57ストライク 昂る眼

57ストライク 昂る眼


 ユリアがソフィアの手を叩いた後、両者がベンチに戻る様子に場内では再び歓声が湧き上がっていた。

 それらはユリアへ向けられた声援ではあるが、一部にはソフィアに対する罵詈雑言も含まれている。

 その様子を観戦用のテラスで眺めていた皇帝トウサが、楽しげに口を開いた。



「マルクスよ。お前のところの一人娘は相変わらずだな。」



 その言葉に、トウサの隣に席を構えていた男が丁寧に御礼を述べる。



「お褒めに預かり光栄です。誰に似たのか負けん気だけは強いですからな。特にベスボルに関しては……」


「いい事だ。何事も他人を蹴落とすつもりでやらねば……な。しかし、ヨハンの孫もなかなかじゃないか。」


「ありがたきお言葉。我が愚孫をお褒めいただけるとは……」



 トウサの言葉に、今度は反対に座っていた初老の男が頭を下げる。



「いやいや、ユリアの威圧にも負けず、飄々としたあの態度。この試合、なかなか面白くなりそうだな。」



 楽しげに笑う皇帝の言葉に二人の男は頭を下げつつ、互いにちらりと視線を交わした。





『それでは、今回の試合のルールについて具体的に申し上げます。』



 俺がベンチに着くや否や、そんなアナウンスが聞こえて観客たちが静まり返った。それを計ったかのように説明を始めたアナウンスの男の話は、シルビアから事前に受けていた説明と同じ内容だ。

 男はベスボルのルールについて、淡々と読み上げていく。そして、俺はというと、復習を意を込めてその話に静かに耳を傾けた。


 ベスボルには野球との違いがいくつかある。

 まず一つ目に、ベスボルには野球のように既定の選手数はない。上限は5人とされているが、一人からプレーが可能である。

 そのため、本日のような一対一の試合を行う事は稀にあったりする。


 二つ目は、ベスボルには捕手がいない。その代わりにSゾーンという魔力で構築された枠内目掛けてボールを投げる。内側を通ればストライク、外側ならボールの判定が自動で行われるSゾーンは、かなり精密に組み込まれた魔力により動作しており、誤魔化しなど一切通用しないらしい。

 ちなみに、ストライクは3つ取れば1アウト、3アウトで攻守交代。ボールは4つでフォアボール。打者にボールを当てればデットボールとなる事は、野球のルールと同じだ。


 三つ目は、打者が塁に出た場合。

 基本的に、打者がそのままランナーになるのは野球と同じであるが、チームによって選手数は様々である為、選手の代わりに魔動人形(ゴーレム)をランナーとして配置する事ができる。

 この魔動人形は魔力による遠隔操作が可能で、進塁するかしないかなどを選手が判断して動かさなければならないが、それを行える選手は一人のみ。魔力を注いだ選手のみが扱えるという訳だ。


 そして、4つ目の違いはアウトの取り方だ。

 打者は投手が投げたボールを打ち返し、そのボールの行く末によりアウト、セーフの結果が決まるのは野球と変わらないが、アウトの取り方は少し違う。

 グラウンドにはフェアゾーンとファールゾーンが存在し、フェアゾーンはホームベースからシングルエリア、ダブルエリア、トリプルエリア、ホームランエリアの4つの区画に分けられている。

 ボールが"落ちて止まった"エリアによって打者の進塁先が決まる訳だが、野手はそのボールを地面につくことなくキャッチするか、フェアゾーンと呼ばれるエリアで動いている間に捕球する事でアウトを取る事ができる。


 聞いていると頭がこんがらがりそうだが、要はアウトを取るには、三振か、フライをキャッチするか、フェアゾーン内でボールが止まる前に捕球すればいい訳だ。


 他にも細かいルールはあるが、今回はこれだけ理解してもらえれば楽しく観戦してもらえるだろうから割愛させていただくとしよう。



『……となります。基本はいつものルールですが、くれぐれも今回の特別ルールを含めて、選手のお二人はフェアプレーに努めてください。』



 そこまで告げると、今度は別の男の声が聞こえてきた。それはまるで、実況者さながらの口調で会場を盛り上げようとするMCの声。プロ野球の実況中継を思い出させる物言いには、どこか懐かしさを感じてしまう。



