第12話 僕が倒れた後の出来事。


「うっせーな、子供くらいちゃんと捕まえとけよ。

お前の子供だろ。」


アサヒは罰が悪そうに前髪をかき上げた。

一人の人間が庇った子供は無事で、状況に恐怖して泣いていた。


バタバタと倒れた人間のために、人が動き回る。

その状況のせいで、自分の愛する番がその人間に付き添っていってしまった。


「あーもうどいつもこいつも、邪魔ばっかしやがって!」


その言葉に子供をあやしながら、黒い影の少女は叫ぶ。


「あんたの子供でもあるだろ!!」


少女がアサヒに向かってそう叫ぶと、アサヒはそれを鼻で笑った。


「はぁ?どこが俺の子だよ。全然似てねーじゃん!」


『似ていない』

それはもう『夫婦』でいる時からずっと言われていた。


それでもぐっと言葉を飲み込みながら、少女は泣いている子供を抱き上げる。


「……それでもあんたの子供だろ……!」


そう捻り出すようにつぶやいた。

少女の言葉に苛立ちを隠さず、今度はアサヒが叫んだ。


「あのさ、俺はもう決まった番がいるわけよ。邪魔しないでくんない?

もう俺たち関係なくない?」


『番』

これも『夫婦』でいた時からずっと言っていた。

実は番がいて、ここを出たら探しに行きたいと……。


でも自分達はどんな状況であれ『夫婦』なのだと。

子供の父親としていつかは『愛してくれる』と、信じていたのに……。


「……子供、どうすんのよ。」


ぐっと噛んでいる唇に力が入る。


自分は守らなきゃいけないものがある。

だからこそ、ここで折れるわけにはいかない、と。


きっとアサヒを睨み付けるが、少女を馬鹿にしたように鼻で笑った。


「そんなの勝手に育てりゃいいじゃん。俺関係ねーし。」


アサヒはそう言うと面倒臭そうに大きな欠伸をした。


『まだ泣くな。子供の前で泣いたらダメ。』


目の奥の方がジワジワと暖かくなるのを感じ、子供を抱きしめて立ち上がる。

そのまま黙ってアサヒの前を通り過ぎ、室内の方へと戻ろうとすると、一人の獣人とすれ違った。


通り過ぎる時、その獣人に腕を掴まれる。


ビクッと体を震わせてその獣人を見上げると……金色の瞳をした彼女は自分に向かって微笑んでいた。


「……アサヒ、この人は?」


驚いて固まっていると、彼女は少女の腕を掴んだまま、アサヒに向かって声をかける。


「……ああ、これはアコって言って、事実上のおれの嫁だったやつ。

コイツと番ったらいい生活してやるって言われてノリで番ったけどさ。

もう俺とは関係ないからマナカが気にすることじゃないよ!……それよりさ、」


アサヒはアコの前で優しく彼女に触れた。

自分に向けられたことのない憂いた瞳で彼女を見つめながら。


思わず身体中の血液が沸騰するかと思うぐらいにやばい感情が湧き上がってきて、掴まれた腕を振り落とす。

目の前で『夫』が触れる別の女を見ていられなかった。


「……初めまして、私マナカと申します。

お名前をお伺いしても?」


話しかけられて、全身の毛が逆立つのがわかる。


『怖い』


彼女が怖いのではなく、この自分が置かれている環境がとにかく怖かった。

誰かに助けを求めても、誰も助けてはくれない。

自分以外全てが敵の戦場に、子供を抱えて立っているような感覚に足も震えてきた。


ごくりと溢れる唾液を飲み込み、消えそうな声で呟く。


「……アコ。」


目を合わす事が出来ず、子供に顔を埋めて誤魔化す。

彼女が今どんな顔でこっちを見ているかなんか、知らない。


怖くて怖くて震える体を、彼女がそっと背中に手を添えてきた。


「この子の名前は?」


……名前?

なんで子供の名前?


なんで私の背中に手を置いてるの?


疑問がいっぱい浮かび、思わず顔を上げる。

すぐ近くで金色の瞳をした彼女が微笑んでいた。


「……背中に手を置かれると安心しませんか?

