第2話 夜更かしなんかしたから。


初めての出会いから数ヶ月が過ぎた。

僕は定期的にマナカさんの元へと足を運んでいた。


初めての担当で気合が入っているのもあるが、保護区に常駐している職員はいないため、こうやって何度も訪問し獣人の心身の健康管理や保護区以外のお使いに世間話や交流も、我々特別市民生活課のお仕事。

そもそも保護区は都心から結構離れた田舎にあるのだ。


元々は廃村した地域を開拓し、彼らがそれぞれに住みやすい環境に作り変えた街。

住民登録も徹底され、出入りは厳重にされており、『人間』の出入りは国や市役所の許可がいるのだ。


もちろん『密猟』に関しても徹底とされ、入口は何処ぞの軍並みのバリケードである。


獣人たちはその一つの『街』で生活している。

各自仕事を持ち、仕事をしながら生活していた。


周りに張り巡らされた高い壁など気にならないほどの長閑な光景。

獣人用の学校や託児所に公園、そんな高くないがビルやマンションもあった。

この街だけで全てが事足りる。

めんどくさがりの僕には理想な街だなとのほほんと思っていた。


だが要するにここはただの檻。

獣人を集めて管理する檻なのだとも言われている。


だが保護している獣人たちから不満が出ているわけではない。

むしろ怯えて暮らさないで済む今の環境を感謝している方も少なくない。


ただ、この街のことをよく知らない『人間』の方から、そういう『意見』があるらしい。

そして極秘だが、事情があり獣人に繋がる職業などで許可が降りた『普通の人間』も何人か住んでいるのだ。


まぁ廃村とはいえ、元々この土地で商売などの理由で住んでいた方もいたとの事だが、保護区に住む人間は審査され、『偏見やらを持たない』などの広辞苑並みの分厚い誓約書を書かされることとなる。


