第68話 大混乱の中で勇者は……③

 ディグは体中の血管が浮き立っていて、今にもはち切れそうだった。いつもよりも体が肥大化している。


 リリアは一目見て、ディグがピュロキックスを体内に宿したことを悟った。時折、波打つように黒い物体が体内を駆け巡るのが分かる。


「うわ、ディグまで!? もう麻薬は使い切っちゃたし!!」リリアはリュドミラを抱きかかえたままディグを見上げた。


 ディグはいつもの調子で言った。


「リリア、姉さんを助けてくれてありがとな。やっぱあんたは一流だぜ。アホのくせに」


「うるさいなッ! アホ言うな!! っていうか……ディグ、あんた、もしかして正気なの?」


「ああ、ピュロキックスさんたちは、俺の体の中に何匹か住み着いてるようだけどさぁ」


「じゃ何で、あんたは……?」


「俺にも分かんね。ただ、想像はつく。多分、俺が麻薬の常習者だったからじゃねえかなぁ」


「ディグ、あんたやっぱりクズ野郎だったんだ!」


「ちょっと聞けって。確かに俺はクズなんだが、好きでやってたわけじゃねえ。アサシンはガキの頃に薬漬けにされるんだ。訓練の一環でな。薬漬けにされて心をボロボロにされて、禁断症状で死にたくなるほどの絶望に追い込まれる。そこから這い上がったヤツだけが、正規のアサシンとしてデビューできるってわけだ」


「よく分からない理屈だけど、さすが“製造工場”ね!人間をなんだと思ってるのよ、まったく!!」 リリアは怒りを露わにした。 


 “製造工場”とはディグをアサシンに仕立て上げた極東の小国クスコヌールのことだ。


「怒ってくれてありがてえんだが、とりあえず話を進めていいか?」ディグは冷静に言った。


「あ、ああ。ごめん」


「俺の脳には多分、長年打たれ続けた麻薬の成分が残ってるんだろう。だから、ピュロキックスは俺の脳にアクセスできねえんだよ。つまり、俺は正気を保ったまま、体の中にピュロキックスを溜め込める貯蔵庫なわけさ。そこで、俺はある作戦を思いついた。それは……」


 話を続けようとしたディグをリリアがさえぎって言った。


「ダメ! 絶対ダメ!!」


「ちょっと待ってくれよぉ。否定してもいいがとりあえず最後まで聞いてくれって」


「聞かなくても分かる。ディグ、あなた自爆するつもりなんでしょう? ピュロキックスを飲み込めるだけ飲み込んで。違うの?」リリアは問い詰めた。“自爆”はアサシンの最終奥義だ。当然、ディグも使える。


「そうだけど。よく分かったなあ、ハハ」ディグは軽く返した。


「あんた、さっき私のことアホって言ったけど、戦いに関しちゃ経験豊富なわけ! ナメてもらっちゃ困るわ!!」


「すんません……」


「だいたいアサシンの考え方なんか、すぐに分かるって。自分の命なんか平気で差し出すんだもん」


「そう教えられたもんで。で、何でこの作戦が悪いんだ?」ディグは不思議そうに言った。


「バカなの!? あんたが死ぬじゃない!!」リリアは怒った。


「えぇ? 俺が死んだら何か都合が悪いことでもあるのか?」ディグはきょとんとしてリリアを見ていた。


 アサシンにとって自分の命など大して重要なものではない。作戦の中の一つのコマに過ぎないのだ。必要があれば捨てる、それだけだ。物心ついた時からそうした価値観の中で育ったディグは、普通の人間とは死生観も大きく異なっていた。


「リュドミラちゃんはどうするのよぉ?」リリアは自分の腕の中で眠っているリュドミラを見て言った。


「姉さん?」


「そうよ、リュドミラちゃんはあんたのこと……あんたが死んだらどうやって生きていくの!?」


「姉さんは大丈夫だってぇ、アハハ。どうやったって幸せになるに決まってる。こんな素晴らしい女は他にいねえだろ? 美人だし優しいし、ジョークだって面白い。一緒にいて安心できるってこういうことなんだなって、生まれて初めて思ったよ。だからさ、俺がいようがいまいが関係ねえ。姉さんは幸せになるよ。いや、幸せになるべきだ。っていうかむしろ俺が近くにいない方が良くないか? そうだ、一石二鳥だ。ピュロキックスも倒せるし、俺も消える。姉さんにとっちゃこれ以上ねえぐらいイイことだらけだ。やっぱ最高にイケてる考えじゃね?」


ディグは悲壮感もなくあっけらかんと言った。本心からの言葉だった。


「あんた、マジでバカなの?」


「はぁ?」ディグは本気でカルチャーショックを受けていた。確かに普通の感覚からすると<マジでバカ>としか言いようがない男だった。


「とにかくそんなの私が許さないから! 許しちゃったらリュドミラちゃんに殺されるしッ!! いい? 分かった!? ディグ!!」


「じゃ、どうするんだよ? リリア、あんたの考えを聞か……」ディグは口から出てきそうになったピュロキックスを手で自分の喉の奥に押し込んでから、言葉をつないだ。「せてくれ」


「あ、あんた、よく平気な顔でそんなことできるね……ま、いいけどさ……」リリアは呆れていた。


 リリアはステージから客席を見た。観衆は避難し、空いたスペースで傭兵部隊がピュロキックスと応戦している。


「傭兵の数は二百。ピュロキックスにのっとられた人間は百といったところね」


「いっそのこと傭兵さんたちに任せちゃう? なんつって、アハハ」ディグはシリアスな局面になればなるほど軽口を叩く男だった。「まあ、無理だろな」


「まあ、私たちがやるしかないないよねぇ」そう言うと、リリアは振り返って叫んだ。「ブルニュス!」


「なんだよ、リーリ」ジルの看病をしていたブルニュスがリリアを見た。


「ジルさんの容態はどう?」


「血は止まったよ。もう大丈夫だと思う」


「よかった。“秘密基地”まで麻薬を取りにいって戻ってくると、何分かかる? 本気で走って」


「フフ、そんなことしねえでも、麻薬なんて簡単に手に入らぁ。見てろ、リーリ」


 不敵に笑ったブルニュスの視線の先には小太りの男がいた。トレードマークの二重アゴ。


 それは、リュドミラがステージに立っているダンスホールの常連、カジノのバカ息子パラヤンだった。

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