これは私の信頼する人がよくやってくれるので、受け売りなんですけどね。」


自分にしか見えないように、シーっと人差し指を口に当てる仕草に、思わず目が捉えられた。


こんな事あのアサヒがするわけない。

彼女が信頼する人は、別にいる……?


背中に置かれた手から恐怖が消えていく。

あれほど恐ろしかった世界が、じわりと背中からゆっくりと消えていった。


「あ、あの……名前、つけてもらえなくて……でもアタシはシエルって呼んでる。」


「シエルくん、いい名前ね。」


マナカさんはそういうと、グスグスと鼻を鳴らす涙目の子供に鼻を寄せた。


「……アサヒの匂いがする。」


「……え?」


彼女はそう言うとニッコリと微笑んだ。


泣き疲れてウトウトする子供の背中をポンポンと撫で、アコごとふわりと抱きしめながら言った。


「大丈夫だよ、君のお父さんはどこへも行かないからね。」


「は!?マナカ何言って……」


マナカの言葉に朝日がひどく動揺する。

アコから離れると、マナカはゆっくりと朝日に向き直った。


「かわいいお子さんね。アコさんとシエルくんとお幸せにね。」


ニッコリと微笑む彼女はとてもすっきりとした顔をしていた。

遠くから聞こえるサイレンに、藤木が中庭に戻ってくるのが見えた。


「藤木さん、行きましょう。

救急車が来たみたい。私も日向くんに同乗しますね。」


マナカは走ってくる藤木に手を振りながらそう言った。


「は!?おい待てよマナカ!俺たち運命の番だろ!?」


立ち去ろうとするマナカの腕を、アサヒが乱暴に掴む。

掴まれた腕からゆっくりとアサヒに視線を移すと、先ほどの微笑みが嘘のようにマナカの表情が変わる。


「……昔はそう思ってたけど、今は違う。

あなたの番は彼女よ。」


冷えた瞳で捉えられ、アサヒは怯むようにマナカの腕をはなし一歩下がった。


「違うコイツは言われてしょうがなく……それに保護されるんだし、俺がいなくてもいい生活できるだろ?

……俺たちは運命だろ?運命には逆らえないだろ!

だからこそ、こうやってまた会えた。

一緒に暮らそう?マナカ」


顔を歪め必死でマナカに縋るアサヒを見て、アコも眉を寄せた。


「違わない。あなたの番はこの子よ。

子供もいるのだし、ちゃんと責任持って。」


「は?なんで!?

コイツだって、俺が望んでできたわけじゃない。」


アサヒはそういうと子供を指差した。

ビクッとする子供を庇うように、アコはアサヒを睨みつける。


だがアサヒは既にマナカしか見えていなかった。

必死に縋るように、マナカに向かって手を広げた。


「いやだ!俺はマナカがいい!

俺は、マナカが……!」


腕の中へマナカをしまい込もうとした瞬間に、マナカがアサヒの腕を払いのける。


「アサヒ、ちゃんと聞いて。

……私たちは運命であったのかも知れない。

でもあなたがアコさんと番ったのも、また運命なの。

その運命のおかげで、あんなに可愛らしい子供が産まれたんだから。

あそこにいる人たちは、あなたが今後一生をかけて守っていかなければならないものなの。」


「いやだ、マナカ……!」


「さようなら、アサヒ。

私は私の運命の人の元へ行く。」


「はぁ!?……嘘だ、お前の運命は俺だ。

こんなに強くお互い惹かれあっているじゃないか!」


「それは同種族のフェロモンの影響よ。

あなたに会って分かったの。私の運命はあなたじゃない。

たとえこれが私の一方的な思いだとしても、間違いなく私の運命は別にある。」


天気の良い中庭に、疎らにいる獣人たち。

状況を見守られる中、風がマナカの髪の毛を大きく揺らした。


振り返らず歩き出す。


とてもすっきりとした顔で微笑む彼女を、アサヒはもう止めなかった。

ガクリと膝をつき、子供のように丸くなることしかできずにいた。

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