第9話 アサヒくん。
朝から事務所の電話がひっきりなしに主任を呼んでいた。
『アサヒくんがマナカさんに会いたいと暴れ、手がつけられない』と。
しかももう30分起きとかに。
いやもうそれよりか短いかも……。
うちの課では一番偉い人が主任だが、全ての決定権があるわけではないので、主任の上司の上司とかに返事や許可を委ねないといけない。
その決定がすぐすぐ降りるわけではないので、こちらが保留にしている間にアサヒくんの暴れっぷりがやばいのだろうな……。
アサヒくんの担当の人は、既に3人は変わっていた。
とりあえずお伺いの結果は、『まだ合わせられる状況ではない』とのことで、上層部の命令に従い、僕と主任で彼に会う(
彼らが保護されている施設へと向かう。
アサヒくんはまだ今日の調書が終わってない様子だったので、待つ間見学させてもらうことになった。
もちろん別室のモニターでね。
初めは軽い気持ちで聞いていた長所の様子。
それを見ながら過去の調書に目を通していた。
その明るみにされる内容はとてもひどいものだった。
富豪の家でアサヒはまるでペットのような生活を送っていたらしい。
18で成人を迎えた後、富豪の指示で猫獣人と非公式で結婚させられたとの事。
欲深い思考の富豪は『犬』と『猫』の子供がどんなのか見たい、という理由だったとアサヒは言った。
それを聴取していた職員が青ざめ言葉を失っていると、アサヒは微笑みながら『めっちゃ普通に猫が2匹生まれただけだったけどね』と悪びれもなく言っていたそう。
「猫からは猫しか生まれないんだよ。大体さ、犬と猫が混ざったら、それはもうただのキメラっしょ。」
そう言いながら反応がなくなった職員に向かって、肩をすくめた。
その様子をモニターで見ていた僕らも唖然としていた。
「自分の子供を2匹って……」
悲痛な顔で目を逸らす主任に、僕は口を開いた。
「そう、ですね。獣人だから匹じゃなくて人で数えるべきですね……。」
「……いや、うん。そこじゃないけど、空気は和んだからいいや……。」
何故和んだ!?と驚いて目を見開いたが、主任は僕に向かって頷くだけで分からないのは自分のみって感じで……。
とりあえず咳払いをして、僕は話を続ける。
「てか、アサヒくん結婚していたんですね……。」
僕の言葉に主任が顔をあげた。
「あーでも、正式的な結婚ではないからねぇ。戸籍的にはアサヒくんは独身。
猫獣人の……」
語尾を伸ばしつつ、調書を指でなぞり、文字を探し始める。
「……アコ、さんですね。ツムギ アコさん。」
「ああ、そうだったそうだった。
そのアコさんは、非嫡出子の子供を2人、出産地父親不明で出産していると言うだけ。」
主任はそう言いながら調書をポンっと叩きながら机に放った。
そして足を組み、机に頬杖をつく。
「あの、こう言う場合の保護ってどうなりますか?
例えば子供の種族は何になるか、とか。
あと、アサヒくんとの婚姻はできるのか、とか……。」
主任が放った調書を集め、自分の分と纏めて机の端に置く。
改めて主任を見つめると、主任は難しそうな表情で少し黙った。
そして大きく息を吐くと、大袈裟に肩をすくめた。
「……こう言う場合も何も、獣人の『他種族』との婚姻は認められていない。
だから例外なく、アコさんとアサヒくんは今後も婚姻関係にはなれない。
所謂、まぁ言い方はアレだが……アコさんとアサヒくんの子供たちは『雑種』と言う扱いになる。本来なら絶対起きてはならないことだからな。
我々の仕事は獣人の種族の保護を目的としているから、子供は処分される……なんてことはないが、公には認められない存在となる。
と、なるとどうなると思う?」
主任の迫力に思わずゴクリと喉がなった。
「どうなる、って……。」
まだまだ新人の僕には、知らないことが多い。
もちろんこの課に配属される前に研修などである程度は勉強をするが……。
イレギュラーな出来事に対しては全くわからない。
必死に考えてみたが、『保護区で保護!』しか思いつかなかった。
僕の答えに主任は静かに首を振る。
「……民間の施設に委託される。」
「え?」
民間の施設とは。
予想もできない答えが返ってきて思考が追いつかず動揺する。
狼狽える僕に主任はまた頬杖をついた。
「何度も言うが、うちは種族の保護を目的とした国の指示で動いている。
ひっくり返すと、要は純血種しか受け入れられんと言うことだ。」
「は!?」
思わず立ち上がる僕に主任が手を上下に振って『落ち着け』と合図する。
ますます理解が追いつかなく立ち尽くす僕に、主任が机の脇に置いてあるパンフレットをいくつか並べて続けた。
「今いる施設もそうだ。
ここは国が委託している民間の施設。
だが、委託してない施設も小さいながらも全国たくさんある。
勿論委託はしてないが国に届けを出さないといけないし、施設自体はちゃんとしているはず。
だが保護区ほど管理もちゃんとしてないし、彼らを守る力も鉄壁ではない。
民間だと資金集めも大変だし維持費もかかるから、かなり予算が足らないからな。
