50ストライク 不敵に笑う


 薄暗い通路を、靴を鳴らしながら歩く男がいる。

 等間隔に吊るされたランプの明かりは、男の切れ長の目と綺麗に整えられた髪を照らし出す。それに一際目立つ煌びやかなスーツは、貴族の様な気品さを感じさせており、その表情はどこか満足げだった。


 彼、ムース=エクレルールは今、機嫌が良かった。

 それは今日が彼の誕生日だからでも親族に祝い事があったからでもなく、思いがけない朗報が飛び込んできた為である。

 アネモスでの一件で、不快な思いをさせられた事など今はどうでもよかった。あの忌々しい小娘に目にモノを見せるために、自分が所有するリトルチームのメンバーに招集をかけて外のグランドで待たせている事だって後回しでいい。



「これで我がチームの栄光は決まったようなものですね。バカな貴族どもがまた集まってくるな。」



 醜悪な笑みを浮かべたまま、あるドアの前へと辿り着くと、彼は紳士的な表情を浮かべ直し、丁寧にネクタイを締め直した。

 失礼にならない程度に軽くドアをノックすると、中からは「どうぞ。」とだけ返事が聞こえ、ムースはゆっくりとそのドアを開く。


 この部屋は応接の間だ。絵画や壺など、選りすぐりの装飾品たちがお客様をお迎えし、主人である自分が部屋に辿り着くまでの間、客人たちの目を楽しませてくれる。これらは全て、ムース自身の資金で購入した品々……名門と言われるベスボルのリトルチーム『インフィニティーズ』の運営によって、バカな貴族たちから巻き上げた金で集められた、謂わばムースの成功の証である。


ーーー彼女もきっと喜んでくれているだろう……


 そんな期待を寄せながら、ドアを丁寧に閉めて振り返り、ソファに座っている二人組に笑みを向けた。



「これはこれは、ユリア=プリベイル様にゲイリー=メソッド様……この度はわざわざ御足労いただき誠に感謝いたします。」



 丁寧にお辞儀を行うが、二人からの返事は特にない。その事に少しだけ戸惑いつつ、ムースは頭を上げて彼らの対面にあるソファへ腰を下ろす。

 美しい真紅の髪を両サイドでまとめ上げ、金色の瞳が特徴的な少女の名は、ユリア=プリベイル。帝都でも名高い公爵家の御令嬢という肩書きに加えて、彼女自身がベスボルプレイヤーであり、神童とも呼ばれている存在だ。しかも、かの有名なバース=ローズの血縁で、まさに血統書付きの期待の大型新人と言ったところである。

 その横に座り、こちらに鋭い眼光を向けてくる男がゲイリー=メソッド。彼はユリアの専属コーチだが、実はそれだけではない。

 何を隠そう彼自身が元ベスボルプレイヤーであり、破壊王ゲイリーと言えばその名を聞かぬ者などいないほど超有名な人物だ。彼が打ち立てた功績は数知れず、試合で相対した選手を再起不能にするその強さから付けられた"破壊王"の二つ名は、クレス帝国どころかいくつもの国でも知れ渡っている。



「ま……まさか、ユリア様ほどの御方が我がチームに入っていただけるとは……それにメソッド氏まで……本当に光栄な事でござ……」



 まずは相手の機嫌を取ろうと常套句をつらつらと並べていくムースだったが、ユリアがそれを遮った。



「あのさぁ〜おべんちゃらとかどうでもいいのよね。さっさと本題に入ってもらえる?」


「……っ!は……はい!すぐに……!」



 自信に満ち溢れた彼女の態度は尊大で、まさに貴族そのものと言っていいほどに横柄だった。ムース自身、貴族の扱いには慣れていたが、今回は少しばかり話が違うようだ。

 これまで、何人もの貴族相手に金をむしり取ってきた彼なら、この時点でどうやって金を搾り取るかの算段を立て始めるところだ。しかし、なぜか今回はそんな余裕がなく、相手の迫力に気圧されるように書類を取り出していた自分に驚きを隠せなかった。



「ハハハ……まさかベスボル界で神童と名高いユリア様が我がチームに参入してくれるとは……その時点で"名門"という言葉ですら、安っぽく感じられてしまいますな。」



 正直、自分でも何を言っているのかわからない。それほどまでに、相手の雰囲気に飲み込まれているのがわかる。手のひらに滲む汗で書類に皺ができた事に焦り、すぐに新しい書類を取り出して、今度は不敬にならぬよう細心の注意を払って彼らの前に差し出す。



「こ……こちらが入団の申込書でございます。サインを……」



 そう告げてムースが万年筆を差し出すと、ゲイリーが無言でそれを受け取って書類にユリアの名を刻んだ。



「で……では、契約内容のご説明を……」


「要らないわ。」



 高慢な態度でそう告げられたユリアの一言に、ムースは言葉をなくした。そんな彼を見たゲイリーが、小さくも太く重い声色でその意を訳してくれる。



「無駄な話は要らん。本題に入らせてもらおう。」



 その迫力は現役時のプレーそのものて、さすがのムースも無言のまま頷いてしまった。ゲイリーはそんな彼を気に留めることもなく、淡々と話し始める。



「今回、貴様のチームにユリア嬢が入る理由はただ一つだけだ。それはこのチームの知名度を足掛かりとして、ベスボルのプロプレイヤーとなる事だ。」


「は……はぁ……我がチームを……」



 踏み台にすると宣言されて少しばかり不満を感じるが、相手は公爵家の令嬢である。プリベイル家は貴族の中でも皇帝に一番近いと聞いており、その権力は計り知れず、ここで逆らう事は得策でない事をムースはすぐに理解した。

