第85話 千人殺して半人前
パルの脳裏には物心ついた時からの“製造工場”での訓練が走馬灯のように駆け巡った。人間扱いされず、ただひたすら殺人マシーンになることを強制された日々──
アサシン候補生は、“殺し”を7歳で経験する。犯罪者や奴隷を相手に無数の殺し方を実践で叩き込まれるのだ。16歳で“製造工場”を巣立っていく頃には、少なくとも千人は殺すと言われている。
“製造工場”のある小国クスコヌールにはこんな言葉がある。
「千人殺して半人前、一万殺して一人前」
1日の訓練が終わるとわずかな時間だけ地下牢での仮眠が許された。たった3時間、それがアサシン候補生にとって唯一、“人間”としての生活を送ることのできるひとときだった。
とは言え、ほとんどの者はその時間を睡眠に費やす。当たり前だ。身も心も限界を超えているのだから。
そうした中でもパルは起きていた。意識を失ってしまうまでひたすら耐えた。眠りたくなかったのだ。自由な時間を感じたい、そんなことを自覚していたわけではないが、人としての本能がそうさせたのだろう。
そして、同じように起きていたのがディグだった。ディグとは幼いころから地下牢で格子越しに何時間も語り合ってきた。
「ねえ、ディグ。起きてるかい?」
「ああ、起きてるぜ」
「ねえ、僕たちって何で訓練するのかな?」
「そりゃ、人を殺すためじゃねえか。何言ってんだよお前は。俺たちアサシンなんだぜ」
「そうだけどさ。なんで人を殺さなきゃいけないんだろ?」
「さあな、そんなこと分かんねえよ。お前、人を殺すのイヤなのか?」
「別にイヤじゃないよ。でも、たまによく分からなくなるんだ。こんなことして本当に何か意味あるんだろうかって」
「やっぱり人を殺すのがイヤなんだろ? お前、すげー才能あんのにさ。俺なんかよりずっと」
「そんなことないよ。ディグの方がずっとすごい」
「でもな、本当言うと俺も時々思うんだ。大の大人がさ、俺たちみたいなガキに土下座して命乞いするじゃねえか。いつもなら、どう殺すのが一番恐怖を与えられるかとか、そんなことしか考えねえけど、こいつを見逃してやったら……命を助けてやったらどんな気持ちになるんだろうってさ」
「そうなんだ!僕もだよ、僕もおんなじだ!」
「だけど、それは教官たちが言う“同情”ってやつだろ? “同情”するヤツは一番ダメだって。だから、ダメなんだ。よく分かんねえけどダメなんだ」
「ねえ、ディグ。“幸せ”って言葉知ってる?」
「……聞いたことねえな。なんだそれ?」
「さあ、よく分からないんだけど、人間は幸せになるために生まれてきたんだって」
「誰から聞いた?」
「今日、殺しただろ? 奴隷のおばさんだよ」
「ああ、あいつか。やたらと俺たちに話しかけてきたヤツな。どうやって殺したんだっけ?」
「いろいろ迷ったんだけど、ハンマーで頭を砕いたよ」
「ああ、そうだそうだ。だいぶ返り血を浴びちゃったよな。お前ほどのやつがあんな凡ミスするなんて、ちょっと目を疑ったぜ」
「あのおばさん、僕のことを見ながら泣いてたんだ」
「怖いからだろ?」
「いや、そんな感じじゃなかった。何か変な感じだった。僕を見て言ったんだ。<かわいそうな子>って」
「変なやつ。俺たちがかわいそうってどういうことだよ。よっぽど自分の方がかわいそうだろうに」
「その人が言ったんだ。<人間は幸せになるために生まれてきたの。たとえそうなれなくても、精一杯努力をするのが人生なのよ>ってさ」
「なんだかよく分かんねえな。とにかく俺たちは任務をこなすだけだ。もし、最高にすげえ大物をさ、自爆がなんかしてさ、殺すことができたら……それが“幸せ”ってやつなんじゃねえか? だって俺たちはそのために生きてるんだから」
「そうか、そうだね……そういうことなんだね。わかったよ、ディグ」
──ディグ、僕はようやく“幸せ”になれるんだ! 君がとうとう味わうことのできなかった“幸せ”を手に入れるんだ。あの世で会ったら話をしてあげるよ。どんな気分か。僕たちはずっと知りたかったじゃないか。“幸せ”ってどんなものなのか……
舞踏会の生演奏は二曲目のクライマックスを迎えていた。スローバラードでパルの腕の中でリリアはゆっくりと肩でリズムをとって踊っていた。
ふと、パルは立ち止まる。リリアが怪訝な顔で見てきた。パルは満面の笑みを浮かべ、拳に力を込めた。
内なる魔力を最大限に引き出し、放出するためだ。
──やった、やったよ。これで僕は……あれ?
スローバラードが終わり、拍手が沸き起こった。目の前でリリアがお辞儀する。パルは目を丸くして突っ立っていた。
「パルさん、お辞儀。曲の最後にはお辞儀するんですよ」
「どうして? なぜ、発動しない!? そんなわけ……」パルはそう言いかけてようやく気付いた。自分の周りに魔封じの結界が張られていることを。
「私、一応勇者なんです。ナメないでくださいね。ちょっと優しくしたら騙されると思いました? 私、そんな簡単な女じゃないんで」
けっこう“簡単な女”なのだが、そのことはわきに追いやって、リリアは自信満々に言った。もう少しで騙されそうになっていたことは完全になかったことになっていた。
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