55ストライク 互いに笑う
「冗談じゃないわ!」
そう吐き捨てたユリアは、目の前のロッカーを思いっきり蹴りつけた。その表情は険しく、こめかみに立てている青筋からは相当な怒りが感じられる。
「ベスボルを……!始めて……!1週間……!ですって!!?」
怒りを吐き出しながら、何度も何度も蹴りつけられたロッカーは、徐々に大きな凹みを作っていく。
「舐めるのも大概にしときなさいよね!!」
ユリアが叫びとともに渾身の一撃をロッカーへと加えると、ボコボコになったロッカーの扉がその痛みに泣くようにキィッと音を立てた。
未だ怒りが収まらず肩で息をするユリアに対して、ゲイリーが冷静な言葉を投げかける。
「お嬢、もういいだろう。そろそろ切り替えろ。」
「切り替えろって……これが怒らずにいられる?」
そう吐き捨てて、ユリアはもう一度ロッカーを蹴るが、その様子にゲイリーは表情を変えることなく諭すように告げる。
「お嬢……お前は才能はあるが、冷静さに欠けるところが欠点だ。いつも冷静にいろと……そう教えているはずだが?」
ゲイリーの鋭い視線を受けて、ユリアは不満げに大きく息を吐いた。
彼女は貴族の中でも地位の高い公爵家の生まれであり、他の貴族に比べても多くの事が自分の思い通りになる環境で育ってきた。その為、自分の気に食わない事や思い通りにならない事は大嫌いなのである。
もちろん、それは私生活に限らずベスボルにおいても同様であり、格下相手に舐められる事など言語道断で決して許されない事実なのだ。
だが、そんなユリアでさえ自分の感情を抑え込まなければならないほど、ゲイリーの言葉は重かった。元ではあるが、ユリアにとってゲイリーはヒーローであり、そんな彼が今は自分の専任のコーチをしている。彼女にとっては夢のような環境である反面、父マルクスからはベスボルに関してゲイリーに逆らう事は許さないと言われており、それが彼女にとって少しのストレスである事は本人も自覚していた。
「わかってるわ……切り替えるわよ。」
ゲイリーはその言葉に大きく頷いて一つの書面を取り出し、「今日のルールを簡単に復習する。」とだけ告げると備え付けの黒板に丁寧にポイントだけを書き綴っていく。
一、使用する道具は協会が準備したものを使う事
ニ、相手を殺す行為は禁ずる
三、結果について、不平不満は絶対に述べない事
四、試合は3回までとする
五、その他のルールや設備は、基本ルールに則る
注)勝負は一対一を希望する。「インフィニティーズ」の介入は認めない。
書き終えたゲイリーがユリアに振り向く。
「簡単に言うと、相手を殺さなければ何をしてもいいという事だな。」
「そうね。だけも、私と一対一だなんてどういう神経しているのかしらね。」
「これは、あのエルフが提示してきたルールだとムースから聞いている。奴はそれが相手との約束だと言っていた。すでにインフィニティーズとの勝負ではないのに律儀な奴だ。まぁ、メンバーを集められない理由があるのだろうが……他にもなにか思惑があるかもしれん。油断はするな。」
「あの白髪エルフね。確か『ベスボル・フィロソフィア』の広報官だったっけ。エルフは小細工が上手いから、たぶんムースの奴はヘマして弱みでも握られたじゃないかしら?じゃなきゃ、こんなまどろっこしい事しないでしょうし。」
ユリアはそう推測して、ここにいないムースを小馬鹿にしたように笑う。
「でもまぁ、安心してゲイリー。相手が何を考えていようと、私はぶっちぎりで叩きづぶすつもりだから。」
不敵に笑うユリアの言葉に、ゲイリーは小さく頷いた。
・
一方、ソフィア側のロッカー室でも今日の試合について話し合いが行われていた。
「もう一度おさらいだ。これを見てみろ。」
スーザンが持参した魔写機が白い壁に一つの映像を映しており、そこにはマウンドに立つユリアの姿がある。
「ユリアってスキルいくつ持ってるのかな……。何度観ても羨ましい……」
映像を観て、そう感嘆の声が溢れた。
映像の中のユリアは、様々なスキルを使って打者を抑え込んでいく。時にはボールが姿を消し、時には瞬間移動させて相手を惑わし、炎や水、風など様々な魔力をボールへ乗せて投げる事で、三振の山を築いていく。
「これは天性の才能だな。」
「そうね。これだけ多くの属性を持っている人物なんて、私も一人を除いて他に知らないわ。」
「え?他にもいるの?」
こんな恵まれた才能を持った人材が他にもう一人いる。その事実に驚いた顔を向ける俺に、シルビアが頷く。
「えぇ、今のベスボル界を席巻しているバース=ローズよ。彼は投げるにしても打つにしても超一流。多くの属性を持ち、それらを自在に操って数々の記録を塗り替えている……彼の二つ名はまさに攻守の"二刀流"よ。」
バース=ローズ?
