四方山話
カフェオレ
目黒純白① プロローグみたいなもの
純白。ほわいと。ひらがなで書くと途端に違和感の生じる、日本人らしくない名前。連想される元の語が英語なのだから、それは当たり前なのかもしれないが、らしくなくとも、どれだけ違和感を覚えようとも、それが彼女の名前で、彼女が名乗るしかない名前だった。恒例の自己紹介を終えて数日でその存在は学年中に知れ渡り、どんなやつかと彼女のクラスに足を運ぶ物好きもいたが、僕はそんな風潮をバカバカしく感じて、逆張りして、友人もいるそのクラス、1年D組に、一度も顔を出さなかった。変わった名前でここまで騒ぐことがあるのかと、この件に関して冷めていた。
しかしながら、僕が初めて彼女を目にしたとき、その名前は彼女を的確に表現している、と思ってしまった。それは声を大にして言えないような、失礼なことだったのだが。
white。白、白い。また、青白い。病人のように、青白い。
誰がどう見ても心配するような顔色で、背筋を伸ばし、確かな足取りで、僕の前を横切って行ったのが、最初の邂逅だった。通り過ぎて行ったその姿を思わず目で追ったが、後ろ姿からは長く伸ばされたストレートの黒髪しか見えず、僕は自分の見間違いだったのかと、色覚検査をした方がよいだろうかと考えたが、翌日も、その翌日も、その顔は変わらず青白かった。友人やクラスメイトに聞いても、先生に尋ねてみても、みな一様に「青白い顔」と評した。
顔面蒼白。それをふさわしい四字熟語と感じてしまうほどに、不健康な見た目の彼女を先生はひどく気に病んでいる様子だったが、同学年の生徒の一部はそうでなかった。つまりは、大半がそうというわけではないのだが。
彼らはそれを、面白がっていた。
最初はキラキラネームだ云々だと騒ぐだけだった(だけだったというのもふざけた話だ)が、誰かが英和辞書でその名前を調べだしたあたりから、それは非行と呼んで差支えないほどまでにエスカレートしたように思われる。こんなにぴったりな名前なんて、ご両親には先見の明があるだとか、生まれたときからそうだったんだね、バケモノみたい! だとか、そんなことを薄ら笑いで言い放ち、それから呵々大笑とする。
名が体を表しているという点に関しては僕も考えてしまったことだが、それを当人に、明確な悪意で歪ませたうえで伝えるという行為を楽し気にしてしまえる彼らの方が、よっぽどバケモノじみていた。いっそのこと、バケモノであった方が気が楽だったかもしれない。
生物学上の同族の悪意は底なしだった。彼らは心を傷つけるだけでは満足できなくなっていて、目に見える害を与え始める。
上履きを隠した。筆箱を隠した。机に誹謗中傷をした。消しゴムを捨てた。体操着を隠した。ノートを濡らした。雑巾を投げつけた。廊下ですれ違いざまにぶつかった。進路をふさいだ。足を引っかけた。人づてに届いた話だけでも、このざまで。都度、先生が注意をして、説教をして、指導をしても変わらない、地獄のような現実だった。
彼女の顔に変化が現れた。両目の下に、真っ黒な隈ができていた。顔色の時点でその健康状態には不安しかないものだったが、明らかに体調が悪化していて、そんな状態で、彼女は一度も学校を休んでいない。抗うこともほとんどせず、苛烈な言動を取るのは彼女の味方をする生徒たちだけで、本人が事をどう捉えているのかわからない中、事の重大さを共通認識し、彼女を守ろうと警戒心を募らせる。
一方、そんな状態の彼女を見て、バケモノもどきたちは爆笑した。
「目黒の目が、黒くなってるぞ!!」
狂気。それは確かに存在していた。何にそこまで駆り立てられているのか、理解ができない。理解もしたくない。ただ一つ、後でわかったことは、目黒という苗字までもが災いして、彼らを増長させたということだった。
彼女は階段から突き落とされた。
とっくに前からそうあるべきだったのだが、これを境に事態は学校内で収まるものではなくなった。報道陣も学校に押し寄せた。ここまでしても実名報道がされないということを、僕は知らなかったし、今でも信じられない。
運よく、彼女の命に別状はなかった。それだけだった。僕らは彼女を守ることができなかった。結末は、最悪を除いた最悪といってよかった。
主格犯らの在籍する2学年では緊急集会が開かれた。彼らは退学を余儀なくされた。正直、先生たちは忙しい中、可能な限り尽力してくれたと感じるだけに、こうなるまで事が収まらなかったことが、本当に悔やまれる。悔いている。自分の無力さを、悔いている。僕は彼女と、約束を交わしたのに。1学年の生徒らも、本当に怖い思いをしていただろう。入学早々から先輩たちが、後輩をいたぶることが日常化していただなんて、想像だけでも苦しくなる。
償わなければならない、と息巻いていたこの時点で、僕は目黒純白のことをよく知っていたわけではない。ただ、暴走する同学年の標的となってしまった彼女を見て見ぬふりはできないと、勝手に有志を募り、君の助けになりたいなどと宣っていただけだった。義務感で、正義感で、彼女のもとに訪れていた。
つまり、僕が目黒純白と個人的に関わるようになったのは、彼女が病院のベッドで目を覚ましてからの話であり、それこそが、目黒純白についての本題だ。目黒純白が、目黒純白でなくなるまでの話。迷いを経て、過去を乗り越えて、頼もしく笑った日までの話。その勇姿について、語ろうと思う。
四方山話 カフェオレ @koohiigyunyu
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