閑話 ジルベルトの憂鬱


「はぁぁぁぁぁ……」



 大きなため息をついて、目の前の薪へと斧を振り下ろすと、ストンと軽い音と共に薪は二つに割れ、コトンと地面へと落ちていく。俺はその様子をぼーっと見つめ、無気力さ全開のまま次の薪を手に取った。



「ジル……気持ちはわかるけど、そんなんじゃいつか怪我するわよ。」



 妻のニーナが洗濯物を干しながらそう告げる。

 聞こえてはいる……

 が、その言葉は頭の中にまでは入って来なかった。再び、薪を目の前に置き、機械のような動きで薪に斧を落とす。


 俺はジルベルト。

 この辺境の街サウスで唯一の狩人であり、街を魔物から守るために日々働いているイクシード家の現当主だ。

 さらに言えば、洗濯物を干している美人な妻ニーナと、長男坊のアルと長女のジーナ、そして次女ソフィアと言う最愛にして最高の宝物を手に入れた男。

 そんな幸せのど真ん中で何の不満もなかった俺は、家族、そして、街の連中とも上手くやって来れていた。


 そのはずだったのに……



「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」



 さらに大きなため息を溢す。

 洗濯物を終えたニーナは、その様子に呆れた顔を浮かべると、肩をすくめて家の中へと消えていった。

 それを見送った俺は、静かにその場に座り込んで胡座をかいた。

 どうしてこうなってしまったのだろうか……

 ソフィアの体質については仕方がないと思っている。"偏属"……こればかりは世の理であり、誰にも防ぎようがない事だから。それに、姉のスーザンに預けているし、あまり心配してはいない。離れるのは悲しかったけど……

 だが、それよりも問題なのは、ソフィアがベスボルに興味を抱いているという事だ。あれは何を言っても、絶対に諦めないだろう。俺の子だからわかる……あの頑固さは、イクシード家のそのものだからな。

 


「まったく……ベスボルに関しては、どうしてこうも上手くいかないんだ。」



 そう嘆くように呟いて、後ろに手を回して天を仰いだ。

 空はすっきりと透き通って青い。俺の悩みなんて、ちっぽけな事なのかもとすら思わさせられるほどに。

 ふと、ソフィアの顔が白い雲と並んだ。可愛らしい笑顔、天使のような声色……ジーナと同じく、全てが愛しい愛娘。

 それに、あの子は思っていた以上に頭が良い。言葉もすぐに覚えたし、家の手伝いも率先してやれる。あの歳の子供にしては、物覚えが早く配慮もできる。

 しかも、家の手伝いを始めたのはベスボルの本を買ってもらう為だったそうだ。アルからそう聞かされた時は本当に驚いた。普通なら、そんなに計算高く物事を考えられる歳ではないはずなのに。

 だが、妻のニーナはそれを喜んでいるから、否定はできない。疑うなんて以ての外だと怒られたし、確かに言われてみれば、親が我が子の優秀さを疎む理由などないはずだ。

 しかし……しかしだ。



「興味を持ったのが、何でベスボルなんだよ……」

 


 そう愚痴を溢しながら、俺は仰向けに倒れた。見上げた空では、小鳥たちが囀りながら飛び去っていく。

 優秀であることは嬉しいが、娘が興味を持ったものが良くない。ベスボルはイクシード家にとっては、呪いのようなものなのだから。



「呪い…か…」



 思い返せば、イクシード家は本当にベスボルに縁がなかった。

 高曽祖父アルベルト=イクシードは確かに昔、ベスボル選手だったが、それも短い間の事。運悪く怪我をして引退し、そのままこのサウスへと移り住んだのだと、祖父からはそう聞かされている。

 だが、イクシードの汚点はそれだけではない。高曽祖父だけでなく曽祖父も祖父も、皆ベスボルへの夢を諦めきれなかった。もちろん、自分の父でさえもだ。

 イクシード家は、どうやらベスボルに魅せられる家系らしい。歴代の当主たちは、これまで必ずベスボルに魅せられ、そして、そのせいで苦汁を飲んできたのだ。



「まぁ、他人事のように言ってるが、俺自身もそうなんだから親父たちを悪くは言えないよな。」



 そう大きなため息をついた。

 そうなのだ…自分も人の事をとやかく言える立場ではない。歴代の当主たちと同様に、ベスボルの魅力に飲み込まれ、失敗した一人なのだから。

 だが、だからこそと言うべきか。

 ソフィアが、ベスボルに魅せられるのだけは阻止したかった。あの子はイクシードの血を色濃く継いでいる。綺麗な真紅の瞳が何よりの証拠だし、それ故にベスボルに魅せられてしまう事は予想できたはずなのに…

 


