも高揚感が優っている。



(昔から緊張しいだったのに、意外だな……)



 甲子園の舞台でも、プロ野球でも、そして、トライアウトの時でさえ強い緊張感との闘いがいつも課題だったのに、今日は思ったよりもリラックスできている。その事に自分でも少しばかり驚きつつ、バッターボックスの横へ立って本日の勝負の相手に視線を向けた。

 真っ赤なポニーテールを携えたユリアは、暇を持て余すようにボールを軽く上に放り投げては掴むを繰り返している。

 その様子を見た俺は大きく深呼吸をして、バットのグリップを握り締めた。





『さぁ、まもなく開始されるエキシビジョンマッチ。公爵家令嬢であり、ベスボル界きっての大型新人として名高いユリア様と、辺境都市サウスの狩人でを生業とする一族の娘ソフィア=イクシード、この二人の対戦となるわけですが……解説のシードさん、これまでベスボルのトップリーグでプレーしてきた知見からみて、この勝負の行方をどう分析されますか?』



 実況の男が隣に座っている別の男に興奮気味に尋ねると、話を振られた男がグラウンドと様子に興味深げに口を開く。



『そうですね。私もユリア様のプレーするお姿は拝見した事がありますが、彼女の才能は本物です。まさに神童と言っても過言ではないと思いますね。』



 シードと呼ばれた男は、真面目な顔でそう答えた。

 彼こと、シード=ユリウスは最近までベスボルのマスターズリーグで活躍していた選手である。攻守ともにバランスが取れたプレーが売りで、オールラウンダーとして有名な選手だ。

 今年40歳を迎える彼は、年齢による衰えから自身のパフォーマンスの限界を感じて第一線から身を引いた訳だが、現在は後進の育成と時たま依頼される解説業で生計を立てている。



『シードさんが言うなら間違い無いですね!では、ユリア様がプロの選手に勝ったという話も本当でしょうか。』


『さぁ……真実はわかりませんが、彼女のポテンシャルを考えれば、あり得る話かと思いますよ。』



 シードの言葉に、実況の男はますます興奮したようだ。肩を震わせながらも、場内を盛り上げようとマイクを握る。



『ありがとうございます!さぁ、そんな期待の星ユリア様に対するは、辺境都市サウスの狩人の娘であるソフィア=イクシード!……と言いましても、彼女の詳しい情報はないので分析も何もありませんが……』



 実況者の言葉に場内からは笑い声が漏れる。

 相手は辺境の地に住まう庶民なんだから、適当にあしらっても構わないと言う貴族たちの態度に、スーザンもシルビアも呆れた顔を浮かべるが、当の本人である俺はそんなものは耳に届いていない。


 そして、それはユリアも同じだった。

 自分の実力を認めさせようと偉そうに振る舞う事はあっても、理由もなく相手をバカにする事を彼女は嫌う。もちろん、自分がバカにされる事はもっと嫌いだが……

 それ以前に、彼女は目の前の相手に集中していた。ゲイリーに注意された事もあるが、舞台に立つとちゃんと集中力を上げる事ができるのは、彼女の長所でもある。

 真上に放り投げたボールが落ちてくる。それを片手で受け止めると、左手にはめたグローブで口元を隠して、ユリアも今日の対戦相手へと視線を向けた。



「初球はどうするかなぁ……」



 視線の先でバットを軽く振っている少女を見て、ユリアはぽつりと呟いた。

 ざっと見た感じだが、スイングや打撃フォームは整っている。ベスボルの経験があるのは間違いないし、あの動きは一朝一夕で身に付くレベルではない事も理解している。ベスボルをプレーし始めて1週間と聞いた時は驚いたが、あれは自分を動揺させる為の嘘だったのかもしれないと、今更ながら感じて少し苛ついた。

 だからこそ……だからこそ、彼女には自分の力を認めさせる必要がある。あの飄々とした舐めた態度を改めさせ、私に首を垂れさせてやる。

 そうして、多少なりの経験では辿り着くことができない頂がある事を、彼女に知らしめてやらねば気が済まない。

 ユリアはそう考えると、自信を込めて口元で笑みを浮かべる。



「初球は直球……しかもあれで驚かせてやるわ。」





「……とか、そんな事を考えてる顔だよなぁ。」

 


