56ストライク 最終目標
上も下も右も左も囲われた石造りの通路の真ん中に、俺は一人で待っている。エールを送ってくれたスーザンたちは、先に自チーム側のベンチへと移動を終えており、周りには誰もいない。
視線を前に向けると、少し長い通路の先には光が差し込んでいて、そこからグラウンドの喧騒が小さくだが聞こえてくる。
着ているのは真っ白なユニフォーム。
幼児用のユニフォームは特注で高額となるため、これは母ニーナが作ってくれたものだ。上下ともに、両サイドに黒いラインが一本だけ入っているシンプルなデザインではあるが、父が狩った魔物の体毛と母の魔力を一緒に編み込む事で、多少のスキル耐性が付与されている。
履いているスパイクと脇に挟んだグローブは、シルビアからのプレゼント。彼女が勤める企業『ベスボル・フィロソフィア』が作ったベスボル用品……それも最新モデルだという。
本日の試合のルールでは試合中に使用する道具類は"協会が用意したもの"としているが、これらはシルビアが事前に協会へ登録を行なっている為、問題はないらしい。
帽子はないので、髪の毛は母がポニーテールに編んでくれている。
小さく息を吸い込んで吐き出してみると、独特の冷たく澄んだ空気がなぜか美味しく感じられた。
そのまま一歩踏み出すと、スパイクがカチャリと音を立てる。その音を聞いて蘇ってきた過去の記憶を、俺は頭の中でゆっくりと反芻していく。
この感覚……何年ぶりだろうか。試合前、グラウンドに向かう際に感じるこのベンチ裏の雰囲気は、プロ野球時代よりも高校時代の思い出の方が強かった。
仲間と歩いた通路。
負けた悔しさを分かち合い、勝った喜びを共有してきたあのベンチ裏は、自分にとってはまさにかけがえのない思い出だ。
『まもなく、試合開始時間です。皆さま、お席へお戻りくださいませ。』
アナウンスが試合開始時刻を告げると同時に、俺はゆっくりと通路を歩き出した。目指すは視界に見える光の先……近づけば近づくほど、喧騒が大きくなっていくのがわかる。それらは、試合開始を今か今かと待ち望む観客の期待の表れだ。その熱に胸の鼓動を早めつつ、カチャリ……カチャリと音を立てて歩き、ついには出口へと辿り着いた。
薄暗かった通路から一転して眩しい光に目を細めると、競技場の喧騒がさらに大きくなったのを感じる。
ゆっくりと周りを見渡せば、超満員と言っていいほどに埋め尽くされた観客席。そして、視線を戻した先には俺と同じようにグラウンドの端に立ち、観客の声援に手を振って答えるユリアの姿が確認できた。
『両選手の入場!二人はホームベースの前に!』
そのアナウンスに従い、俺がホームベースへと向かい始めると、対面にいるユリアも同じように歩き始める。
スーザンたちが待機しているベンチを横切り、ホームベースの前にたどり着くと、目の前には高飛車な笑顔を向けてくるユリアが立っている。
「負けを認めるなら今のうちよ。」
その挑発に俺は笑顔で返す。
「お互いに全力を尽くそうね。」
俺の言葉にユリアは不服そうに舌を鳴らし、すぐにバックネット裏の方へと向き直った。俺もユリアと同じ方向へ向き直り、視線を上げた先には豪華に装飾された観戦用のテラスが確認できる。
『それでは開会のご挨拶を、第13代皇帝であられますインペリ=トウサ=クレス陛下より賜ります。』
どこからともなく聞こえる司会者の声。
それに合わせて観戦用のテラスでゆっくりと立ち上がった一人の男が、一度こちらを見据えたかと思えば、観客席へと目を向けて話し出す。
その様子は王そのものだと、俺は直感的に感じた。今までの人生で直接会った事のある権力者と言えば、社長くらいなもんだけど、そんなお冠程度の権力ではなく、本物の権力者というものを前にした俺は無意識に武者震いする。
全てを見透かすような鋭い眼光と雄大な振る舞い、そして、威厳のある態度。本物の為政者とはこれほどまでのものかと感じ、その一つ一つの動きに目を奪われてしまう。
