秋葉原のモナリザ

一矢射的

第1話



 あー、テステス。

 うんうん、今日も我ながられする美声ね。


 じゃあ、秋葉原のテッペンから、いつものいってみようか。


 おはよう! 朝焼け色のビルディング。

 おはよーーちゅんちゅん! 朝集会のスズメさんたち。

 おはよう、おはおは、通りを行く早朝出勤のみなさん。


 そして、おはようございます! 私達の電気街、秋葉原。

 ボボボン、ボンジュール! ボンボボン!

 カラ元気でもお元気に!


 昔の人は言いました。一年の計は元旦にあり。早起きは三文のお徳クーポン。

 良い一日は元気な朝から始まるのです。


 おフランス出版の看板娘、愛され上手のリサが今朝も午前五時をお知らせします。


 素敵な朝ね、ほらね、裏道のゴミ箱からも希望があふれている。

 そこで餌をあさる野良猫さんたちも、あんなに張り切っているわ。


 ミャーゴ、フニャーゴ!

 今日も一日、元気いっぱい頑張りますって感じ。


 おぉ! ラヴィ!(フランス語、人生は最高!)



「そんなことを思っているのはオマエさんぐらいだぜ、リサ」

「あら、居たの? ツバメさん。それじゃあ貴方にもボボボン・ボンジュール」

「燕雀だ。エンジャク! おはようじゃないよ、こちとら原稿用紙と格闘したせいで徹夜明けだってのに。朝だからって誰もが元気いっぱいだとは思わないで欲しいね、能天気な姉ちゃん」



 こちらの不機嫌なお兄さんは燕雀さん。

 もちろん本名じゃなくて、ペンネームですよ~。

 お仕事は雑誌の記者をなさっているの。

 なんか社会派の? 大人向け週刊誌ですって。


 そういう所の記者なんて、生活が不規則で、締め切りに追われて会社に泊まり込みがザラ。そんな時、燕雀さんは一仕事おえると私がいる屋上へきて、帰宅前に一服していくの。ふふふ、きっと私に気があるからね。



「疲れているんだよ。そう騒がず、ゆっくり一服させてくれ」

「芸術品は常にやかましく叫んでいるものよ。良き理解者を求めてね。そもそも、疲れきっているのに、貴方がこうして屋上に来ちゃうのはどうしてかしらね?」

「ふむ、確かに元気なリサが恋しいのかもな」

「よく言えました、お利口さん」

「腐り切った社会や政治をまとめて記事にすると心底ウンザリしてくるからな。学生運動、公害、官僚の横暴、まったく馬鹿げてるよ。世間は戦争の痛みをもう忘れてしまったのか? 浮世離れしたアンタの明るさはある意味では癒しだ」

「チェッ、あらゆる意味で癒しでしょう? それにね、燕雀さんは私と話せることをタクサン感謝しないといけないわ。私の声が届く範囲はとっても限られているの」

「おや、それは初耳だな」

「この美声が聞けるのは、私という芸術が理解できる人だけ。つまりは私の美しさに心を奪われた人だけなのだから。貴方は芸術の極致きょくちを正しく理解できた。勲章ものだわ、誇りに思うべきことなのよ?」

「ああっと、そうなのかもな。無頼を気取る一匹狼が、会社の看板相手に独り言をいうなんて。かくも非日常的な状況にもどうやらすっかり慣れてしまったよ。俺はアンタのファンだ、間違いないよ。ウチの看板娘」



 えへへ。そうハッキリ言われると照れくさいんだけどね。


 ラヴィイ!(仏語、これこそ人生だ)


 そう、私の正体は「おフランス出版」の看板娘。

 比喩でもなんでもなく、ビルの屋上に飾られた看板なのよ。

 縦は五メートル、横は十メートルの大看板で、山手線からも私の勇姿が拝めるほど。控えめに表現しても、秋葉原の顔って所かしら。


 燕雀さんには看板の中で私が動いているように見えているのでしょう。

 それこそアメリカの白黒トゥーンアニメみたいに。(新時代における三種の神器、カラーテレビに、クーラー、それから自動車。燕雀さんは全て揃えているのかしら? 安月給だからきっと無理ね)


 でもね、下の通りを行く無関心な人たちにとって私は単なる背景でしかないの。

 気の毒に、財布は豊かでも心が貧しいのでしょう。

 彼らの脳内はお仕事とお金で一杯なのだから。私の美しさに気付く余裕すらない。


 悲しい事だけれど。今は生き馬の目を抜く高度経済社会。

 私は数少ない友人たちと語らうのがやっと。

 あぁ、こんなにも私は美しいのに。

 まったくもう! 「何とやら」に真珠って、この事かしら?