保護地域の住宅街から少し離れたのどかな場所に、マナカさんの家があった。

築年数が立っている外観と、伸びきった草の間から聞こえる虫の声に、『田舎』を感じさせる。


マナカさんの仕事は作曲家。

防音室などないので、少し他の住人と離れた場所が良かったようだ。


車のエンジンを切り、庭先に停めた車から降りると、少し落ち着いた感じのピアノの音が聞こえていた。


「こんにちは!マナカさんに頼まれていた物を持ってきましたよー!」


呼び鈴は鳴らさずガラガラと立て付けの悪そうな扉を両手で開けると、奥から返事が聞こえる。


「お使いさせてごめんなさい、ちょっと手が離せないので持ってきてもらってもいい?」


「了解っす!」


重くはないが大きめの段ボールを3つも抱えているので前が見えにくい。

靴を蹴るように脱ぎ捨てると、軋む廊下の奥へと歩いていった。


「ここに置きますね。」


廊下を抜け、勝手知ったる感じで一番広い部屋へと向かう。

その部屋の真ん中にある白いピアノの前で、考え込む彼女の姿を見つけた。

時折楽譜に何かを書き込みながら、何度も何度も同じフレーズを弾いていた。


僕は知ってる。

こういう時のマナカさんは何も聞こえない。


僕はフッと顔を緩ませると、段ボールを部屋の隅にそっと置き、近くのソファに座った。


ソファーも結構年季が入っているのか、座るとクッションの部分がずしりと沈んだ。

それが妙に体を包み込むような感じで、僕は結構好きだったりする。


人をダメにするヤツに似た感じの包容力。


ソファーに微睡ながらふと、マナカさんの方に目をやる。

楽譜を見つめる真剣な表情。

そして鍵盤から手が少し離れて、指先が止まる。

じっと楽譜を見つめたかと思えば、何かを思いついたようにパシパシと瞬きをする。

そしてまたじっと鍵盤を見つめる。

下がった目線がぱっと大きく開かれると目線が上がり、また真剣に楽譜に何かを書き込んでいた。


そんなマナカさんをじっと眺めていた。

鍵盤の弾かれる音と一緒に、少し尖った爪の当たる音が混ざりあう。

音と彼女の姿を見つめながら、僕の頬は緩みっぱなしだった。


気がつくと高い位置にあった太陽が陰り、あたりは薄暗くなっていた。


「……さん、日向さん。」


心地のいい声と肩の揺れに目をあける。


「……うあ!!」


気がつくと1人がけのソファに体をだらりと預け、なんとも言えない体制に。


「あれ、……僕寝てましたか?」


慌てる僕の問いにマナカさんは微笑みながら頷いた。


「あああ、会社……!」


慌てて後ろポケットからスマホを取り出して画面をつける。


「……18時。」


確か今日は戻って書類を書かなければいけなかったはず。

連絡もせずにこんな時間まで……。


「あああ、しかも女性の家で眠りこけるとか……!」


信号のように顔色を変え、パニックになりながら焦る僕を見ながら、マナカさんは楽しそうに笑っていた。


「藤木さんには連絡を入れておきました。直帰していいそうですよ。」


そういうとマナカさんが僕に近づいてきた。


「……へ?」


焦っているため、マナカさんが言っている意味がよく理解できない。

ゆっくりと微笑みながら近づいてくるマナカさんに目が囚われる。


「私が注文してもらった本が思いの外たくさんあって、本棚の整理をお願いしたので遅くなりそう、って言っておいたの。」


スマホを持ったまま立ち尽くしている僕の前に立つ。

ゆっくりと手が挙げられ、それが僕へと近づいてくる。

まるで何かの映画のワンシーンを見ている気分に、瞬きさえ忘れていた。


マナカさんの手が僕の目の前に止まった。


「日向さん、よだれ。」


「ヒェッ!」


よく見たらマナカさんの手にティッシュらしきものが握られている。


途端に現実にもどった僕は、さらに慌てふためき、自分のシャツの袖でゴシゴシと口を拭った。


「……僕もうマナカさんには恥ずかしい姿しか見られてない……。」


うう、泣きたい。

どうせならもう、お家に帰ったら浴びるほどビールでも飲んで泣きながら反省会でもしよう……。


半べそで赤い顔を隠すように両手で覆う僕。

その指の隙間から、まだ近いままのマナカさんが見えていた。


「そんなことありませんよ、ていうと嘘になっちゃいますけど。

でも恥ずかしい姿とは思いませんよ?」


「……嘘になっちゃいますよね。」


「ふふ、はい。」


たはぁ、っと両手で頭をかかえ、その場に膝から崩れ落ちる。


「もういいんです。僕が取り繕ったって変わらないし。」


「そんなことは……!」


なんとかフォローしてくれようとする言葉を遮るように、僕は声を上げた。


「ああ、そう言えば荷物……」


ふと足元に置いたダンボールたちがいなくなっていることに気がつく。

キョロキョロと荷物の行方を目で探していると、マナカさんの手が僕の腕に触れる。


「あ、おやすみされている間に開けてしまいました。

ていうか、ごめんなさい。お待たせしちゃった私のせいですよね。」


マナカさんが触れる腕に全神経が集中しているのがわかる。

毛穴というか、腕の産毛が逆立つ感じ。

ていうか、マナカさん近いよ!


なんて違うとこに気を取られ、またぼーっとしているのが自分でもわかる。


ここに通っている間に多少なりとも親しくなったとは思っていたが、ここまで距離が近いのは初めてだった。

獣人は警戒心の高い種族が多い。


狼は犬科とはいえ、気高く人に警戒心が高い種と聞いていた。


「え、何がですか?」


激しいビートを刻むドラムのような音を立てながら、動悸と動揺が再び戻ってくる。

一瞬荷物探すあたりで一息つけたのに、腕に触れられているせいで素早い出戻りである。


おかえり、僕の動揺。

今だって『何が』の『が』のあたりが少し上擦ったし。


眼球水泳中の僕に、マナカさんはじっと僕を見つめていた。


「集中すると周りが何も聞こえなくなっちゃって、待たせてしまったからですよね。

退屈でしたよね。」


申し訳なさそうな表情に、僕は慌てて首を振った。


「違います……!音色が心地よかったのと、あの、昨日ちょっと夜更かししてしまって……」


久々に地元の友達から連絡があって、つい長話した事実。


「そう、だったんですね。」


マナカさんはホッとしたように微笑んだ。


「てか荷物、本棚の整理ってどれやったらいいですか?」


「え?」


「いやだって、さっき主任にそう言ったんじゃ?」


僕の言葉にマナカさんはフッと目元を緩ませる。


「……もう終わっちゃいました。」


「……あああ。」


情けない声をあげ頭を抱える僕に、マナカさんはまた楽しそうに微笑んだ。





『ついで』とは。


一体僕はいつ動揺とバイバイできるのか。


『ついでにお茶でもしましょう』と、直帰で予定もない僕にマナカさんが誘ってくれた。

そのまま台所へと案内される。

買い物の手伝いや買い出しの時によく通過するこじんまりとした台所。


田舎の家の作りなので、台所の側にリビングテーブルが置かれていた。

『どうぞ座って』とテーブルと同じ色の椅子に座るように促される。


僕がマゴマゴしながら着席すると、マナカさんは台所の方へと向きをかえる。

レトロな感じの花柄のヤカンに水を入れて。

カチカチカチと重たい音がして、ヤカンが置かれたガスコンロにボッと火がついた。


湯が沸く間に脇にある食器棚の奥からカップが目の前に出される。

来客用のちょっとおしゃれな感じのやつ。

あのティーカップの下のお皿の役割を、僕は知らない。


彼女が狭い空間をクルクルと動き回ると、彼女の尻尾が揺れる。

それを目で追っていて、ハッとする。


僕今日ずっとマナカさん見過ぎじゃないか……?

