54ストライク 冀望


 帝都ヘラクにある帝国立競技場は、第10代目皇帝インペリ=トウ=クレスが残した功績の証である。

 その様相は巨大にして壮大。

 堂々たる様は荘厳にして豪華絢爛。

 床や壁には様々な装飾が施されていて、その一つ一つが精巧に造られ、さらには精密に並んでおり、その姿は見る者の心を魅了して止まない。


 そんな帝国立競技場の用途は主に二つ。

 一つは、帝国が主催する様々な行事ーーー例えば、帝国生誕祭や一年の実りを祈る豊穣祭などーーーが行われるメイン会場としての役割だ。式典などでは各国の要人を招く事も多いが、それ以上に自国他国を問わず多くの人々が帝都に集まる為、それらの人々を収容できる場所として最適なのである。

 そして、もう一つの用途はクレス帝国発祥のスポーツであるベスボル……その中でも最高峰に位置するマスターズリーグが行われる競技場としての役割……と言っても、元々はベスボルを行う為に造られた設備なのだから、こちらの方が本来の用途であると言える。

 ベスボルの具体的な仕組みはここでは割愛するが、この場所はベスボル選手を目指す者にとっては、まさに夢の舞台と言う訳である。


 そんな帝国立競技場に、今日は多くの人々が集まっている。

 その理由は、本日行われるエキシビジョンマッチ。プリベイル公爵家の令嬢ユリア率いる『インフィニティーズ』と、辺境都市サウスに住まう狩人の娘ソフィアが勝負するという前代未聞の出来事に、帝国民のボルテージは最高潮にまで達しているという訳だ。

 その様子はまるでお祭りそのもので、競技場まで続く大通りにはたくさんの出店が軒を揃えており、大きな喧騒を生み出している。


 そんな大通りを時折駆け抜けていく馬車は、試合観戦に招かれた貴族たちのもの。競技場の入口は貴族と一般市民で隔てられているため、それらの馬車たちは競技場にある貴族専用の乗降場へと向かっていく。

 すでに貴族専用のエリア前には多くの貴族が集まっており、様々な装飾が施された上質な服と大小の宝石や金銀で彩られた装飾品を身につけた彼らは、互いに見せつけ合う様に立ち振る舞っている。建前の世界で生きる彼らにとって、自身の地位を誇示する事は日常的な習慣なのであろう。


 そんな品格漂う喧騒の中で、突然小さな響めきが湧き起こった。



「おぉ!ユリア様だ。」



 誰かがそう告げた瞬間、周りの視線が一つの方向へと集まる。その先には、炎のように真紅の長い髪を両側にまとめ上げ、金色の瞳に自信を灯して堂々と歩くユリアの姿があった。その横にはゲイリーの姿もあり、体の大きな彼が小さなユリアの一歩後ろを付き従う様子はプリベイル家の威厳を感じさせ、周りの貴族たちは自然と彼らに道を譲っていく。



「ユリア様!本日のご活躍、誠に楽しみでございます!」


「ふふん、ありがとう。」



 一人の貴族がそう告げてユリアが満足げに応えると、周りの貴族たちもそれに賛同して声を上げる。それらはすぐに歓声に変わり、波紋の様に連鎖して新たな喧騒を生み出していった。



「まぁまぁな舞台じゃない。ねぇ、ゲイリー?」


「そうだな。お貴族さまが考える事はよくわからないが、お前の実力を示すには絶好の舞台だろう。」



 ユリアはゲイリーの言葉に満足げに頷くと、そのまま競技場への入場口を目指して堂々たる歩みを進める。


 少し進むと、警備を担当する衛兵たちの姿が見えてきた。そこは選手以外は通れない専用の出入り口。選手たちは観客とは別に専用の出入り口が用意されていて、ロッカールームはもちろんの事、グラウンドや来賓席とも直結している為、試合前の準備をスムーズに行える様になっている。

 衛兵たちの前を通れば、自然に彼らの首が垂れる。その様子にユリアは鼻を高くしつつ、入り口に入りかけたところで一人の少女の姿を視認して足を止めた。



「ゲイリー、もしかして……」


「あぁ、あれが今日の相手だな。」



 金髪の長い髪を携え、真っ赤に燃える炎の様な紅い瞳の小さな少女。その周りには少女と同じ金髪の女性と白髪の女エルフ、そして、服装は庶民の物だが、綺麗な銀髪を品格と共に揺らして歩く女性の姿が確認できた。



「あの銀髪の女性がジャスティス家の元ご令嬢だ。」


「ふ〜ん、あれがあの有名なニーナ=ジャスティスね。それより……」



 ゲイリーの言葉を聞いたユリアは、興味なさげにニーナを一瞥すると再び少女に視線を戻した。

 確かに歳は同じくらいだが……でも、体格や仕草からは、とてもベスボルの素質があるとは思えない。


ーーーこれは思った以上に一方的な試合になりそうね……


 心の中でそうため息をついた。

 今日は自分の晴れ舞台……勝つ事は既定の事実であるが、相手にもある程度頑張ってもらわないと、自分自身の輝きが薄れてしまう。弱い相手に大差で勝つよりも、実力を持った相手を華麗に叩きのめす。その為のシナリオだって考えてきているのに。



(仕方ない……ちょっとやる気を出させてやろうじゃない。)



