第8話 ヒナタくんの内側とマナカさんの気持ち。

僕は相変わらずマナカさんの家に通っていた。


平常心ヘイジョウシン。

なるべく仕事のことしか考えないようにして、自分の心に蓋をした。

うん、風穴空いてるからね。

蓋をすれば隠せちゃう、ベンリ便利。


今現在、自分が彼女にうまく笑えているかはわからないが、僕の淡い恋心は泡となって水面にマッハでぶつかり、激しくパーンと弾け飛んだ、と言うことだけは理解している。


なのでね、僕はヘイジョウシンで仕事を全うするだけです。


「こっちの書類分は今回は間に合わなかったので、次までには用意して持ってきますね。」


「……うん、よろしくお願いします。」


マナカさんはあれからずっとこんな感じだ。

とにかく何かを思い詰め、元気がない。


なんとか元気を出してほしくて、アサヒさんの現在の情報を調べては彼女に伝えていた。


僕が話す言葉に嬉しそうにする時もあれば、グッと言葉を詰まらせて俯いて黙り込む時もある。

黙り込む時はきっと、僕の話がほしい情報じゃなかったのでがっかりしているのだと感じて、ついやっぱり自分の黒歴史を語って笑いを取ろうとしてしまうのだった。


最近はめっきりと笑ってはくれないけど……。

いや笑ってはくれるんだけど、なんかね。

やっぱりどっか寂しげで……。

伏せ目がちに口角を上げる感じだった。


だから僕は独り言のように勝手に話すことにしていた。

彼女の笑顔を取り戻すために。


「ーーで、ですね。僕その結婚式でスピーチさせられたんですけど、僕そこでテンパっちゃって、二次会でやる予定だった余興のネタをうっかり喋ってしまってですね、、、」


身振り手振りをつけながら、僕の話をウンウンと頷きながら聴いていて、時折目尻を下げながら口角をきゅっと上げる。

表情筋が『笑う』を示しているだけの表情。

きっと心は他に置いているのだろう。

いわゆる『心ここに在らず』だ。


それでも必死に『こっちへ』取り戻そうと、僕は躍起になっていた。

そんな時ふと呟くようにマナカさんが僕に問いかけてきた。


「……日向くんは、どうして、この仕事を目指したのですか?」


「僕ですか?僕はですね……」


昔起こった出来事。

つい最近何故かマナカさんちのトイレで回想したあの出来事を話し始めた。


僕が10歳の時、親戚の法事で連れられてきた街。

親の目が離れて1人になった時に、獣人に間違えられて誘拐されかかったこと。

その時に助けてもらった獣人の子供がまるで自分のヒーローのように思え、憧れたから。

とても足が早くて、丸い小さな尻尾に小さな頭に少しアンバランスに見える大き目の耳。

大人の人間相手に凛とした表情で、震える僕の手をずっと掴んでくれていた。


毛並みは裏覚えだが、明るめの色だったかと思う。


はっきり覚えている事とうろ覚えの境が10年以上も前なので、鮮明に思い出せることは視覚で記憶したことより体験した情景だった。


思い出を誇るように語る僕をマナカさんはじっと見つめていた。

だが僕を見るマナカさんの目は何かが違っていたことに僕は気がついていなかった。



<マナカside>



「……それって何の獣人だったんですか?」


マナカはさっきまでと違う気持ちで日向を見ていた。

さっきまでアサヒの現状や過去についてだったり、それを知った後の自分の気持ちなどを考えて、ずっとモヤモヤしていた。


現在はモヤモヤしている気持ちが苛々に変わっただけなのだが。

なぜこんなに苛々しているのかは、自分でも分かっているが認めたくないという複雑な状態。


さっきまでのマナカの『心ここに在らず』が解消したという狙いが成功しているなんて、日向は気がつくことはないだろうけど。