 ユリアの表情に気づいた俺は、小さく息をついた。なんとなく、ユリアの考えている事が見透せたからだ。

 頭の中で今まで観てきたユリアのプレーを反芻しながらイメージを浮かべてみる。それまでの分析から、彼女の初球は大抵が直球である事が多い事はわかっている。

 彼女は自分の能力にかなり自信を持っていて、他人に負ける事などあり得ないとすら思っている。そういうタイプは、必ず最初に自分の力を誇示する為に動く。そんな性格が投球の組み立てにも現れているのだろう。



「だから、俺の戦意を喪失させようと初球は絶対的なストレートを投げるんだろうな。」



 俺は浮かべた推測を選択肢の一つに加えた。

 こういった場合、その初球を打ち返すのが一番ベストな選択だろう。なんの考えもない素直なストレートをど真ん中に放ってくるんだから、打者としては格好の餌食である訳で……

 だが、ここは異世界。

 魔力とスキルが存在する世界であり、単なるストレートを投げてくる可能性はかなり低い。

 そもそも、ユリアは俺の態度に不満があるだろうし、魔力を十二分に乗せた必殺スキルを投げてビビらせてやろうとか思ってるはずだ。

 ならば、彼女が魔力を込めた一球をよく観察して、その特性を分析する方が得るものは大きいはずだ。


 そんな事を考えていると、突然Sゾーンからブザーのような音が鳴り響き、驚いた俺はユリアに視線を向けた。

 何が起きたのかと思っていると、マウンド上のユリアがロジンバックを地面に投げつけた為、これは試合開始の合図なのだろうと理解した。



「こんな間近で鳴らすなよ……」



 湧き上がる観客の歓声の中、そうぼやきながら俺はバッターボックスへと足を踏み入れ、ゆっくりとバットを構えた。





「ちっ!一丁前に構えだけは綺麗じゃない。」



 マウンドからソフィアを見下ろしたまま、ユリアはそう舌を打つ。ボックスの一番後ろ側に位置を取り、隙を感じさせないその構えはとても素人のものとは思えなかったからだ。

 初めて会った時からどこか気に食わなかったが、今やっと確信した。


ーーー私はこいつが嫌いだ……


 バカにするような飄々とした態度から一変、ボックス内では全く隙のない気迫に満ちた構えを見せるこいつのどこが、ベスボルを始めて1週間だというのか。公爵家令嬢である私に平気で嘘をつき、動揺する様子を見て笑っていたのか。

 そう思えば思うほど、苛立ちが募っていく。

 だが……



「ユリア……!」



 お腹を捩られるような重い声が聞こえてハッとした。その発信源はもちろんベンチからだ。座ったまま腕を組み、こちらを睨みつけるゲイリーの鋭い視線に気づき、ユリアは冷静さを取り戻す。



「わかってるわ。冷静に……でしょ。」



 小さく呟いて一呼吸おき、再びソフィアに向けて鋭い視線を向ける。同じように睨み返してくるソフィアの視線は気に食わないが、この後その表情が歪む事を思えば自然と笑みが浮かんだ。



「見て驚くがいいわ。このユリア様の才能を……」



 その瞬間、髪の色と同じ真紅のオーラがユリアの周りに発現する。ゆらゆらと揺らめく様子はまさに炎を想像させ、それがゆっくりとボールを持つ手に集まっていく。

 だが、それだけではなく炎の周りに黒い電撃が走り始める。バチバチと音を立てるその様子は、まるで小さな雷そのものだ。

 大きな響めきと感嘆が漏れる中、大きく振りかぶるユリア。ゆっくりと行われる投球モーションからは、6歳の少女とは思えない程の威圧感が放たれており、魔力の練度の高さを感じさせられる。

 そして……



「イモォォォォタル・バレットォォォォ!!」



 ユリアがそう叫んだ瞬間、彼女の手元から赤い炎と黒い雷を纏うボールが放たれたのだった。

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