くすりぐゐ

AVID4DIVA

くすりぐゐ【男性:1不問:2】

伽藍:性別不問

講釈師を名乗る如何様師。

稀代の珍味を馳走すると人見を唆し、一路那須へと向かう。


人見:男性

借金のカタに伽藍に遣われるゴロツキ。


薬師:性別不問。乗客を兼ねる。

那須のサルズレ峠を根城とする正体不明の薬師。

妙薬・猿の肝を二人に与える。


・・・


(人見、伽藍は汽車の座席に向き合って座る。伽藍は頬杖をつきながら車窓の外を眺め、人見は弁当を貪り食う。)


伽藍:ところで君は一体いくつ駅弁を食べるつもりなんだ。

上野を離れてもう数時間経つが、ずっと手と口を忙(せわ)しくしている。そのうち腹を下すぜ。


人見:いいじゃねえか。俺ァ汽車なんて滅多に乗るもんじゃねえんだ。

ましてや駅弁なんて大凡(おおよそ)縁(えん)がねえから、まあ冥土の土産みてえなもんだよ。


伽藍:冥土の土産とは大きく出たね。

だからといって停車の旅に駅弁の立ち売りを呼びつける奴があるものかい。

見ているこっちが胸焼けしてくる。

大体、今からそんなに食べて、件(くだん)の珍味を楽しめるのかい。


人見:おう。問題はそこよ。珍味ってもんはさ、こう、あれだろう。

申訳(もうしわけ)程度に豆皿にちょこんと載せられてよ

やれ何某(なにがし)の彼是(あれこれ)でございまする……って

美味いんだか美味くないんだかハッキリしねえ珍妙なもんを味合わせるから、珍味っていうんだろう。


伽藍:随分と捻(ひね)た見方をするじゃないか。

美味い不味いは一旦横に退(の)けておいても

物珍しいものを賞味してみたいというのは人情(にんじょう)だと思うがねえ。


人見:次の問題はそこよ。

お前さんが俺に「稀代の珍味をご馳走する」だなんて言い出したもんだからよ、

俺ァスッカリ用心しちまった。こりゃあ絶対に裏の一つや二つはあるだろうと思ってな。


伽藍:そんなことを言ってくれるなよ。君を慰労して差し上げたいのは本心だ。


人見:別段何か理由があるわけでもないのに、東京から遠路はるばる栃木は那須まで足を延ばす。

ましてや足代も飯代もお前持ち……ってのが拍車をかけて怪しい。


伽藍:偉そうにいうけどね、これまでに君が自腹を切ったことがあるかえ。


人見:言われてみりゃあ、ないな。


伽藍:だろう。ただの一度も。


人見:うん。ないなあ。


伽藍:ほら見給(みたま)え。

人見くん、君は人がいいんだ。人を疑うだなんて、慣れないことはしないほうがいいぜ。


人見:いつもは俺がパアパア云ったところで毒や皮肉の一つ二つを吐いて煙(けむ)に巻くお前がやけに取り繕うじゃないか。


伽藍:君こそいやに突っかかってくるじゃないか。

君のような人間が誰かを信じられないのは、疲れている証拠さ。


人見:もう一つ聞きたいことがある。さっきからペラペラめくってるその古新聞だ。それも昨日や一昨日のもんじゃねえ。まあ胡散臭えのなんの。

絶対、裏があるだろ。なあ。言えよ。吐いちまえよ。ここまで着いてきたんだ、今更帰るとは言わねえからよ。楽になるぜ。なあ。


伽藍:ああ、わかった、わかったよ。君の粘り勝ちだ。稀代の珍味の正体はね……。


(伽藍の言葉を遮るように二人の座席の斜向かいから乗客が声をかける。演者は可能ならば方言を交えてもいい。)


乗客:那須のどちらまで行かれるのです。


伽藍:……ええ、と。


乗客:ああすみませんね。どうも楽しそうでつい話に割り込んでしまいました。


人見:こいつがね、稀代の珍味を食わせてやるっていうもんで朝も早くに上野から汽車に乗ってきたんですよ。


乗客:ほう。珍味ですか。わざわざ東京から足を運ぶくらいです、さぞや珍しいものなのでしょうな。

それで、那須のどちらまで行かれるんです。


伽藍:サルズレ峠(とうげ)の方へ。


乗客:ああ、サルズレですか。あのあたりは、あまりいい話は聞きませんねえ。


人見:ほら見たことか!やっぱり何かあるんじゃねえか!

