第6話への応援コメント
切ないけど感動的ですね。修復中のカラスヤマさんとリサの対話が素敵です。生活を支えるために働いてお金を得るというのは決して恥ずべき事ではないので、生き方を変節したというカラスヤマさんに応えるリサの対応に救いがあるのが嬉しいです。
ネット社会になってもリサの姿が受け継がれる結末も良かったです!
作者からの返信
少しでも楽しんで頂けたのなら書いた甲斐があるというものです。
やはり作品には作品の、看板には看板の幸せがあり、それは我々人間のそれとは少し別物なのではないかなと思うんですね。リサは燕雀さんと幸せに暮らしました、メデタシメデタシというのは人間の考える幸せであって、キャラクターの幸福ではないはず……それを表現したのが、作者であるカラスヤマさんとの対話であり、この結末なのです。
ドナ〇ドやカーネ〇おじさんは時の周期を乗り越えた存在なれど、デザインした作者が誰なのかは一般的に余り知られていない。けれどきっと作者はこの未来に満足しているはずです。自分の生み出した作品が、未来に受け継がれる人類の財産となったのですから。
歴史に残る芸術作品にはエピソードがありますね。芸術を守ろうとした人々の情熱がその陰にはあるのでしょう。たとえそれが看板でも!
これはそうした芸術を裏で支える黒子たちの物語なのです。
こちらの投げかけるテーマを正しく受け止めてもらえること、物書きにとってそれ以上の喜びなどありませぬ。いつも励みになるコメントを頂き、心より御礼申し上げます。激動の時代なれど、心の健康を保つため栄養となるものがきっと必要なのでしょう。これからもそうしたものを生み出せるよう頑張ります!
第3話への応援コメント
モナリザの絵に会いに行くためにリサが看板から出るのを卵から出る魚と表現したのがとても瑞々しくて素敵でした。
看板ってあるのが当たり前になってしまうと確かに人目を惹かなくなりますよね。でもそういうものっていざ無くなってしまうと急に寂しくなったりするから、商業美術とは正統派の絵画と楽しみ方が違うのかもしれません。
昭和の日本経済が上り調子だったころの物語、ノスタルジックで素敵でした。
作者からの返信
うっ、鋭いですね。そう、看板であるリサがモナリザのような歴史的芸術になるのは少しばかり無理があるのです。本人も(そして作者も)薄々それを察しているようですが。果たしてどうなることやら。オチをご期待ください。
今回は普段使わない表現方法を多用しているので(地の文が女性の一人称という所から…もう)いつもと違う雰囲気を楽しんで頂ければ幸いであります。音声化して美しいのはやはり詩的な表現だと思うのです。
先日のご指摘ありがとうございました。
ダヴィンチはイタリアの巨匠としっかり明記し、現在モナリザはルーブル美術館が所有すること…そしてリサからすれば「先輩はフランス在住のイタリア人みたいなもの」であり、フランス語で会話が成立すると考えていることなどを書き加えました。これでイタリアの方にも納得して頂けるはず!
いつも励みになるコメントをありがとうございます。物騒な世の中ですが、我々の書く物が少しでも誰かの娯楽となることを願って書き続けます。
編集済
第6話への応援コメント
楽しく読ませていただきました。まず、看板娘がほんとうに心をもった娘だったら、という発想が面白い。ただそれだけでなく、リサ、燕雀、カラスヤマという主要人物それぞれの性格が、しっかり描かれていた点、すばらしいと思いました。
第一話では、「芸術品は常にやかましく叫んでいるものよ。良き理解者を求めてね」と言っていたリサが、修復後、燕雀さんに話しかけられて、「本物の名画は、気軽にお喋りなんかしないものよ?」と返すのは、燕雀さんの言うように、名前が立派すぎたせいなのか、それとも照れ隠しか、ふつうの「看板娘」として生きていく覚悟のあらわれなのか。
沖縄返還後の時代設定ということは、今から五十年ほど前。燕雀さんも(もしまだご存命なら)相当な御年のはず。「我が社を高みに押し上げてやる」と意気込んだ彼が、どんな仕事をしたのか、また、その様子を「秋葉原のモナリザ」となったリサが、遠くからどんな気持ちで眺めていたのか。想像をかきたてられました。
作者からの返信
これ時代設定は「モナリザが東京へやってきた実際の年」そのままなんですよ。そこから逆算して舞台が昭和へとなったので、当時の雰囲気を再現するのに色々と調査が必要でした。私が生まれる以前の話なので、資料を参考にして私の想像も加味したものとなりました。現実とは少し違うかもしれませんが、ヴァーチャル昭和としてお楽しみ頂ければ幸いであります。
リサを修復してくれた生みの親から「他者の人生を狂わせるような魔性の絵になってはいけないよ」と注意されましたからね。燕雀さんへの好意と、彼の将来、色々なことをハカリにかけた上での結論なのだと思います。
色々と想像を掻き立てられる結末であったのならば、書いた甲斐があったというものです。本当にありがとう。良き理解者に出会えてこの作品もきっと幸せになれたことでしょう。
素敵なコメントと評価、心より御礼申し上げます。