「ただいまから、クレス帝国ベスボルエキシビジョンマッチを開催する!」
挨拶と言っても、彼が告げたのはその一言だけ。
それでも、会場に集まった観客たちからは凄まじい歓声が湧き上がった。今まで幾多の大舞台に立ってきた俺でも、これだけの歓声を浴びた事はない。
それにこれは歓声というよりも、怒号という方が正しいかもしれない。全てではないにせよ、俺に対する殺気のようなものも感じられるのも事実だからだ。
この殺気の意味は今のところわからない。ユリアのファンからのものか。俺の事をよく思わない貴族からのものか。
政治的な話はよくわからないが、シルビアの話ではユリアは貴族の中で人気も高いらしいし、それは公爵令嬢という肩書きから来ている部分もあるかもしれないが、容姿も可愛らしい彼女には相応のファンもいるのだろう。
ーーーまぁ、ソフィアの方が可愛いけどな。
心の中でそう呟いて勝ち誇る。
ある意味、自分自身のことなので自意識過剰とも捉えられる発言だが、ソフィアの容姿は本当にかわいらしいのだから仕方がない。親バカな感じもするが、そこは絶対に譲る気はないし、そこに身分の差など一切関係はないのだ。
俺はちらりとユリアの横顔を見て、気づかれないように口元で笑みを浮かべた。
『それでは、本日のルールを説明する!』
司会がそう告げると、場内の喧騒が小さくなる。
ざわめきは残っているが、皆司会の言葉に耳を傾けているようだ。
『一つ!使用する道具は協会が準備したものを使う事。二つ、相手を殺す行為は禁ずる。』
「ふふ……今回は命拾いしたとも言うべきかしら。ベスボルは下手すると死ぬこともあるのよね。」
司会の言葉に合わせて、ユリアが振り向くことなく皮肉っぽく告げる。
おおよそ、死なずに済んで良かったなとでも言いたいのだろう。俺が挑発に乗る事なく、ヘラヘラと「そうだねぇ。良かったぁ。」とだけ返すと、ユリアは再び舌打ちした。
『三つ、結果について、不平不満は絶対に述べない事。四つ、試合は3回まで、1回につき3打席ずつ両者へ与えられる。最後に五つ、その他のルールや設備は基本ルールに則る。以上である。』
司会の言葉がそこで終わり、俺はホームベースの前でユリアと向かい合った。
「お互いに全力で、良い試合をしようね。」
そう俺が手を差し出すが、ユリアはそれには応えずに真剣な眼差しで静かにこう告げた。
「勘違いしないでね。今日は私のための試合なの……あなたが活躍する場なんて一切ないと理解するがいいわ。」
彼女はそう吐き捨てると、俺の手を自身の手の甲で叩き、優雅な素振りで自分のベンチへと戻っていってしまった。
少し痛みの残る手のひらから、ユリアの背中に視線を向ける。堂々と歩くその背からは、1ミリたりとも自分が負けるなどと思っていない事がよくわかる。
「まさに"じゃじゃ馬"って感じだな。まぁ、それくらいでないと俺も揺さぶり甲斐がないからな。」
俺は、少し赤くなった自分の手のひらをもう一度見て小さく微笑むと、今度はちらりとテラスへと視線を向ける。
俺たちに拍手を送りつつ、品定めでもするように大らかながら鋭い視線を向けてくる男。あれが皇帝、この国のトップに君臨し、この国で一番偉く、一番強く、そして……
ーーー1番ベスボルが上手い奴なんだな。
彼を一目見てそう理解した。
他の奴らがそれに気づいているかは知らない。ユリアでさえも、もしかすると気づいてないのではないだろうか。
だが、野球に人生を注いできた俺にはなんとなくだがわかる。"あれ"の彼が皇帝を冠する理由……その存在たる所以を。
「最終目標は決まったな……」
そう小さく呟いて、俺は自分のベンチへと歩き出すのだった。
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