 と言うか、自分がいる世界はそういう事がすぐに理解できないバカから消えていく。『豪に入れば郷に従え』とよく言ったものである。

 だが、彼にも一つだけわからない事がある。それはゲイリーが言う"ユリアがベスボルプレイヤーになる"という言葉の真意についてだ。たとえ自分のチームを踏み台にしたとしても、ベスボル協会の規定で選手登録は12歳からと決まっている。ユリアは確か今年で6歳のはずだ。ならば、あと6年はインフィニティーズに在籍し、然るべき時にクラスアップするものだと理解していたのだが、ゲイリーの物言いではすぐにでも"成る"と言っているように聞こえる。



「そ……それは……申し訳ございません。私には理解出来かねる部分がございまして……愚鈍な私めにもご説明いただくことは叶いますでしょうか。」



 つい本心でそうお願いしてしまったムースに対して、ここぞとばかりにユリアは自信たっぷりの表情でこう告げた。



「仕方ないわ!ユリアのように高貴な者の考えなど、お前たち愚民には到底理解出来ないでしょうからね。ゲイリー、説明してあげて。」



 その言葉に無意識に背筋が伸びる。プリベイル家の公爵令嬢の噂は聞いていたが、まさか本当にここまでのものとは……

 貴族は大抵、横柄な者が多い。平民を見下し、自分は偉いと思い込んでいる者たちばかりだ。偉いのはその地位を築き上げた過去の賢人たちであって、お前たちはその恩恵に授かっているだけの癖に……周りの者は皆そう言って愚痴をこぼす。ムースだってそのうちの一人だった。

 だが、そんな知り合いたちがある時からこんな事を言い始めたのだ。


ーーープリベイルの公爵令嬢は本物だ……


と。


 初めは意味がわからなかったが、本物を前にした今、やっとその意味を理解した。

 彼女からは、周りを納得させるほどのカリスマ性が溢れ出ている。逆らってはいけない……彼女には従うだけの何かがある。たった少し言葉を交わしただけで、ムースの本能がそれを感じ取っているのだ。

 緊張で動けずにいるムースをよそに、ユリアの言葉に従ってゲイリーが説明を始める。



「ユリア嬢は今年で6歳……本来は12歳にならねばベスボル協会へ選手登録は叶わない。だが、お嬢の才能と秘めたる潜在能力を、御父上であられるマルクス様は高く評価しておられる。そして、マルクス様は娘を更なる高みへと歩ませるべく、ある条件を出されたのだ。」


「ある……条件でございますか?」


「あぁ、そうだ。公式戦を執り行い、正式に正当な相手と勝負して皇帝の前でその力を示せ、とな。その結果次第では、ユリア嬢のプロ入りをマルクス様が皇帝へ打診してくださると言うのだ。」


「な……なんと……そんな事が……!?」



 ムースは驚きを隠せなかった。全くをもって前代未聞の話……そんな事が可能なのだろうか。いや、ユリアならば可能かもしれない。すでに彼女にはいくつもの逸話があり、その一つには、プロのベスボル選手を打ち負かしたとさえ聞く。



「して……そ……その公式戦とは……」


「やはりお前は愚鈍でバカなのね。それを組むのがお前の仕事……ユリアはその為にお前のチームに入るのだから。」



 ユリアが呆れながらそう告げ、それを聞いたムースは全てを把握した。

 確かに自分ならば、自国他国問わずともエキシビジョンくらいの舞台は簡単に用意できる。彼らはそれを見越して、本当に"踏み台"にしに来たのだ。目的が達成されればユリアたちはチームを辞めるだろう。

 何と言う自己中心的な考えだろうかと、ムースは内心で悪態をつく。だが、ムースはこれに逆らえない。逆らえば、自分などプリベイル家に簡単に潰されてしまうだろうから。



「かしこまりました。しかし、今からですと試合を組むのは最短でも1ヶ月後になるでしょう。」


「そんなに待てないわ。そうね……2週間で何とかなさい。」



 なんという無茶を言うのかと、さらに内心で苛立つがムースは冷静だった。

 2週間後には"ある試合"が予定されている。今から新たな試合をセッティングするには、時間が絶対的に足りないが、すでに準備されている試合なら何のことはない。その試合にユリアの興味を向けてしまえば、あとはプリベイル家が公式戦として担ぎ上げ、皇帝を招待した一大イベントになる。

 そして……


ーーー皇帝の前で、我がチームの強さを示すいい機会にもなる。



「じ……実は2週間後、とある非公式の試合がありまして……」


「非公式?話にならないじゃない。」



 完全にバカにした視線を向けてくるユリアに対し、ムースは内心の苛立ちを抑えつつ説明を続ける。彼女の興味をその試合に向けなければならないし、あの忌々しいガキは、悔しいがユリアのお眼鏡に叶うだけの素質がある。



「確かに……ですが、その相手はユリア様にとって取るに足る存在になり得るかと……」


「へぇ……例えばどんな?」



 片眉をピクリと動かしてそう尋ねてくるユリアに、ムースは内心でニヤリと笑うと、帝都で見たソフィアのプレーに関する一部始終を伝えた。



「へぇ……スキルも使わずにボールを変化させる選手……」



 話を聞き終え、そう小さく吐き出したユリアの眼はこれから狩る獲物を想像して、血を滾らせる獣の眼だった。

 


「いいわ。その試合、プリベイル家が預かる事にする。ゲイリー、お父様に伝えて舞台を整えなさい。」



 指示を受けるや否や、ゲイリーはすぐに部屋を後にする。ユリアと二人、部屋に残されてどうしていいかわからないムースをよそに彼女は不敵に笑う。



「いいじゃない……未知の技術を持つ相手をねじ伏せ、華々しくプロデビューを果たすユリア。最高なシチュエーションよね。」



 その鋭い瞳に、ムースは頷くことしかできなかった。

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