「うーん、僕は多分ですけどウサギかなって思ってましたけど……。

ウサギにしては耳は小さめでしたけど尻尾は丸かったですし、足も早かったですしねぇ。」


屈託なくニコニコと笑う顔を見て、マナカはなんだか苛々を通り越して悶々としてくる。


「毛色は?その住人の性別はどうだったんです?」


口を尖らせながら言うマナカだが、そんな仕草も日向は気がついてないのか、何も気に留めてない様子だった。

それが余計にマナカを苛立たせている。


……だけど。

質問するたびに『うーん』と悩む姿。

個人的には日向の、この悩む顔が気に入っていた。


眉をハの字に曲げ、口もついでに曲がっていく。

いつも腕組みするときは、右側に首が傾くのだった。


そんな日向をじっと見つめるマナカ。

視線に気がついてハッとした顔で固まっているが、すぐに見つめられて少し恥ずかしかったのか、頬を赤く染めながら目を泳がせ、頭をかいている。


そんなマナカの視線を誤魔化すように日向は呟いた。


「実はもう顔も覚えてなくて、毛色も性別もうろ覚えなんですよねぇ。」


日向はそういうと照れながら顔をあげるとマナカに向かいニッと笑うのだった。


『日向くんは名前の通り、お日様のようだ。』


マナカは暖かそうなその笑顔を、いつも眩しそうに目を細めながら見つめていた。


日向はマナカのために一生懸命アサヒの状況を調べ、伝える。

『今日は動きがないそうです!』と、仕入れられなかった本人の情報まで元気に報告してくるのだ。


そんな日向を間違いなく『愛おしい』と思うのだった。


『……私のこと、どう思っているのだろうか。』


マイペースで呑気。

おっちょこちょいだが、何かを察する能力は人一倍で、誰よりも先に動くことの嗅覚は動物並みだと思う。

だがそれは自分のことに関しては全くのポンコツ。

鈍いにも程があるのだ。


そして、誰にでも優しく、誰からも好かれるタイプ。


『この優しさはきっと私だけじゃない』


それが分かっているがどうしようもない。

自分がそれを咎められる立場でもないし、その立場にはなれない。


そのせいで行き場のない苛々する気持ちを発散できず、落ち着かせるためにピアノにぶつけるのだった。


『恋愛とは。』


好きとか愛してるなんて言葉は、気持ちを序奏するためのただのエッセンス。


序奏で流れを作り、次は主題で沸かせる。

そこを展開させることができたら後は流れに身を任せるだけだ。

恋愛も音楽も同じな気がする。


なんて理屈で気取ってはみたものの……。


幼少の頃からアサヒに出会って、ずっと気持ちは彼にしか向いていなかった。

いわゆる恋愛初心者だ。


アサヒ以外の恋愛なんて考え付きもしなかったから、自分がアサヒ以外にこれだけ心が動いていることに、嫌悪さえしている。


『恋に落ちるのは一瞬』


そんなわけあるか、と。

初めて会った人に、ひと目見て好きになるなんて自分はあり得ないと思っていた。


アサヒには恋に落ちたわけじゃない。

出会って最初に本能で嗅ぎ分けた感じがした。


同じ種族の獣人。

それだけで体の奥の方の『何か』が彼を求めてる。


『運命の人』


身体中にその言葉が刻まれたのだった。


『一瞬で恋に落ちるとは、一目惚れってこと?』


否。

よく知りもしない初対面の人物に、自分が果たして恋に落ちるのだろうか。

よくわからない人物を出会っただけで好きになる気持ちの正体とは?

いや、自分だったらどれだけイケメンでタイプの顔でも、本性や胡散臭さは拭えない。


“You can’t blame gravity for falling in lave”