いや、今日に限らず結構ずっと見ているな……。


なんかダメな事をしている気持ちになり、リビングテーブルにがくっと肘をついた。

そのまま頭を抱え込み、いつもの反省モードに。


どうしよう、この担当気持ち悪いと思われていたら。

今現在は避けられたりしている態度はないが、実は我慢しているだけだとか……⁉︎


ぐるぐる考え込んでいる僕の背後に影がさす。


「……ふふ、また頭を抱えてる。」


テーブルを見つめる僕の前に、用途のわからないお皿に乗せられたお洒落なカップが置かれた。

マナカさんのお気に入りの紅茶の匂いが、なんだか温かい。



「そう言えば、夜更かしの原因ってなんだったんですか?」


しばらくの沈黙の後、ふと提供された話題に僕は顔をあげる。


「あー、中学の頃から仲良かった友達から、久々に電話来たんですよ……」


中学入ってからの付き合いで、ずっと幼馴染のような関係の友がいる。

地方だったからか子供の数が少ない分、兄弟のように過ごしたメンバー。

よく喧嘩もしたが、自分が都心に就職しても月2で連絡が来るぐらい、未だ付き合いがあるのだった。


思わず昨日話した内容に頬を緩ますと、マナカさんが興味を持ってくれたのか質問が続く。


「どんな内容だったんですか?」


「結婚、するらしいです。」


まだ温かいカップに口をつける。

ごくんと一口飲み込むとマナカさんの視線に気がついた。


「へぇ。日向さんっておいくつですか?」


「僕は24です。」


「……少し早いような?」


首を傾げ、少し考え込むようなポーズ。

確かに24なんて大学卒業して2年だし、そっから就職しても職歴も浅い新人。

結婚して誰かを養うには少し早いのかなとは感じる年代だが、地元の友人たちはほぼ高校卒業して就職したり、家業を継いでる子たちが多いので、僕より遥かに大人だったりする。


カップにふぅと息を吐き、僕は照れたように頬をかいた。


「そうですね、僕も驚きましたが……田舎って結構結婚早いんですよね。

しかも彼女も同級生なんですけど、授かったらしくて……」


僕の言葉にマナカさんの瞳が輝いた。


「ああ、それはおめでとうございます。」


マナカさんはそういうとふふっと微笑んだ。


「急いで結婚式するようで、いつこっち帰ってくるんだよって怒られました。」


ヘラっと笑う僕に釣られて、マナカさんもまた笑う。


「そっか。結婚かぁ……」


そういうと、頬杖をついていた手をテーブルに置いていた反対の手と重ねる。

俯いた顔にサラリと髪の毛が流れた。


「……綺麗だなぁ」


「え?」


「は?」


思わず自分で自分に聞き返す。


『え?今僕なんて言った?』


びっくりした顔のマナカさんを見て、思わず脳内直結な言葉が溢れたことに気がつく。

再び『え?』と聞かれた言葉に、取り繕う言葉が見当たらない。


「え、いや綺麗な髪の毛だなって……」


そして馬鹿正直に言ってしまう自分。


僕の言葉にマナカさんは照れたように微笑んだ。


「……ありがとうございます。今はだいぶ抜けちゃって白っぽい感じですけど、子供の頃はくすんだグレイだったんです。

どちらかというと、黒寄りな感じの。」


照れ隠しに自分の髪の毛を撫でる指を見つめる。

銀色の髪は指に絡まず、スルスルと滑っていた。


「……そう、なんですね。でもその頃も絶対綺麗ですよ。」


そう呟くようにいうと、マナカさんの指から視線を落としながら、残った紅茶を飲み干した。

なんとか話題を変えようと、中学時代の黒歴史なんかをポロリと話してしまい、再び苦笑いをいただく結果となったが……。


「そう言えば、日向さんは初対面の時ニホンオオカミについておっしゃっていましたよね。」


「……もう忘れていただけたら……」


失敗話で思い出したのか初対面の恥ずかしさを思い出し、しどろもどろで目線を泳がす僕に、マナカさんが両手を振った。


「違うんです、実は、聞いてもらいたい昔話があって……。」


恥ずかしそうに俯くマナカさん。


「え?」


この時、僕は彼女が恥ずかしそうに照れていたのは僕の失敗話のせいだと思ってたんだ。

だけど、どうやらそれは僕の見当違いだったと後で気がつくことになる。

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