第3話 ぽっかり開いた穴は、いつ埋まるのでしょうか。
どうやって帰ったのだろう。
帰り道のことはあまり覚えてなくて、ハッと息を吹き返したら、僕は自分の部屋の浴槽に服を着たまま座っていた。
シャワーは出していないのが、なんとなくセーフな気持ち。
彼女の話が反芻して胸の奥の方を締め付けていた。
『昔ね。』
彼女の口から始まりの言葉が落ちた。
「まだ私が祖母と暮らしていた時……確か、12歳ぐらいだったかな。」
『12歳の彼女。』
自分の気になる言葉が頭の中で繰り返される。
まるでマナカさんの言葉を、一語一句忘れず記憶に刻むつもりで聞いていた。
自分の昔話と、マナカさんの昔話。
出会ってない彼女に出会えるような、そんな感覚でワクワクしていたんだと思う。
そんな僕に気づかないで、彼女は少し
「その時両親が亡くなって、こっちの地方の保護区にいる祖母に引き取られることになったのね。
……昔はここよりずっと南の方の地区に住んでたの。」
髪の毛を滑らせていた指は、今はカップの淵を撫でている。
少し恥ずかしそうに昔話をする彼女を、僕はまだニコニコと聞いていた。
「両親が本当に突然事故で亡くなって、それが受け入れられずに、戸惑いと不安から逃げたの。
迎えにきた祖母の手から飛び出してしまった。
数日後には私は祖母の住む保護区へと行かなければならない。
両親と住んでた街や家から離れる恐怖に、自分も父と母と一緒に消えてしまいたいと怖くなってしまった事があってね……。」
マナカさんの言葉は少しずつ途切れ途切れになりながら続けられていた。
きっと昔の辛い記憶が思い出されたのだろう。
ここでふと話を止めるべきかを悩んだが、そんな僕に気がついてか、マナカさんはぎこちなく微笑んだ。
「それでね、しばらく歩くといつも遊んでいた近くの公園が見えて、いくアテもなかったからそこに身を寄せることにしたの。
もう、あたりは夕暮れでね、迎えに来た母親と一緒に帰る子供と何人かすれ違ったわ。
私はそんな子供から目を逸らすように、公園で立ちすくんでいた。
ブランコと滑り台、そして長い椅子が2つあって、椅子は少し街灯から離れていたから暗くて少し怖くて、座る気になれなかったから。」
「……確かに夜の公園って暗いですよね。」
薄暗い公園は昼間とは違った風景になる。
子供ながらに僕も怖いと思ったことがあった。
僕の言葉にマナカさんは頷きながら再び頬に手をついた。
「ふと見るとブランコが揺れていることに気がついたの。
ブランコをよく見ようと顔をあげた瞬間、ブランコの方から心がざわつくような匂いがしてきた。
ブランコにいた人影もその匂いに気がついたのか、ゆっくりとブランコを降りて私の方へ歩いてきたのね。
お互い歩み寄って街灯の前まで近寄ると、そこには私より小さな狼の男の子がいた。
小さいっていっても小学校くらいの子で、茶色の毛並の私と同じ色の目をしていたわ。」
……匂いの正体が彼からしていたことに気がついた。
そしてお互いでその時、強く惹きつけられる気がした。
『運命』
「まだお互い小さかったけど、これは運命だと体の奥から実感したあの感覚。
私たちはお互いの隙間を埋める様に、今まで生きてきた状況を話し合った。
彼は今日ここに引っ越ししてきた、と言ってた。
でも数日後に私がここを離れる事を告げると、少し考えて『大丈夫。離れていても絶対俺は君を見つける。大人になったら必ずに迎えにいく。』と言ってくれたの。
それから私の家に一緒に戻り、祖母から聞いた保護区の住所を彼に伝えて、私は引っ越ししていった。
そこから4年ぐらい手紙のやりとりをしていたんだけど、突然彼からの手紙は途絶えてしまった。
もし生きていたら会いにきてくれたと思うから、もしかすると亡くなってしまったのかしらね……」
話の途中で幾度も得体が知れないナニカから胸が
でも僕は我慢して微笑んでいた。
彼女が懐かしそうに、そして悲しそうに話す物語を。
『運命』を語る姿を、僕はどんな顔で聞いていたのだろうか。
必死に平常心を取り繕いながら口を開く。
「……彼のことって何かわかりますか?」
抉られた胸は大きく穴が開いてしまった気がして。
手で触れたらなにもないくらい空間に手が埋まっていくような……。
僕は今、うまく笑えているのだろうか。
僕の言葉にマナカさんは顔を上げた。
「彼の名前は『
その時7歳って言ってたかな。多分ニホンオオカミ獣人だと思う。
引っ越ししてきたのは父親が亡くなったからとかで、うちの地域にある孤児院へ連れてこられたってこと。
それしかわからないわ。」
真っ直ぐと僕を見つめるマナカさんの視線。
勇気のない僕はそんな真っ直ぐな視線をさっと逸らす。
「彼のことを、まだ思っているんですね。」
心の穴が意固地になってしまって、ひどく重い声でそう呟いた。
「……そうね、きっとまだ私は待っているんだと思う。」
彼女のこの最後の言葉が、多分ずっと頭に残っていた。
そして大きく開いた穴にコロンと落ちて消えていった。
それからは曖昧に、適当に相槌を打って誤魔化していたが、全く頭の中が整理できていなかった。
しかも時間も遅くなったからって夕飯までご馳走になってしまったというのに。
せっかくのマナカさんの手作りご飯の味を全く覚えていない。
『オイシイデス、オイシイデス』とオイシイデスマシーンのようだったと思う。
自分の好意がマナカさんにバレ、線を引かれたようにも思った。
とても苦しかった。
情けないことに、そのまま浴槽に座ったまま一晩中泣いた。
ああ、僕は恋心に気がついた途端、失恋したんだなって。
なんだかもう、自分の全てが終わった気がして、このまま排水溝にでも流れて消えてしまいたかった。
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