 タバコに火を点け、じっくり吸った煙を肺にしみ込ませてから、燕雀さんは肩越しに私の方を見上げて言葉のキャッチボールを再開したわ。まだ夜のとばりがほのかに残る屋上で、燕雀さんがくわえたタバコは、瞬く明けの明星みたいに綺麗だった。



「それにしても、リサのポーズはどこかで見たことがあると思ったら……あの名画モナリザと同じなんだな。ほら、レオナルド・ダヴィンチの。今更だが、気付いたよ」

「ほーんと、今更ね! 当たり前でしょう。モナリザのように『永遠の美』を生み出したい。私の生みの親は、そんな願いを込めて私を描いたんだから。燕雀さん、気付くの遅すぎーデス」



 イタリアの巨匠、天才画家にして発明家でもあるレオナルド・ダヴィンチ。

 彼が描いた「世界一有名な絵」のタイトル……それがモナリザ。

 数奇な運命を経て、現在はフランスのルーブル美術館が所有するこの絵画こそ!

 私の目指す所にして、永遠に超えられない壁。

 取り付く島もない断崖絶壁。溜息でちゃう!


 両手を組み、優しげに微笑むその淑女は、いつの時代も人々の心を魅惑して止まない。あまりにも偉大すぎる先達のことを思うと、少し胸が苦しくなるのはなんでだろう?

 ズュット!(仏語、チクショウ。お下品かしらね?)

 燕雀さんと会話の途中だっていうのに、つい声のトーンが下がってしまう。



「……憧れなのよ。私にとっても、私の作者にとっても」

「まぁ、芸術は誰かの模倣もほうより始まるものだよな」

「そ、そんな初心者向けの創作話じゃなくて。アレを超えるのが私の夢なの。どうかな、燕雀さんから見て。モナリザとリサ、どっちが美人?」

「う、うーん、リサは若くて可愛いけど、モナリザはお淑やかなレディーって感じ?」

「……チェッ! 若いなんて、束の間の幻想じゃない」

「え? 絵に描かれたリサでも年を気にするのか?」

「当たり前でしょ、女性なんだから! もう! この話は止め!」

「判ったよ。悪かったな。今朝の新聞にモナリザのニュースが出ていたから、ポーズが同じだと気付いてだけさ。ただ、それだけなんだ」

「なにそれ、モナリザさんが新聞に? あの人、ついに不倫でもやらかしたとか?」

「そりゃあ世界的な大ニュースだが、残念ながら違う。ちょっと待ってな」



 燕雀さんは一度オフィスに戻り新聞をとってきてくれた。

 高々と掲げられた新聞の一面。そこにはこんな一報が記されていたの。


『モナリザ、日本来訪』


 思わず我が目を疑ってしまったわ。

 なんと、あのモナリザ先輩が、世界一高価な絵画であり、ルーブル美術館の常設展示品が、期間限定で日本の東京国立博物館にやってくるというのですから!


 えーーっ、大ニュース!

 その期間っていつ? 

 ふむふむ、一九七四年(昭和四十九年)四月から六月までの二ヶ月間。

 なにこれ、もうすぐじゃない!



「ああ、見たい、見たいわ。是非ともこの目でモナリザ先輩を拝み、日本の秋葉原にもリサありという事実を知らしめてやりたい!」

「随分と無茶を言うな。看板のお前さんが博物館に行けるのかい? ここから動けやしないだろうに」

「ふふん、それがそうでもないのよ」



 この件は胸の内に秘め、ずっと秘密にしていたんだけど。

 燕雀さんなら教えちゃって良いかな? 

 私、その気になれば看板から抜け出せるってコト。



デヴィンクォねぇねぇ聞いてよ! 実はなんと! 満月の夜だけ、リサはちょっぴり特別なの」

「こうして話せるだけで充分特別だと思うが。それとも、まだ何かあるのかい? 最近はやりのスプーン曲げかな?」

「なんと、なんとね。実は、月光の魔力で二次元を超越して三次元の存在になれちゃうのよ! 額縁から脱出して、一晩だけ表の世界に出てこれちゃう。これって、トトトトレビアーン」

「満月の晩だけ? 狼男みたいだな」

「それでね、誰かがエスコートしてくれたのなら、私もモナリザ先輩と思う存分に対決できるんですけれど」

「対決ってなんだよ! 相手はフランスの国宝だぞ! 何かあったら国際問題になるだろうが」

「パンチとかくり出しませーん。美しさで殴り合うだけでーす」

「前向きと言うか、向こう見ずと言うか……しかし、無理だな」

「えーっ、なんでよ。私がこうして頭を下げて頼んでいるのにぃ」

「満月の夜だけ、なんだろ? 博物館は五時で閉館なんだよ、世間知らずのお嬢様」



 うわーん! そんなのってないわ!

 せっかくの機会なのに!

 渡り鳥から習い覚えたフランス語が役に立たないなんて!(モナリザ先輩はフランス在住イタリア人みたいなモンでしょ。仏語もいけるはずよ)


 私がフランス語の罵詈雑言ばりぞうごんを街に喚き散らしていると、燕雀さんは後頭部をボリボリかきながら(いかにも仕方なくといった様子だったけれど)言ってくれたの。



「まったく、わかったよ。何とかしてやる。満月の晩だな」



 え? フェイモほんとう

 やったぁ!! 言ってみるものね!

 えへへ、待ってなさいよ! モナリザ先輩!

 どちらが真の芸術か、白黒つけてやるんだから!



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