「やっぱり呪いだな…これは……」



 再び、体勢を胡座に戻してそう溢す。

 できる限り、ベスボルに関する情報は排除してきたつもりだ。ソフィアが興味を抱かないように……

 しかし、あの子は辿り着き、興味を持ってしまった。やはり、あの時アルと一緒にベスボル大会に行かせるべきではなかったんだ……ニーナに何を言われようが、ソフィアだけは家に残しておくべきだったんだ。

 だが、そう後悔してもすでに遅い。

 ソフィアがイクシードの瞳を継いだ時から、これは決まっていたのかもしれないなと、そう考えてしまう。あの子はベスボルに惹かれ、そして、俺と同じように苦渋を飲まされるのだろうか……


 しかし、自分達の時とは少し異なる状況である事も、また事実だ。

 なぜなら、ソフィアがイクシードを継ぐことはない。本来であれば、赤雷色の瞳を継ぐソフィアがイクシード家の跡取りになるべきなのであろうが、次の当主はもう決まっている。



「イクシード家を継ぐのはアルだ。あの子には、俺以上に当主としての器があるからな……」



 アルには才能がある。

 魔力の操作もスキルの精度も文句なしだし、それに加えて街の連中からの人望も厚い。俺以上に人気があるのは考えものだがな。

 これはイクシード家にとって吉兆なのだろうか。妻ニーナの血筋……ジャスティス家と血を交えた事が、イクシードの運命を変えたのかもしれない。そう考えれば、ニーナには本当に感謝しなければならないだろう。

 とは言え、それらはあくまでも推測の域を出ない。家を継がないからと言って、ソフィアが自分の夢を追い求め、それを成就させられるのかと問われれば、それは絶対に無理だと断言できる。

 経験者は語る……と言う訳ではない。我が子の未来を…チャンスの目を摘むような非情な親になるつもりは甚だない。

 俺が無理だと断言する理由はただ一つ。

 あの子が"偏属"であると言う事が、最大の理由だった。


ーーー才能は努力と共にある。


 これは一般的によく聞く言葉かもしれないが、イクシード家では曽祖父が強く伝えてきた言葉であり、俺自身もその通りだと考えている。

 だが、世の中には、いくら努力しても越えられない壁がたくさん存在する。いくら素晴らしい才能を兼ね備えていても、成功できるのはたった一握りの者だけ。皆が皆、夢を追いかけ、それを成就できるほど、世の中は甘くはないのだ。



「ソフィアには現実を理解させなければ……」



 俺はそう呟くと、ゆっくりと立ち上がった。

 苦渋を舐めさせる前に……辛い思いをする前に……俺はあの子に理解させなければならない。

 置いていた斧を手に取る。そのまま、目を瞑って静かに呼吸すると、炎のようなオーラがコウッと静かに現れて、自分の体を包み込んでいく。

 ユラユラと揺めくそのオーラは、やがてゆっくりと斧に収束していき、最後にはその刃先を真っ赤に染め上げた。


 一呼吸の間を置く……

 風の音は歌声に、草木の葉擦れはまるで囁きのように感じられる。空から降り注ぐ太陽の暖かさ……それは、優しくも俺に力を与えてくれるようだ。

 次の瞬間、自分の目を見開くと同時に、持っていた斧を掬い上げるように空へと振り抜いた。

 すると、斬撃の軌跡に沿って姿を現した炎の刃が、轟音と共にもの凄いスピードで一直線に駆け上がり、遥か上空で花火のように弾け飛ぶ。


ーーースキル『空挺炎撃』


 人の背丈ほどある炎の刃を、斬撃として飛ばす事ができるスキル。

 最大で10個の斬撃を一度に発現でき、しかもそれぞれが違うタイミングで相手に襲いかかるように、時間差をつける事ができるイクシード家特有のスキルだ。

 


「どうしてもベスボルをしたいなら、俺を超えてからだ。」



 そうカッコつけて呟き、少しだけ感慨深くなっている俺の耳に聞き慣れた声が届く。



「やっぱりジルベルトのスキルだったか。相変わらずものスゲェな!」



 振り返れば、街の郵便室に勤めているポスが立っていて、その手には手紙が一つ。



「手紙か?」


「あぁ、アネモスから。送り主はお前の姉さんだ。」


「姉さんから…?」



 このタイミングで姉さんからの手紙なんて……嫌な予感しかない。そう思い、すぐに手紙を受け取って内容を確認した俺は膝から崩れ落ちた。

 焦り駆け寄るポスの声など、まるで聞こえない。


ーーー帝都ヘラクへソフィアと観光に行ってくる。


 ポスが拾い上げた便箋には、そう一言だけ書き記されている。

 よりにもよって、ベスボルの発祥の地に……

 ジルベルトの意識はそうして途絶えた。

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