誰だか忘れちゃったけど、昔の有名な人の言葉。


『恋に落ちる事を、重力のせいにできない』


何かで見たその言葉は、そこだけは妙に心に残る言葉だった。

だけどこの言葉はマナカの中にストンと落ちたのだった。


自分の言葉で要約すると、『何かのせいにしてないで、落ちた事を認めてしまえ』と言う事だと思っている。


日向くんを初めて会った時、自分の信念や概念を根底から覆させられるような、要約した言葉がドスンと頭に響いたのだった。


『今の自分は一体なんだ。』


マナカはアサヒと再会した日からずっと『運命』について考えている。

孤児院のブローカーがどこかの金持ちにアサヒを手渡したこと。


知らなかったとはいえそんな状況に置かれたアサヒをどんな感情で対面していいかわからなかった。

なんて言葉をかけていいかも。

保護された施設で見た数々の症状の獣人たち。

明らかにひどい事をされた『跡』が一目でわかるような痛々しい姿に、マナカはひどく動揺してしまった。

藤木や日向に『獣人という立場で覚悟してる』なんてよく言えたなと怯え泣きたくなった。


もし自分が逆で、アサヒの立場だったとしたら。

考えただけでも全身の毛が逆立つような感覚。

自分の意思とは関係なく、自分を自由にされるなんて事、自分じゃ絶対に耐えられなかっただろう。


マナカに抱きついたアサヒは少しだったが自分の近況を話していた。


アサヒ自体は『飼い主』に気に入られていたらしく、可愛がられていたと言っていた。

だけどひどく自分が引っかかっているのは、『俺がレアな狼って種族でよかったよ。』とか。

『俺の顔が綺麗だから可愛がられてた』など、ケロリとした顔で話していたアサヒ。

マナカとの再会を喜んでくれる彼のその言葉に、マナカは涙が止まらなかった。


小学校高学年あたりから今までの10年以上、アサヒは『悪い人間』に監禁されたまま偏った思考の支配下に置かれていた。

だからかわからないが、彼の言い方や考え方がひどくマナカを傷つけていく。


『俺がマナカを守ってあげる。』


自分の手を握り返しながら言っていたあの時のアサヒは彼なのか?

目の前にいる『アサヒ』が自分の知っている『アサヒ』とは思えないのは仕方のない事なんだろうか。


『ずっと亡くなったんだと思っていた。』


ある日突然、自分にこびりついて取れなかった『運命』が剥がれ落ちたのを感じた。

それは確かだった。

だからこそ亡くなってしまったんだと思っていたし、番への諦めも気持ちの整理もできたのだから。


……だけど。

アサヒは生きていた。

生きていてくれた。

それは体が震えるほど嬉しかった。


自分はこれからアサヒを支えていくべきなのか。

そうするとこの恋心はどこへいくのだろう?

ニコニコしながら誰にでもついて行きそうな、この頼りない人間への嫉妬心もどこに隠しておけばいいのだろう。


世話になって守ってくれる『人間』が望むのは『種族の保護』。

必然的にアサヒと自分は番わされることになる。


それが自分が愛する『日向』の仕事でもあるのだから、自分はその決定に素直に従えたらいいのだろうか。

……果たして私はそれを受け入れられるのか。



質問を投げておいて、どこかボーッとしているマナカを心配したのか、気がつくと日向が至近距離で顔を覗き込んでいた。

驚いて顔を上げると、運悪くお互いの額同士がぶつかってしまう。


「んあ!?す、すいません!マナカさん大丈夫ですか!?」


自分も痛かっただろうか、涙目でマナカに近寄ってくる。

伸ばした両手でマナカの頬を支え、そのまま額を心配そうに見つめている。


「うわああ、赤くなってきてますよ!すぐに冷やさなきゃ。

マナカさん氷ってありますか?冷蔵庫勝手に開けても大丈夫ですか?」


ポカンとしている間に、今度はマナカが質問攻めをされている。

痛いのは同じなのに、自分の痛みを忘れて他人を心配している姿に、なんだか可笑しくて。

マナカの口から声が漏れた。


「……ふふふっ」


「マナカさん……?」


突然笑ったマナカを不思議そうに見つめる日向。

そんな日向に向かってマナカは笑い出した。

心のモヤモヤも苛々も、全て吹っ飛ばすくらいに。


笑い出したマナカを困ったように見つめている日向。

そんな日向に聞こえないくらい小声で呟く。


「クヨクヨ悩むのって性に合わないんだったわ。」


時間は取り戻せない。

アサヒも大事に思っているが、日向も大事なのだ。


自分の本能に従えばいい。

だって自分は『獣』なんだから。


“Ask and it shall be given you”


 —求めよ、さらば与えられんー


突然浮かんでくる聖書の一文。

神様、どうか全てがあるべき姿へ。


マナカはそう心の中で呟き、祈るように両手を胸の上で組んだ。

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