……まぁ、そんな民間に、アコさんと子供たちは民間に預けられることになるだろう。」
「……」
何も言葉が出ないし、何も浮かばない。
ただ、自分が誇りを持ってやっていた仕事は、上部の綺麗なとこを撫でているだけだったことを悟った。
なんだか仕事に対する憧れも自慢も、全部一瞬で崩れていく感じに、どう言う気持ちでここに立っていていいのかわからなくなる。
僕の動揺を主任は静かに眺めていた。
そして再び手を上下に振り、座れと合図した。
僕は頷きながら静かに椅子に座り直した。
「……俺もね、今の日向と同じ気持ちになったことがあるよ。」
「……」
無言のままの僕に主任が独り言の様に話し出した。
「獣人の助けになれるのは自分達の仕事だってね、プライド高々で仕事してたんだよね、俺。
でもなんだかちょっとおかしいなって気が付いて、俺たち特別市民生活課が『保護できない』と判断した獣人がいることに気がついちゃったんだよね……。」
ヘタクソに口の口角を上げて笑う表情だが、目を伏せて少し悲しそうにも見えた。
「まさか俺たちが把握してない獣人がいるなんて思わなかったからさ、びっくりだよね。
そして保護できない、保護する必要がないと判断された獣人はどこにいくんだ?ってなってね。
俺は自分で調べたんだよ。」
「そう、だったんですか……。」
うまく喋れているかわからなくなる。
受け答えもこれが最適な答えなのか、心が落ち着かない。
「そしたら俺たちがやってるのはただの純血種族の繁殖をやってる牧場の職員みたいだ!って気がついてね。もうね、絶望したね。」
話しながら主任は笑う。
面白くて笑うのではなく、笑うしかないから笑っているのだろう。
「でもその時はもう、俺結婚してたし子供も小さいし、で……自分の感情で仕事をやめると言うことがもう出来ない年齢だったよね。
別の課に移動することも考えたけど、給料めっちゃ下がるしさ。
うちの奥さん産後の肥立ちが悪くて共働きは無理だから、将来子供の進学のこと考えたら、ここでポリシー曲げても頑張るしかないって気がついちゃったよ。」
「……主任。」
なんて言葉をかけていいのかわからない。
同じ志で憧れた職場。
プライドもきっとズタズタになったに違いない。
じっと小さく座っている僕に主任は続けた。
「でもね、俺色々禿げるくらい悩んで、考え方を変えることにしたのよ。
どうせ俺の力は小さいから、自分が出来る事、守れる範囲でお手伝いしようって。」
主任はそう言うとさっきと違うニッコリさで僕を見つめた。
そしてさっきのパンフレットを僕の前に選んでおいていく。
「アコさんも多分民間の施設の方が暮らしやすいと思うんだよね。
保護区はなんというか、血統書ついてそうな人多いから……。
でね、ここの施設は委託じゃないけど、猫獣人多いって聞くし、子育てに向いてる環境でね、」
主任はそう言うと再びパンフレットに目を落とした。
心配そうに主任を見るが、主任は既にいつも通りに愛想笑いを浮かべた。
そして僕に『ある程度自分の限界と妥協って必要よ。』といった。
頷いて僕もパンフレットに目を落とした。
『マナカさんはどうするんだろうな……。』
アサヒくんはうちで保護する事が決まっているそうだ。
彼が住む家も大体決まっているとのこと。
『ニホンオオカミ』の純血種。
マナカさんはニホンオオカミではないが、元を辿れば同じ先祖のDNAを持つらしい。
オオカミ獣人は海外にもいる様だが、『日本』という部分にこだわっているのだろう、この国は『日本のオオカミ』ではなければ、純血種とは見做さないと言うことだ。
だからこそ、アサヒくんは貴重で、マナカさんと番わせたいと言うのが国の意向だ。
マナカさんは『人』としては29歳とまだ若いのだが、『オオカミ』としては……と言うより、繁殖年齢としては高齢になる。
『獣人の初産は30まで。』
これは別に決定しているわけではない。
そして種族によってまた年齢は違うのだが、希少種に関しては初産、年齢にこだわっていた。
マナカさんの出産年齢は残す所あと一年となり、国も焦っているのだろう。
なんとかマナカさんとアサヒくんを番わせ、絶滅危惧を回避したいらしい。
だがマナカさんとアサヒくんの子供はまたその相手はどうするのだと謎が残る……。
僕としては心中穏やかじゃない。
平気な顔はたくさん練習したのでできる様にはなったけど。
そしてアサヒくんの子供やアコさんの事。
そんな状態を無視しての番なんて……。
それじゃ人間ではなく、本当に『獣』じゃないか。
主任が見せてくれたパンフレットをいくつか読み漁る。
保護区にいるのとこう言う民間の施設と、獣人にとってどっちが幸せなんだろうか……。
できればみんなが幸せだと思える結果であって欲しい。
ちゃんと自分で考えて行動できる場所であって欲しいと、僕はそう思った。
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