ジェットコースター・デスティニー

雨宮 未來

第1話 エピローグ

『ニホンオオカミって絶滅してなかったんですね。』


これが彼女を見た、僕の第一声だった。


全く失礼にも程がある。

大丈夫だ、それはわかってる。

自分でも最悪の第一印象であることが、その場の空気で一瞬で理解できた。


さぁーッと体に何か冷えたものが通り過ぎる感覚。

自分を含め3人がその場で無言で固まっている。


咄嗟に滑ったお口を押さえアワアワと慌てる僕に、上司である藤木フジキ主任が困ったように息を吐きながら、頭を抱えた。


『えっフォローは無いんですか主任!?』

なんて涙目で助けを求めてみたが、頭を抱えたままの主任は肩をすくめ、ため息をつくばかり。


『自分でなんとかしろ』と言わんばかりに、うすら笑みまで浮かべている。


狼狽える僕と、キョトンとした顔の彼女。

多分この間、ほんの1分も経っていなかったんだろうけど、僕にはもう数十分ぐらいあるように思えた。


溶けたバターのような色の瞳。

まるで磨かれた宝石のように輝いていた。

そんな綺麗な目が、大きく見開いた状態で僕を捕らえている。


いくら呑気な僕でも今は『綺麗だなぁ』とか考える余裕もないわけで。

その目で見つめられれば見つめられる程、僕の動きはロボットの様に固まっていった。


ブンブンと首が千切れそうなぐらい主任と彼女を見比べてみたものの、テンパり過ぎてなんて謝罪して良いやらで。

出てこない謝罪の言葉の代わりに、行き場のない気持ちを表すかのような、僕のこの、動き。

僕の微妙な手の動きをジッと眺めていた彼女瞳が僕を見上げる。


「あの、ニホンオオカミは知らないですけど、生きていたらいいですね。」


彼女はそう言うと、頭を少し傾けウフフと屈託のない笑顔で微笑んだ。

そしてゆっくりと差し出される細く白く長い手の指に、思わず僕は再び目を奪われるのだった。


そんな僕の後ろから若干愛想笑いの主任が、固まったままの僕の手を掴み、マナカさんの手に強制的に重ねられる。

そして反対の手のひらをマナカさんに向け、


「……日向ヒナタ、彼女は白狼シロウ愛花マナカさん。……彼女は日本の狼であるが、エゾオオカミな。」


と、言ったのだった。


僕の脳内で僕が呟く。


『へいSiri、エゾオオカミとニホンオオカミの違いとは。』



◇◇◇



この世界は僕が生まれる随分と昔に、少し変化が起こった。


『獣人』という、『普通』とは少し異なった『人間』が生まれるようになった。

特別変異なのか、人口的に作られたのか……それは実際未だに解明されてはいない。


突然獣人は人間社会の中に現れ、徐々に増え続け、そして『社会』が周知する今や人口の2割を占めていると言われている。


部分的に耳だったり尻尾だったり。

人間寄りの容姿だったり、各種族に寄った姿だったりと、多種多様バラエティ豊かだったりする姿。


容姿によって恐怖を持たれたりすることも多いので、未だ偏見は少なくない。


僕個人的としては、獣人に対して全くの偏見はない。

むしろ個人的には獣人に対し、憧れとも言える感覚を持っているぐらいだった。


もしかして自分も大きくなるにつれ、毛深くなったり立派な牙でも生えるんでは無いかと期待した時期もあった。

だが両親先祖を振り返っても、僕のDNAに獣人の血は入ってはいなかったらしい。


そんな憧れの獣人の現状は、実を言うと少し思わしくない。

最高で4割までいた獣人は『一部の人間』の手によってわずかその半分、現在は2割に減ってきている。

さっき言った『2割』は増えた2割では無い、ということ。

いわゆる絶滅危惧の危機となっていた。


それに関しての原因は獣人をペットのように、奴隷のように扱う『一部の人間』がいるからだった。


それを重く見た『倫理ある』人間たちが、そんな獣人を『保護』し『管理』する事が発表された。

もちろん獣人に対し、監禁、暴行などの尊厳を尊重できない場合、結構重い刑罰も課されることに。

勿論小学校の教科書にも載っている事。


『獣人を迫害してはいけない。』


それは世界中で広がり、今じゃ獣人たちは政府管轄の保護区で暮らす『特別保護動物』に指定されている。


『ヒト』なのか『ケモノ』なのか、『特別保護動物』という言葉に違和感を持つ人もいるだろうが、強いて言えば人間も動物なのだからと、その辺もう気にしたら負けである。


「……失礼しました。

白狼シロウさんの担当となりました、特別市民生活課とくべつしみんせいかつか日向史郎ヒナタシロウと申します。」


僕の下の名前を聞いてマナカさんはバター色に輝く瞳を再びパチクリとさせる。

その意味を理解して、さっき言った失言を誤魔化すように僕は続けた。


「あなたもシロウで僕もシロウ!……奇遇ですよね、あはは……」


……ああ、また壮大に滑ったな、確実にこれは。

アハハと取ってつけた乾いた笑みを浮かべ、若干涙目になる僕を主任がまた困った顔で見ていた。


ううっ、分かっていたけどさ。

少しは冷えた空気が温まればなって思っただけなんだ。

初めて担当する彼女が、とても綺麗で息を飲んでしまったから……。


「……すいませんね。まだ経験の浅い若者で……ですが、いいやつなんですよー、本当に。」


……今度はフォローする気になってくれたのか。

だがそれはフォローなのか。


主任の言葉にマナカさんは真剣な顔をして、顎に手を当て俯き考え込んでいた。


……やばい。怒らせちゃったかな?