「さっそく始まるな。わからない事があれば、私とシルビアになんでも聞けよ。」


「うん、ありがとう。じゃあ、行ってくるね。」



 スーザンたちに笑顔を返してベンチの前に立つ。ユリアのベンチに目を向けると、彼女はすでにベンチ前でストレッチを行っていた。その視線は常にこちりに向いており、完全に威嚇しているのがわかる。

 そんな鋭い視線を真っ向から受けて俺は笑う。確かに強い気迫は感じるが、脅威と言うほどではない。

 それよりも、ユリアの後ろに座っているゲイリーとかいう男の視線の方が格段に鋭くて重たかった。まるで大きな斧を首元に添えられているような気迫……さすがに、ここまでのものは鈴木二郎時代にも受けたことはない為、無意識に身震いしてしまう。

 そんな俺の様子にユリアは小さく笑った。おそらくは、自分の気迫に恐れたとでも思ったのだろう。

 

 俺は大きく深呼吸する。

 ゲイリーの気迫に気圧された心を一度リセットする為でもあるが、それよりもやっとやりたかった事ができるその喜びを噛み締める為でもあった。

 

ーーー長かった……


 自分の夢に再挑戦する為、ソフィアとの約束を守る為に転生させてもらった身ではあるが、何度目の人生だろうが、夢を叶える事はそう簡単にはいかない事を身を持って知らされた気がする。



『みんな、あなたの事を応援しているのよ。』



 ふと、先ほどの母の言葉が蘇る。

 ここまで来る為に、いろんな人の助けがあった事は間違いない。父ジルベルト、母ニーナ、それと兄姉たち。ダンカンやスーザン、スロウ、ラル、シルビア、ウィルさん、そしてサウスの街のみんな。

 いろんな人に助けられて、ここまでやってくる事ができたのだ。

 そう考えて目を閉じ、心の中で御礼を述べる。そのままゆっくりと開いた視界には、競技場のぽっかりと開いた天井から顔を覗かせる青い空が、眩しくも映し出されている。



(最後に受けたトライアウトの日も、こんな透き通った青空だったな……)



 そうだ……あの時から俺の人生は止まっていた。

 トライアウトの結果を待つも、どこか無理だと思う自分がいて、どうしても前に進む事ができずにいた。

 そんな折、ある手違いで鈴木二郎は死んでしまったけど……諦めそうになっていた俺に再挑戦するチャンスをソフィアがくれた。

 アストラは……

 あいつは置いておくとして、ソフィアが託してくれたこの体で、俺は改めて挑戦すると決めたんだ。


ーーーここからだ。ここから始めるんだ。チャンスを掴み取る為に……


 その思った瞬間だった。

 突然、右眼に小さな暖かさを感じて、とっさに右手を眼に添える。すると、暖かい魔力が手にまとわりつく様に揺らめいており、左眼の神眼と同じだと直感的に悟った。



(あれ……右眼に……?なんで……?)



 だが、疑問を浮かべる俺を嘲笑うかのようにその感覚は一瞬で消え去り、後には今までと何も変わらないいつもの右眼がそこにあるだけだった。

 今まで全く発動できなかった右眼の能力……それがなぜ今発動したのか。

 いくら理由を考えてみても、原因について思い当たる節はない。普段と違ったのは気持ちが昂った事くらいだし、それがトリガーになったとはとても考えにくかった。



『期待の新人!ユリア=プリベイルは後攻だ!』



 実況の言葉に大きな歓声が上がった事で、俺は我に返った。

 今、右眼の事に気を取られるのはまずい。ユリアとの勝負は左眼だけでも問題はないんだ。まずはそっちに集中しよう。

 そう考え、動揺する心をなんとか鎮めつつ、俺はバッターボックスへと向かった。




「……陛下!」


「あぁ……私も見たぞ。」



 バッターボックスへと向かうソフィアを見ながら、後ろにいた従臣が皇帝トウサに耳打ちする。それに小さく答えたトウサは、すぐに落ち着きを取り戻してソフィアを静かに眺める。



「まさか……神眼持ちとは……」



 周りに気づかれぬように笑みをこぼすトウサだが、ただ一人、ソフィアの祖父ヨハンだけは彼の様子に気付かぬ振りをしつつ、ソフィアを心配気に眺めるのだった。

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