第70話 立ち尽くす勇者は……

「ディグ君……」リュドミラは一瞬、ディグと目が合ったような気がした。こんなに緊迫した場面にも関わらず、心の真ん中に安らぎが訪れる。


 リュドミラを見つめるディグの目はいつだって優しかった。温かかった。その瞳に見守られている限り、なんだってできるし、なんだって怖くないと思った。そんな気持ちになったのは初めてだった。


 だから、リュドミラはディグにオアシスクイーンコンテストに出場する自分を見ていてほしかったのだ。一瞬だって目を離さずに。


 しかし、ディグは開会式こそ一番後ろから見ていてくれたが、ウォーキング審査の時はいなくなっていた。


──約束が違うじゃない! もう……


 後で文句の一つでも言ってやろうとリュドミラは思っていた。もちろん怒ってなどいなかった。確かにガッカリはしたが、シャイなディグのことだ。<婚約者>などと言われて赤面してしまったのだろう。


──まあ仕方ないか、アハハ。でもね、この借りは返してもらうからねー うっしっし


 リュドミラはこれを口実にディグの生まれ故郷に連れていってもらおうと思っていた。ディグのことをもっと知りたかったのだ。どんな家庭に生まれて、どんな風に育って、どんな友達と遊んで、どんな恋をしたのか。ディグを構成する全てを知りたかったのだ。


 リュドミラは何度も尋ねたのだが、ディグは自分のことを何一つ言わなかった。ただ笑ってごまかすだけだった。


──でも今回は許さないからねー! 絶対、連れていってもらうんだー。覚悟しなさい、ウフフ。ディグ君が育ったところってどんな場所なんだろうなぁ。きっと素敵なところなんだろうなぁ。


 リュドミラはこれからずっと続いていくであろうディグとの人生に思いを馳せるだけで、無上の喜びを感じることができた。




 ごぉおおおおおおお


 石畳の道や塀を破壊しながら巨大ピュロキックスがディグに迫っていた。ディグは突っ立っているだけで動こうともしない。


「逃げて!」リュドミラは必死で叫んだ。「逃げてってば!! なにしてるの!! ディグ君!! ディグ君!!」


 しかし、ディグは逃げるどころか、逆に向かっていった。


「……」


 リュドミラはもう言葉が出なかった。スローモーションのように時間の流れが遅くなっているような感覚だった。


 ディグの身体の輪郭から何やら黄色いモヤのようなものが出ているように見えた。リュドミラにはそれが何か分からなかった。そして、そのモヤはどんどん濃くなっていくような気がした。


 そしてディグは巨大ピュロキックスの真下に来ると、真上にジャンプした。


 次の瞬間──


 閃光が走り、爆音が鳴り響いた。リュドミラは爆風をモロに受けて吹っ飛んだ。


 ぎゅるるぅるるる


 巨大ピュロキックスの咆哮が響き渡る。身体のほとんどを破壊されていたが、かろうじて頭の先が残っていた。そして、そこから身体が再生を始めた。みるみるうちに足が生えていく。


 ディグが命と引き換えに繰り出した一撃はほんの少しだけ威力が足りなかったのだ。


 しかし──


 そこへ、“炎の弾丸”が突っ込んだ。火炎魔法を繰り出して自ら火の玉となっていたリリアだ!


 ドドーン!


 凄まじい地鳴りが響き渡った。そして、再生途中の奇妙な形のピュロキックスが炎に包まれ、跡形もなく消えた。


 リリアは瓦礫の上に着地した。その後ろはすぐに巨大カジノやホテルが立ち並ぶ繁華街だった。リリア、そしてディグは被害を最小限度に抑えたのだ。


 人々がリリアの元へと駆け寄ってきた。みなが興奮し、リリアに惜しみない拍手を送った。


「あんた、もしかして炎の勇者じゃねえのか?」「そうだ! リリアだよ、魔王を倒した。すげー!!」「どっかで見たような顔だなって思ってたんだ!!」「勇者さまがキャスタロックを救ってくれたぞ!!」


 人々は抱き合い、ハイタッチをして、互いの無事を喜び合っていた。


 しかし、その歓喜の輪の中で、リリアは突っ立ったままだった。心を失くしたように無表情で。


「勇者さま? どうしたの? もう魔物はいなくなったのよ」小さな女の子がリリアの顔を覗き込んで言った。


「そう……だね……」そう答えるのがやっとだった。女の子に微笑みかけることもできなかった。


「リーリ! ディグのあんちゃんは!?」ブルニュスが人ゴミをかき分けてすっ飛んできた。


「……」


「そんな……」リリアの横顔を見ただけで状況を察したブルニュスは膝から崩れ落ちた。そして、瓦礫の上に手をついて声を上げて泣いた。


「なんでだよぉ……なんでなんだよぉ……、こんなことってあっていいのかよぉ……あんちゃんはこれからリュドミラと幸せになるって時なんだぞ……ひどすぎるだろ!! 誰か何とか言えよ!! 教えてくれよ!! なんであんちゃんがこんなことに……」


 怒りのやり場がわからないブルニュス。そんな彼の視界に輝くものが入ってきた。


「……なんだこれ?」瓦礫の中から取り上げると、それは銀色に輝く小石くらいの大きさの物体だった。


「それは、爆竜石のかけら」リリアが口を開いた。


「ば、ばくりゅうせき? なんなんだよ? 爆竜石って」ブルニュスが訊いた。


「最大の火炎魔法、ダイナグールドに匹敵する火力を生み出す火薬。ディグの体の中にはね、それが大量に入っていたの」


「なんでこんなもんが、体の中に?」


「あんたよりも小さな子供のころから、ずっと爆竜石を砕いたものを飲まされ続けたからよ」


「意味わかんねえよ! なんでそんなことすんだよ!?」


「人を殺すため」


「……」


「でも、ディグは人を救うために使った……。ねえ、ブルニュス、それが……それがどういうことか……分かる?」リリアは涙声だった。ブルニュスと話をしていくうちに悲しみの感情が溢れてきた。


「知らねえ!! 知るわけねえ!!」


「そう……ディグはね……本物の英雄<ヒーロー>に……」リリアの言葉をさえぎってブルニュスが言った。


「ヒーロー? そんなんじゃねえよ!! バカなんだよ! 本物のヒーローは大切な女を幸せにするヤツだ。あんちゃんはヒーローなんかじゃねえ!絶対、ヒーローじゃねえ……」ブルニュスは爆竜石のかけらを握りしめた。そして、人ゴミに消えていった。


 リリアはブルニュスの言葉を噛み締めていた。


──確かに、ディグ。あんたバカよ。どうしようもないバカよ……バカ! バカ!! バカバカバカバカ!! バカー!!


 リリアの瞳から大粒の涙がとめどなく流れた。

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