51ストライク 早朝の訪問者
約束の試合まで、1週間を切ったある日の事。
朝靄が深く、まだ街自体が寝静まっている早朝にスーザンの店のドアを叩く者がいた。
「スーザン=イクシード殿!皇勅を届けに参った。開けられよ!」
静けさも相まって、彼の声はその路地で大きくこだましていく。帝国の紋章が記された深い青緑の外套は、まさに彼が帝国からの使いである事の証明であり、本来の一市民ならばすぐにでも家から飛び出して跪くのだが……その家からの返事はなかった。
だが、訝しげな顔で首を傾げた使者がもう一度扉を叩こうとすると、突然ドアが開いて金髪の少女が姿を現した。
「なんですかぁ〜こんな朝早くにぃ……」
目を擦り、眠たそうにそう告げる少女に対して、使者の男は声を落として主人の所在を尋ねる。
「君は……ここの娘さんかい?悪いがお母……いや、スーザンさんはいらっしゃるかな?」
彼が言い直したのには訳がある。それは、彼にはスーザンが未婚である事がわかっていたからだ。
迎えてくれた目の前にいる少女はスーザンの娘ではないはず……しかし、彼女の家に住んでいるという事は血縁者か、もしくはそれらの関係者である可能性が高い。そう考えれば、いくら相手が子供だとは言え、帝国に使える人間として彼女に対する礼節は必要だ。男はそう考えたのだ。
だが、少女の言葉は男の想像の斜めをいった。
「ん……スーザンお姉ちゃんはまだ寝てるよ。」
お姉ちゃんという事は……妹?こんな歳の離れた妹が彼女にいたとは初耳だが……
少し驚きつつ、彼はすぐに切り替えて少女の前にしゃがみ込む。
「君……名は?」
「名前……?ソフィアだよ……ふわぁ〜」
「ソフィアちゃんか……悪いがこれをお姉さんに渡してくれるかい?大事な手紙なんだ。」
「お手紙……?誰からの?」
「これはね、皇帝陛下からのお手紙なんだ。」
見た限り、5歳くらい……か。陛下のご息女であられる皇女様と同じくらいの歳だろう。彼女と比べてしまっては可哀想だが、それでも賢そうな子だ。皇帝陛下からの手紙と聞けば、その重要性が理解してもらえるはず……
そう考えながら男が手紙を差し出すと、彼女はなぜか少し焦った顔色を浮かべてそれを受け取った。
「これをスーザン氏に渡して、帝国より使者が来たと伝えてもらえるかい?」
「今……?」
「そうなんだ。朝早くに申し訳ないね……だけど、急ぎの用事なんだ。」
すると、事の重要性を理解してくれたのか、少女は「わかった。」と言って店の奥へと消えていった。
しばしの間、男がドアの前で待っていると、中から先ほどの少女の声が大きく響いた。
「スーザンお姉ちゃん!帝国の使者の人が来てるよ!」
それに対する返事はない。
だが次の瞬間、ガタガタと何かが大きく揺れる音が聞こえた。それとともに、言葉になっていない叫び声が響き渡る。今度は焦りの混じった少女の声がこだましたかと思えば、子供に向けてはいけないような罵詈雑言の嵐が巻き起こる。だが、少女自身それに負ける事なく言い返している。
ーーーあのスーザン=イクシードに口で負けぬとは……
男はある意味で少女に感心していた。
今まで、スーザン=イクシードと対等に言い合っている者を見たことがない。頭も良い上に発言力もある……彼女と論じて上回る事など、皇帝陛下以外で叶えた者など記憶にはなかった。
だが、少女はそれに負ける事なく、対等に言い合っている。寝起きで機嫌の悪いスーザンから発せられる幾多の言葉を打ち返し、さっさと起きるように指示をしているのだ。
ーーー小さいのに度胸がある。
改めて男が感心していると、ようやく観念したのだろう。言い合いが終わって、バタバタと足音が近づいて来る事に気づき、男は即座に襟を正した。
その足音には不満が感じ取れる。それもそのはずだ……人に起こされる事をとにかく嫌う彼女を無理矢理に起こしたのだ。それもこんな早朝に……
男は覚悟を決めたように口を閉じ、ドアを注視していると、そのドアが勢いよく開かれた。
「皇勅だがなんだが知らんが、こんな朝早くに来るとはいい度胸だ!」
まるで言霊たちが怒っているかのように、激しく大きな声が耳の奥を振るわせる。それに、声だけでなく怒りに満ちた彼女の眼光は、まさに相手を睨み殺さんとばかりに鋭く吊り上がっている。
男はそれを見て、素直に怖いと思う反面、懐かしいと感じていた。すでに真っ直ぐ伸ばしていた背筋が、限界以上に伸び上がるこの感覚……若い頃に何度も何度も怒鳴られ、いつしか体に染み込ませられたその反射的感覚……そこから蘇る思い出に笑みを浮かべつつ、ゆっくりと外套のフードを外した。
「スーザン様、お久しぶりでございます。」
「ん……?お前……誰かと思えば"叱られマッド"じゃないか。」
「ハハハ……貴女だけですよ。私の事をいまだにそう呼ぶのは。」
怒りはすでに霧散しており、驚いた表情だけを浮かべる彼女にマッドと呼ばれだ男がそう笑う。
「改めて、お久しぶりでございます。スーザン様。」
