第6話 勇者は昔の恋を忘れたい

朝からリリアは憂鬱だった。身につけた鎧はいつもよりも一層重く感じられる。叔父のボルドーが焼いてくれたパンも残してしまった。


「はあぁ……」


「ちょっとそのため息、深すぎるわよ」


うなだれていたリリアが顔を上げると、叔母のルルがテーブルを挟んで真向かいで頬杖をついてじっと見ていた。


「そんなこと……あるよねえ」


 今日は宮殿で平和記念式典が行われる。三年前の今日、三人の勇者が魔王を倒した。つまりそれを記念した祝日ということで、当然、勇者であるリリアは出席しなければならない。


「リリアはいつまで経っても、はにかみ屋さんだな」


 そこにキッチンからボルドーがひょっこり顔を出して笑顔を向けてきた。


「勇者なんだから、堂々と胸を張っていればいいのよ。あんた、おっぱいもそれなりに大きいんだし」


「そうだ。そうだよ。リリアはスタイルがとてもいいじゃないか。自身を持っていいんだよ」


「ありがと」


本当は「だけど、どうせ鎧着てるから意味ないよ。体のラインとか見えないし」と付け加えたかったが、ボルドーもルルも自分を少しでも元気付けようとして言ってくれているのだ。


ありがたく受け取っておくことが敬意であろうとリリアは考えた。


それに、頭を悩ませている問題は人前に出ることではない。確かにお気に入りの赤いドレスが燃えたため鎧で出席せざるをえないという事態に、テンションは果てしなく下がっているが。


リリアはかつての仲間に会うのが、嫌だったのだ。


三年前、共に魔王と戦った二人の勇者――いつもクールな氷の魔法剣士・クライファー。そして、おっとりとした雰囲気と戦い方のギャップが激しい稲妻の魔法剣士・ロクサーヌ。


二人は今、結婚してベクラフト連合王国に住んでいる。今日は式典のため、はるばる三日かけてガレリアにやってくるのだ。


――先に好きになったのは私だったのに!


三人の勇者がパーティを組んだのは、全員が15歳の時。すでに、それぞれが若くして有力な国々の筆頭剣士だった。


教会での出陣式で初めてクライファーの姿を見た瞬間、雷に撃たれたようにリリアは恋に落ちた。剣の道を生きて着たリリアにとっては初めての経験だった。


ロクサーヌは勘の鋭い女で、三日と経たないうちに気づいたようだった。


「応援してあげるわ」


 最初の一年、ロクサーヌの協力もあり、リリアはクライファーと二人きりで多くの時間を過ごすことができた。


星空の下で甘く囁いたこともあったし、暗く深い森で背中を合わせて寝たこともあった。しかし、クライファーは恐ろしく鈍感な男で、あからさまな好意を表していたにも関わらず、リリアを女として見ることはなかった。


 ただ、単純にリリアはクライファーの好みではなかったということなのかもしれないが。


そして二年目の春、三人パーティに変化が訪れた。


「ごめん、私も好きになっちゃった。だから、仕方ないよね」


 ある日突然、そう宣言したロクサーヌはクライファーに猛アタックを開始し、いとも簡単に落としてしまった。


 それから魔王を倒すまでの四年間、リリアは生き地獄を味わった。三人パーティで三角関係など目もあてられない。しかも、リリアは完全なる敗者だ。


 個人的な感情で全世界の人々の期待を背負うパーティを離脱するわけにはいかず、そうかといって毎日毎日、いちゃつく二人を見ることにも耐えられない。


 そこで、リリアはせっかく心に芽生えた“女であること”を停止させた。


日々、無感情に魔物を葬り、勇者と名乗るくせにプライベートはただのバカップルな二人を尻目に、一人黙々と来るべき魔王との戦いに備えた。


 二十四時間、一時も欠かさず勇者として振る舞うことで、リリアは心を引き裂かれるような苦痛から逃れることができたのだ。


しかし、今、リリアは思う。あの時の自分は逃げていただけ。そして、気づかないうちに心は擦り切れていたのだと。


 もうクライファーに未練はない。しかし……


――二人に会っても平気でいられるだろうか?


 ふと、何日か前にデートしたリトヴィエノフの顔が浮かんだ。リリアは自然と穏やかな気持ちになっていく自分に気づいた。微かな笑みがこぼれる。そして、何故か泣きそうになっていた。


 涙を必死でこらえると、目の前でボルドーとルルが肩を寄せ合ってパンをこねていた。結婚して二十年は経とうかというのに、どこまでも仲がいい。


――どうして私の近くにいるのは、いちゃつくヤツばっかりなの?


 しかし、心の中で毒づくと同時に、リリアはこの中年夫婦に憧れの眼差しを送っていた。そこにあるのは自分の理想だったから。


「いってきます」


 リリアは立てかけてあった剣を腰に差して、宮殿に向かった。

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