で、そんで、その、サルズレってとこにはどんな曰(いわく)があるんだい。


乗客:神隠しですよ。


人見:カミカクシ。


乗客:子供が山中などで突如として行方不明になる現象です。

今年に入ってサルズレ峠あたりで行方不明者が三人出ています。


伽藍:行方不明になった三人は年端のいかぬ子供でもなければ

力も体力もない女性でもなく、働き盛りの壮年(そうねん)男性だった。

生活に困窮しているわけでもない、むしろ経済力も立場もある御三方だった。


乗客:ほほお、よくご存知でらっしゃる。

なんでも神隠しにあった三人は、同じ鉄道会社の社員だったそうですね。


人見:一気にきな臭くなってきたな。ええ伽藍よ、お前さん、これが狙いだっただろ。


伽藍:いや。狙いではないよ。それはあくまで、『ついで』だ。

この古新聞の片隅に事件の概要が書いてある。興味があれば暇つぶしに読んだらいい。


乗客:我々地元の住民もあまり足を向けることはありませんから、何かあったら事(こと)です。

それに、あのあたりはこの時期熊(くま)が出没(で)ます。道中、お気をつけください。


伽藍:ご忠告ありがとうございます。


乗客:お楽しみのところ大変失礼いたしました。お先に、失礼しますね。


(乗客、一足先に下車する。しばしの間をもって人見が口を開く)


人見:なあ、ひょっとして機嫌悪くしたか。

だとしたらお前、そりゃ筋違いってもんだよ。

話を隠して俺を連れてきたのはお前だろう。


伽藍:違う。ああ、君からは見えなかったか。


人見:何がだよ。


伽藍:さっきの乗客だ。手ぬぐいを目深にかぶっていた。


人見:ああ。俺の斜め後ろに居たやつだろ。それがどうしたンだよ。


伽藍:どこにも影が見えなかったんだ。


人見:影。日当たりの問題じゃねえのか。

……おい、お前、まさか震えてるのか。


伽藍:なあ人見くん。

これはひょっとすると、本当に当たりかもしれないぞ。


人見:はあ。


伽藍:異聞奇譚(いぶんきたん)なんてものはね

百あれば九十九(くじゅうく)は勘違い、思い違い、見込み違いで出来ている。

しかし、百の中に、あるいは千の中に一つぐらいの割合で当たりがあるんだ。


人見:ははあ。それがお前の本当の狙いっていうわけか。


伽藍:そうとも。それ以外のものは、ついでさ。

さあ汽車は駅に着いた。舌鼓を打ちに行こうぜ。


(二人は汽車を降り、改札を抜けてどんどんとひとけのない山道へと進んでいく)


人見:見ろよ、すっかり山の風情だな。

その、マタズレ峠ってのはここから遠いのか。


伽藍;いや。サルズレ峠へは大人の足なら二時間もかかるまい。


人見:へえ。それほど深い山間(やまあい)ってわけでもないんだな。


伽藍:こちら側は大正に入って出来た避暑地群(ひしょちぐん)の反対側で、明治以前から手付かずだそうだ。

ゆえに、十分(じっぷん)も歩けば文明の匂いはまるでしなくなる。


人見:こんな山奥に、本当に稀代の珍味なんてあるのかねえ。


伽藍:こんな山奥だからこそ、採れるんだそうな。


人見:そうかい。さぞや美味い猪肉(ししにく)なのだろうな。


伽藍:早合点だよ。

稀代の珍味は世にありふれた猪肉(ししにく)なんかじゃァない。


人見:じゃあなんだ。シカか、それともウサギか。

待てよ、山の幸という線もあるか。山菜はあまり好かんのだが、どうだろう。やはり東京で食う山菜とは滋味(じみ)が違うか。


伽藍:残念。どれも不正解だよ。

稀代の珍味の正体は、獣肉は獣肉でも、猿だ。


人見:猿だと。この辺りでは猿を食うのか。


伽藍:さあねえ。

支那(しな)では古来より珍味として重用されると聞くよ。


人見:へえ。けったいなもん食うンだな。なんだかこう、人を食ってるみたいでよ、俺はどうも……


(伽藍、人見を遮って)


伽藍:静かに。あそこの茂みで、何か動いた。


人見:うん、どれ。

ああ。ありゃ山ウサギだ。くくり罠にかかっているな。

明日にでも猟師が回収に来るだろうが……逃してやるか。


伽藍:前々から思っていたのだけれど、君は時折仏心(ぶっしん)を覗かせるねえ。


人見:何、気まぐれだよ。ちょっとここで待っててくれ。すぐ終わらせる。


(人見、単身でウサギのかかった罠の方へ歩みを進める)


薬師:山の贄(にえ)に触るなかれ。


(人見、伽藍の方へ振り返り声を張る)


人見:おい。今何か言ったか。


伽藍:いいや、何も。


薬師:贄に触るなかれ。


(人見、再び伽藍の方へ振り返り声を張る)


人見:おーい、なんか言っただろ。


伽藍:いいや、何も。


薬師:触るなかれ。


(人見、三たび伽藍の方へ振り返り、ひときわ声を張る)


人見:だーかーら!聞こえねえんだってば!何か言っただろ!


薬師:この山は禁足地(きんそくち)である。立ち去れ。


(人見、突如として現れた薬師に驚愕し、太く短い悲鳴をあげ、伽藍の元へと退っ引く)


人見:お、おッ、お、お前!いつからそこにいた!


薬師:場を弁(わきま)えよ。この山は禁足地である。


人見:伽藍、お前もお前だ!気付いたなら声くらいかけろってんだよ!