うわああ、初めての担当で担当変えてくださいとか言われたらどうしよう。

憧れの職業にやっと、やっと付けたと思ったのに……!


僕は青い顔でマナカさんの前に出て頭を下げる。


「も、申し訳あ」


「……確かに。キミうちにお嫁に来たらシロウシロウになっちゃうんだ……」


「へ?」


その言葉に驚いて顔をあげると、マナカさんは口を押さえ必死に笑いを堪えていた。

そんな様子に狼狽えながら出す言葉も、


「あ、そ、そうですね。シロウシロウってなんか、なんだろ。変なの……。」


と、訳がわからない言葉になった。

咄嗟に出た僕の疑問に堪えきれずになったマナカさんはとうとう大きな吐息と一緒に笑い出した。


「あっはははは!!」


お腹を抱え、大きな口で笑う彼女の犬歯が、きらりと光って見える。


マナカさんは黄金色の瞳に、やや白くぬけた銀色の髪の毛をしている。

そしてその柔らかそうな髪の毛に左右二つの尖った大きな耳があった。

セミロングのストレートの髪が陽の光を浴びて、朝露の蜘蛛の巣のようにキラキラと輝く。

一見切長の目がとてもクールに見えるが、笑うと下がる目尻が柔らかい印象となる。

なんというか……そう、ギャップ萌えてやつだ。


「……ともかく、白狼さん、この子新人で頼りないかもだから、色々教えてやってね。」


主任が後ろ頭をかきながらマナカさんに愛想笑いを浮かべた。


「藤木さん、私がですか?」


一通り笑い終え、主任の言葉に尖った耳がさらにピンと立つ。


「そうそう、アナタうちが担当して長いし、ボクより色々知ってるでしょ。」


へらへらと笑う主任を見ながら、眉を寄せ腕組みをした。


「それって藤木さんが面倒臭いだけでしょう?」


マナカさんの言葉に、主任がより一層の愛想笑いを浮かべる。


「まぁ、そうともいうけど。ともかくよろしくね。この子になんか不備があったら苦情はボクに。」


「……不備っ」


主任はそういうと僕の肩を両手で掴み、ズイっとマナカさんの前に押し出した。


まるで、贈呈。

いや、押し売りするように。


そして口の端をひねり上げると、僕の肩をポンポンと叩く。


「緊張しすぎね。だから滑ること言うんだよ。

でも白狼さんも大概ズレてるから、感性合いそうでよかった。」


そういうとさっさと踵を返し、乗ってきた車の方へと歩き出す。


「……私も滑ってました?」


また顎に手を当て考え込むマナカさんの表情は真剣で。


「……まぁ、大概ね。」


主任は車に乗り込みながらそう言って愛想笑いをしたが、マナカさんの耳はピンと立ったままだった。




「……改めまして、日向史郎と申します。」


僕はそういうと深く頭を下げ、マナカさんに両手で名刺を差し出した。

僕の名刺を受け取ると、じっと名刺と僕を見比べ、微笑んだ。


「白狼愛花です。よろしくお願いします。

えっと、立ち話もなんですから、お茶でも。」


マナカさんは受け取った名刺をスンと鼻に押し付ける。

それがなんだか恥ずかしくなって、僕も思わず自分の名刺を匂ってしまった。

名刺を匂う真似をした僕に、マナカさんはハッとし、赤い顔で両手を振った。


「ご、ごめんなさい。ついなんでも匂い嗅いでしまうんです。

失礼しました。」


赤い顔で俯くマナカさんは歳より幼く見える。

くぅ、これもギャップ萌え。


マナカさんのテレ顔を直視出来ず視線が泳ぎまくっているが、平常心を繕いながら僕も答えた。


「ああよかった。僕の名刺、臭かったのかと思っちゃいました。お昼にラーメンと餃子食べちゃったから……」


アハハと頭をかく僕に、尻尾を逆立てながらまた両手を振った。


「いえいえ、そんなことは!

……日向さんは名前の通り、お日様のような匂いがしますよ。」


「名刺からですか!?」


思わず聞き返す僕に、マナカさんはまた目を大きく開いた。


「いえ、本体からです。

獣人って結構鼻が効くので……というか匂いで人を判別しているというか……」


と、鼻先に僕の名刺をあて、恥ずかしそうに俯いた。


「な、なんかこの距離で匂うとか恥ずかしいです……

てかよかった!餃子の匂いじゃなくて……!

あでも、もし臭かったらすぐ言ってください!

そこの川に飛び込んできます……!」


僕も恥ずかしいやらなんやらで思わずまたテンパってしまう。

そんな僕を見て口元を緩ませると、


「あの川汚いのでやめたほうが……。ていうかやっぱり私たちズレてますね?

さっきから会話が明後日の方向に……」


マナカさんはそういうとまた首を傾け、フフッと微笑んだ。


『お日様はマナカさんの方だ。』


微笑む彼女を見つめながら、僕はつられて笑うのが精一杯だった。

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