 そう口元に笑みを浮かべると、ユリアは金髪の少女へ向けて歩き出した。





「前にも来たけど……やっぱり凄いなぁ。」



 そう感嘆の声を漏らして、目の前の建造物を見上げる。前回見た時と何一つ変わっていないはずだが、自分の目にはどこか輝かしく映っている

 今からここでベスボルの試合をする……その高揚感がそうさせているのだろうか。その理由は定かではないが、この胸の高鳴りだけは偽りがない。


ーーー念願のベスボルを思い切りプレーできるんだ。


 そう思えば、目の奥がなぜだか熱くなる。

 この世界に来てからベスボルに触れる機会は多々あったが、本格的にやれた事はない。

 お預けを食らったペットの様に、目の前の好物に想いを馳せる。そんな想いでここまでやってきた事を思い返せば、自分の心情も理解できる。



「選手専用の入り口はあっちか。」


「そうね。さっさと準備して作戦タイムにしましょう。」



 スーザンとシルビアがそんな事を話している横で、ニーナが俺の肩に手を乗せた。振り向くと俺を見下ろして笑うニーナの顔が見える。その顔は凛々しくも慈愛に満ちた女神の様……



「そこのあなた!ちょっと良いかしら?」



 ニーナの表情に見惚れていた俺に、突然声がかけられた。驚いたのは俺だけではなくニーナもスーザンたちも同じだったようで、皆が一斉に声がした方へと視線を向けると、そこには腕を組んで仁王立ちする赤毛の少女と、あり得ないほどの巨体を携えた大男の姿があった。

 誰だろうと首を傾げていると、赤毛の少女がビシッと俺の事を指差す。



「あなたがソフィア=イクシードで間違いないかしら?」



 そう問われたので小さく肯定する俺に対して、なぜか大きなため息をつく少女。

 初対面の相手に対してため息をつくとは、一体どういう了見なんだ。躾がなってないぞ、躾が……この後ろのおっさんが親なのか?無言で立ってないでちゃんと怒れよな。

 内心でイラッとしつつ、大男へと視線を向けたところで、母ニーナがいつもは聞いたことがない声色を少女へと向ける。




「これはこれは、ユリア様。ご機嫌麗しゅう……」 


「ふん!堅苦しい挨拶はやめてよね!」



 せっかく母さんが礼儀正しく挨拶したのに、何で奴だ。そこの大男さんも親ならちゃんと怒れって。

 だが、ニーナは特にこれと言って気にしてはいない様だ。冷静な笑顔をユリアに向けている。



「そうですわね。ところでユリア様、うちの愚娘にどういったご用件ですか?」



 ニーナがそう問うと、ユリアは鼻を鳴らして腕を組み直した。



「今日の私の相手はあなたの娘なんでしょう?だから、試合前に挨拶をしておくのが礼儀だと思ったのよ。」


「それはそれは……丁寧なご厚意に感謝いたしますわ。」



 ニーナが返すも、ユリアの興味はすでに俺にある様だ。こちらを睨む……というか、完全に蔑んだ視線を向けてくる。



「で、ソフィアって言ったわね?あなた、ベスボルの経験はどれほどなのかしら?」


「え……?ソフィア?」



 突然の質問に一瞬言葉を失った俺を見て、ユリアは焦ったく思ったように語気を強めてもう一度問う。



「こんな簡単な質問にすぐに答えられないとか、あなた鈍間なの?ベスボルを初めてどれくらいかって聞いているのよ!」



 あぁ、なるほど……そういう事か。

 その時、俺はユリアの思惑を理解した気がした。要は、彼女は俺を挑発しに来たのだ。試合前に相手に揺さぶりをかけ、自分に有利に事を進めたい。そんな事を考えているのではないだろうか。

 しかし、鈍間はちょっと言い過ぎだよな。貴族ってのは本当に礼儀を知らないんだな。

 そう内心でため息をつきつつ、人差し指を一本立ててそれを彼女へと向ける。



「一年……?ふ〜ん、そうは見えないけど。」

 


 目を細めて品定めをする様に俺を見るユリア。

 だが、俺はすぐにそれを否定した。



「ううん。ちょこちょこやった事はあったんだけど、ちゃんと練習したのは1ヶ月!!いや……1週間くらいかな?」


「なっ……!いっ……1週間ですって!?」



 さすがにこれは想像の範囲外だったようで、ユリアの顔に驚愕の色が広がった。後ろに立っている大男は特に表情は変えないが、ワナワナと肩を振るわせるユリアはバカにされたと感じたのだろう。完全に怒りの目を俺に向けてきた。



「マジで有り得ないわ。今日の相手がベスボルを始めたばかりの初心者とか……ムースの奴、私の事をバカにしているのかしら。」


「あ〜でもね、ソフィアけっこう自信あるんだよ。今日の試合、お互いに頑張ろうね。」



 空気を読まずに笑って投げかけたその言葉は、完全にユリアの逆鱗に触れた様だ。だが、彼女は単に怒り出す訳でもなく、その怒りを抑える様に冷静にも重い口調でこう告げる。



「……いいわ。格の違いを見せつけてやるから。身の程を弁えないバカは、私が全力で叩き潰してあげる。」



 そう言い捨て、こちらの返答を聞く事すらせずに選手専用の入り口へと歩いて行くユリア。そんな彼女の背を眺めていると、ふと取り残されていた大男が自分に視線を向けている事に気づく。



「ソフィア……と言ったな。お前の本気、見せてもらうぞ。」



 何を感じ取ったのだろうか。

 そう告げた男の眼に期待と冀望が混じっている事を、俺はなんとなくだが感じ取っていた。

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