第75話 リュドミラの裏切り
マーディガンのレストランを上機嫌で辞したリリアは、その足でリュドミラのアパートに向かった。
──まだ陽が高いから出勤前のはずだよね。
リリアは、リュドミラが昨夜からダンスホールに復帰したとブルニュスから聞いていた。
──なぐさめるって訳じゃないんだけど、やっぱり心配だもん……。でも、何を話したらいいんだろ……ディグとの思い出? まだそんな時期じゃないよね……うーん……とりあえず、最初なんて声をかけよう?
最愛のディグを失ったリュドミラの心は想像できないほど深い悲しみに包まれているに違いない。リリアは少しでも支えになりたいと歩きながら必死で、自分のできることを考えたが、思考は同じところをぐるぐる回るだけで何の進展もなかった。
──もういいや。どうせ私、変な小細工できないんだし。ストレートに『大丈夫?』って言おう。リュドミラちゃんに『大丈夫だよ』って強制的に言わせちゃう感じになりそうだけど……。とにかく、彼女を支えてあげたい。
殊勝な思いを胸にリリアがリュドミラのアパートの手前の角を曲がった時だった。
「え?」リリアは思わず声を出していた。
目の前には衝撃的な光景があったのだ。
──ど、ど、ど、どういうこと!? リュドミラちゃん、私、ちょっとよく分からないんだけど!!
リュドミラがアパートの階段を降りてくる。その隣には見慣れないイケメンの姿が。リュドミラはそのイケメンに腕を絡め、嬉しそうに微笑んでいる。どう見ても恋人どうしだった。
リリアはとっさに身を隠した。なぜ自分がリュドミラから隠れなければならないのか分からなかったが、とにかく見てはいけないものを見てしまったという思いがリリアの頭を駆け巡っていた。
リュドミラは男と目抜き通りに続く路地を歩いていった。リリアはその場に力なくへたり込んでしまった。
あれだけ愛した男が死んでわずか数日でこんな風に他の男とイチャイチャできるのか。リリアにはどうしても理解できなかった。
どれくらいの間立ち止まって悲しみ、故人との思い出に浸る時間を過ごせば良いか、そんな基準はない。だから、別にリュドミラがいつ次の恋を見つけようが、何も批判される筋合いはない。
自分自身を納得させようと、そうした一般論を理性が用意するのだが、どうしても感情が追いつかない。“一般論”はすぐに頭の片隅に追いやられ、感情のど真ん中には“嫌悪感”がどっしりと構えていた。
──正気を保つためにはそうするしかないのかもしれないけど…………ねぇ、リュドミラちゃん、やっぱり早過ぎない……? それ、私、ナイと思うわ……裏切りだよ。ディグだって……『そりゃないぜ』って言うと思うけどなぁ……いや、でもアイツは違うか。普通の人間の感覚じゃないんだった。『姉さん、そうそう、それでいい! ジャンジャン他の男と遊んでくれ!しんきくせえのはやめてさ、楽しんでくれよな』なんて言いそうね……ウン、絶対言うよ、アイツなら……じゃ、いいのかな……。そういう私だって、デートにルンルンしてるし……そんなこと言う権利ないか。そうか、私もおんなじだ。リュドミラちゃんとおんなじなんだ。ディグの死が辛すぎて、逃げてたんだ。舞踏会なんて渡りに船ってやつだったのよ。私は、現実逃避の材料がほしかっただけ……
リリアの抱いた“嫌悪感”は最終的に自己嫌悪に落ち着いた。
──あー、お酒飲みたい……
リリアは今までの人生でこれほどまでに酒を欲したことはなかった。ふと、ガレリアの酒場で働くイザベラの顔が浮かんだ。なつかしさが溢れ、リリアは泣いていた。
リリアに目撃されたことなど知る由もないリュドミラ。彼女は今、声を上げて笑っている。イケメンの繰り出す、びっくりするほどつまらないジョークの雨を全身全霊で受け止めて。
「もう、ラジールさんたらぁ、アハハ。やめてよ、笑いすぎてメイク崩れちゃうでしょう? ウフフ」
リュドミラは男と一緒に目抜き通りを北上していた。ダンスホールとは反対方向である。男の名はラジール。彫りが深く目がパッチリとして印象的だ。いわゆる細マッチョ体型。センスのいい服を着こなす金持ちのチャラ男といった感じだ。そして、何と言っても頭の悪さが前面に押し出されていた。
「リュドミラちゃん、こんばんワキ毛ー! どうぞよろチクビ!」
「アハハ、面白すぎるんですけどー」
「ねえ、ヤッちゃう?」
「なにを〜?」
「じらすなよー。アレしかないだろう?」
「まだ明るいでしょう?」
「関係ないじゃーん、そんなの。関係ナイトスクープ! なんつって」
「うーん……仕方ないなぁ。じゃ、こっちへ」リュドミラは路地裏の方に男を引き込んだ。目抜き通りと違って一気に人気がなくなる。突き当たりまで来ると、完全にデッドスペースになっていて落書きだらけだった。
「リュドミラちゃんはこういうトコでするのが好きなんだ? イヒっ!」
ラジールはいきなりリュドミラの口にキスをしてきた。ねちっこく舌をはわせながらリュドミラの下半身に手を伸ばす。
と──ラジールの手になにか固いものがあたった。
「なにこれ?」ラジールが訊いた。
「ああ、これはね、お楽しみに使うの」リュドミラが掴んで見せたのはメタリックな細長い棒だった。
「お楽しみぃ? どうやって使うの? おせーておせーて」
「これはここをね、こんな風に持ってね……」
「ウン、ウン」
「突っ込むの」
「どこにどこに?」ラジールはすっかり楽しんでいる。
「あなたの口の中」
「え?」
リュドミラがラジールの口の中に棒を突っ込むと、腹を蹴って飲み込ませた。
「うぐあぐ……ゲボッ! ゲホッ!! な、なにを飲ませた!?」
「爆竜石って言うの」
「ば、ばくりゅうせき?」
「そう。私の大切な人の命を奪った、呪いの石よ」リュドミラは冷たく言い放った。
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