深々と頭を下げてそう告げると、スーザンから大きなため息を吐く声が聞こえた。
「やめないか。私はもう一介の魔道具屋だ。帝国の使者様に頭を下げられるような地位には就いてない。」
「相変わらずですね。気にされなくとも、これは個人的な挨拶ですから。」
頭を上げながらそう笑うマッドに、スーザンはため息をつきつつも、その表情はどこか嬉しそうだった。
「あれ……?スーザンお姉ちゃんを"捕まえに"きたんじゃ……」
スーザンの足元では、小さな少女が疑問に首を傾げている。"捕まえに"とはいったいどういう事だろうかとマッドが視線を向けると、焦ったようにスーザンが彼女の口を手で塞いだ。
「なんでもないぞ!ハハハ……怖い夢でも見たんだろ!なっ!ソフィア!」
苦笑いを浮かべるスーザンを見て、マッドはなんとなく察していた。彼女は昔から突拍子もない事をする事で有名だった。そんな彼女の事だから、今回も自分の知らないところで何かしでかしたのだろう。
だが、今それを咎める証拠は持っていないし、そもそもそんな事を自分がする必要はない。
「そうか、怖い夢を見たんだね。大丈夫、お姉さんを捕まえたりなんかしないよ。」
そう言って彼は少女の頭を優しく撫でたが、子供扱いされた事が不満だったのか、それともまだ姉を捕まえられると思っているのか、彼女は少し不服そうに口を尖らせた。
その様子に小さく笑みを溢して立ち上がり、マッドはスーザンへ視線を向ける。
「で、ご覧いただけましたか?」
「ん?あぁ……勅命だったな。ちょっと待て……」
スーザンは手に握られていた勅命を慣れた手つきで開き、その内容に目を通していく。その横で、自分にも見せろと言わんばかりに背伸びをするソフィアの様子が微笑ましく可愛らしい。
「これは……冗談じゃないよな?」
一通り目を通したスーザンが驚いた顔をした。
「えぇ……皇帝直々に指示がありましたので。」
「なんでプリベイル家がでしゃばってくるんだ。」
「詳しい事は私には……どうやら『インフィニティーズ』の責任者とユリア様が直接話されたんだとか……私はそう聞いてます。」
それを聞いて「マルクスの奴め……」と舌を打つスーザンに、ソフィアと呼ばれる少女が抱きつくように飛び跳ねている。
「何が……何が書いてあるの?ソフィアにも見せてよ!」
「まぁ……そうだな。お前に関係ある事だし、隠しても意味はないか。」
少女は手渡された手紙を受け取るや否や、食い入るように顔を近づけた。そして、一気に読み終えたかと思えば、なぜか嬉しそうな表情をこちらに向けてくる。
「公式戦……!?これ……本当なの!?」
「あぁ本当だ。あのムースとか言うクソ野郎め。ここまで事態を大きくするとは……さすがに予想できなかったな。」
「でも、観客がたくさんいるんだよね!?それに皇帝も見に来るんでしょ!」
スーザンは怒り、ソフィアは喜んでいる。
そんな二人の違和感に疑問を覚えつつ、マッドは自身の不安を口にする。
「スーザン様、あのユリア様の相手がこの娘というのは事実なんでしょうか。」
「あぁ、成り行きでな……インフィニティーズの責任者と一悶着あったんだが、まさか相手がユリアになるとは考えてもいなかったよ。」
「そうですか……しかし、本当に大丈夫でしょうか。ユリア様は6歳にして、すでにプロのベスボルプレイヤーにも勝ったと噂で伺っています。この娘がその相手を……」
そこまで言いかけたマッドは、ソフィアが好奇の目を自分に向けている事に気づいた。
「プロを……倒したの?その子、ソフィアと同じくらいなのに?!」
「あ……あぁ……」
「どんな子なの!?ポジションは?足速い?肩は強い?成績とかわかる?!ねぇねぇ!可愛いの!?」
突然の質問攻めにたじろぐマッドだが、ソフィアは止まらない。見兼ねたスーザンが彼女を担ぎ上げて口を塞ぎ、ニヤリと笑みを溢した。
「まぁ、大丈夫だと思ってはいるよ。この娘も規格外と言えば規格外だからな。」
「そ……そうですか……スーザン様がそう仰るなら少しは安心ですね。しかし、注意してください。プリベイル家はおそらくその試合を踏み台にして、ユリア様をプロにクラスアップさせたい魂胆があると思われます。ユリア様が勝つ為ならば、どんな事でもやるでしょう。」
フガフガと暴れるソフィアを見ながら、心配そうにそう告げるマッド。スーザンに対してだけでなく、今日初めて出会ったソフィアに対しても、本心から心配してくれているのがわかる。
だが、スーザンはさらに笑みを深めると、ソフィアの口を塞いでいた手を外してこう告げた。
「マルクスには悪いが、その試合はうちのソフィアがボロ勝ちするよ。ユリア程度じゃ、ソフィアは抑えきれんよ。」
その言葉に同調し、ニンマリと笑みを浮かべるソフィアの顔を見て、マッドは得体の知れない悪寒を感じざるを得なかった。
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