はて……どこかで聞いた気がするけど、二つ名が"二刀流"って……俺が戦力外通告を受けた後、少しして世間を騒がせていたあの選手を思い出すよなぁ。
首を傾げてつつ物思いに耽っていると、スーザンが口を開く。
「そもそもプリベイル家とバース家は親族同士だろ?同じ血が流れているなら、同じような力が使えるのも納得だな。」
「そうね。そして、今回の試合はそんなローズの従兄妹であるユリアを活躍させてプロデビューさせる為、改めて組まれた試合でもあるのよ。」
それを聞いて、一つの疑問が浮かぶ。
「え……でも、ソフィアが勝ったらどうなるの?ユリアはプロになれないって事??」
すると、それを聞いたスーザンとシルビアは小さくため息をつき、少し言いにくそうにこう告げた。
「要はだな、ソフィア……私たち以外の全ての者はユリアが勝つと信じている。庶民のお前が勝つなんて思ってもいないし、彼女の負けなど誰も望んじゃいないのさ。」
「まさに踏み台にされようとしている訳ね。ムースの奴に一泡吹かせるはずが、とんでもない事になっちゃったわ。まぁ、ルールだけでもこちらで決められたのは幸いね。」
二人にそう言われても、俺はあまり驚かなかった。
貴族であるユリアが出てきた時点で、おそらく俺自身もなんとなくそうなんだと気づいてはいたのだろう。
やっぱりどんな世界にも地位や権力、名声を欲する者はいる訳で……斯くいう俺自身もベスボルでの名声を欲しいと考えてここにいる訳だしな。
しかし、元々は単なるリトルチームと俺自身のいざこざだったのに、気づけば皇帝が観戦に来るほど大規模な試合になってしまった。久々の試合がまさかの大舞台だとは考えてもみなかったけど、この試合に関して俺だって一切負ける気はない。
「はぁ……そうなんだね。ソフィア、なんだか緊張してきたなぁ。」
そんな俺の呟きに、スーザンが肩をすくめた。
「ソフィアお前、言ってる事と表情が合ってないぞ。」
「え……そうかな?」
「えぇ、その顔は緊張してる顔じゃないわね。」
そう言ってニヤリと笑うシルビア。
そんな二人に視線を向けて俺が笑みを深めると、今のまで沈黙を守ってきたニーナが話に割って入ってきた。
「なんにせよ、怪我には気をつけて悔いのないように思いっきり勝負してきなさい。あなたが一番やりたがっていた事なんだから。それに、今日は父さんやアルたちは来れないけど、遠くからでも応援してくれているわ。もちろん、街のみんなもね。」
「母さん……」
ベスボルは危険なスポーツだ。万が一、死ぬ事だってある。そんなスポーツを子供にさせなければならない親の心境を考えると、胸の奥が熱くなっていくのを感じる。
ーーー絶対にソフィアの体は無傷でお返しします。
俺は改めてそう心に誓った。
「そういえば、今回のルールはお前が考えたんだよな。シルビア……」
ふと、スーザンがシルビアへ投げかけた疑問に、俺もニーナも耳を傾ける。
「そうよ。シンプルでわかりやすいでしょ。」
「それはそうだが、あの3つ目の項目……あれはわざわざ明記する必要があったのか?今回は皇帝も観にくるんだ。さすがのユリアでもそんな事は……」
「甘いわよ。」
シルビアは口元で笑みを浮かべて肩をすくめる。
「ユリア=プリベイル……あの子、貴族界隈じゃ通称"エゴイッククイーン"て呼ばれててね。気に食わない事は、父親の権力を使って全て握り潰そうとするので有名なのよ。」
「それは聞いた事があるが……でも、今回は皇帝陛下だって観に来る訳だし……さすがにその結果を覆すのは難しいんじゃないか?」
「いーえ、あの公爵家ならやり兼ねないわ。私はそれで潰されてきた企業をいくつも見てきたからわかるの。今回、もしあの子が負けたりでもしたら……どんな手を使ってもソフィアを潰しに来るはずよ。だからこそ、皇帝陛下の前でそれを誓わせる。その為の一文って訳。」
なんだかシルビアがカッコ良く見える。
いつもだらしなかったり、少し抜けていたりするけど、たまにこんな風にキレ者になるんだよな。
やっぱり、シルビアってよく分からない。
まぁ、それは置いておくとして、いい話を聞いた。
ユリアの性格……わがままで自分の思い通りにならないと癇癪を起こすタイプ。
親からすれば厄介極まりない性格だが、今の俺にとっては最高のカモだ。
俺はこれから起こる事と、それに対してユリアが浮かべる表情を想像して、誰にも見えないようにニヤリと笑みを深くしたのだった。
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