伽藍:いや、気づかなかった。瞬(まばた)いたらそこに居たんだ。


薬師:立ち去れ。この山には熊も出る。この時期の熊は凶暴だ。


人見:せっかくのご忠告だがよ、こちとら東京からここまで来てンだ。

手ぶらで引き返すのも癪(しゃく)に障る。

それ以上に癪に触るのはテメエの珍妙なその形(なり)だ。


薬師:立ち去られよ。次の贄になりたくなければ。


人見:だからよ、テメエは誰だってんだよ!

臙脂色(えんじいろ)の七分作務衣(しちぶさむえ)着て

白地に濃紺(のうこん)の蛇目(じゃのめ)描いた面(めん)つけて

気のふれたカカシのつもりかってんだよ!おう!


薬師:忠告はした。次の贄になりたくなければ、従われよ。


伽藍:どうも。この辺りで稀代の珍味にありつけると聞きましてね。

何かご存知ないですか。


薬師:稀代の珍味……そんなものはここにはない。


人見:おい、俺の問いに答えろよカカシ野郎。


伽藍:人見くん、話が進まないから一寸(ちょっと)黙っていてくれないか。


薬師:すぐさま山を降りられよ。じきに日がくれる。日が落ちれば、獣たちは動き出す。


人見:お前さ、何者なんだよ。

生木(なまき)を踏む音も、下草(したくさ)を分入る音も聞こえなかった。

全く尋常(じんじょう)じゃない。

ハッキリ言って気色悪いんだよ。お前が何者で、何のためにここにいるか、教えてくれよ。


薬師:汝らとはこれきり会うこともない。ゆえに話すこともない。


人見:ああそうかい。そんじゃよ、話したくなるまでぶん殴るぜ。悪く思うなよ。


伽藍:人見くん、やめておいた方がいい。


人見:何、目撃者なんてそれこそ山ウサギくらいだ。どうってことねえ。

一発張り倒して、あのふざけた蛇目(じゃのめ)を引っぺがしてやるよ。


薬師:一族は代々この山に身を置いている。

山の獣を狩りに、山の幸を採りに里から迷い込んできた人間を追い返すのもまた一族のつとめ。

口で諭して伝(つた)わらぬのならば、理解(わか)らせることもまた、つとめ。


人見:おう、やるってんだな。いいぜ。


伽藍:はァ。どうも噂は本当だったようだ。

回りくどいのは止しましょう。『猿の肝』をいただけませんか。


薬師:汝ら……客人、であったか。


伽藍:はい、妙薬(みょうやく)を求め遠路はるばる東京からやって参りました。


人見:妙薬だと。食わせてくれるってのは珍味じゃなかったのかよ。


伽藍:まあ、言葉の綾(あや)というやつだよ。

ほら、薬食一如(やくしょくいちにょ)という言葉もあるだろう。


人見:お前ね、そのうち友達無くすぜ。


伽藍:友達なんて呼べるのは人見くん、君だけだよ。


人見:はあ。もう怒る気も失せちまったよ。おまけに腹が空いてきた。


伽藍:君、冗談みたいな胃袋をしているね。

あれだけ駅弁を平らげてまだ食うつもりかえ。


薬師:ならば一族が庵(いお)へ案内しよう。

薬の手配ができるまでそこで休まれるといい。

して、そちらのお客人。


人見:おうなんだ。続きやるか。


薬師:先ほどは失礼を働いた。お詫び申し上げる。


人見:ああいや……こっちこそ、悪かった。

ところであんた名前は。俺は人見(ひとみ)ってモンだ。


薬師:薬師(くすし)をしている。


人見:薬師……いや、その、苗字とか。あるだろう。


薬師:汝に伝える意味はない。


人見:……はあ。そのけったいな面(めん)も、終(つい)ぞ外さないつもりか。


薬師:外す意味もない。


人見:ああ、ああ、ああそうですかい。もう勝手にしてくれ。

全くよ、どうして俺の周りはこんな唐変木(とうへんぼく)ばっかりなんだ。


伽藍:それは君、類は友を呼ぶというだろう。


人見:うるせえ!


(しばしの間の後、山中、古民家に場面は移る。二人は冷えた板張りに腰を下ろす)


薬師:もてなしの夕餉(ゆうげ)だ。召し上がられよ。


人見:おお!松茸、山菜、猪肉。いや、これは鹿肉か。兎肉かもしれんぞ。

どのみち東京で食ったら半月分の稼ぎが飛ぶな。那須まで来た甲斐があるってもんだ。いただきます。


伽藍:君の場合は半年分の間違いだろう。そんなにがっつくと腹を壊すよ。

ところで薬師さん、この赤黒いタケノコのようなものはなんです。


薬師:それは熊の性器だ。発情期の熊のものを切り取る。精力増強と滋養強壮に優れる。


伽藍:熊の性器ですか、なるほどそれは精がつきそうだ。

では、このささがきゴボウのようなのはなんです。


薬師:それはマムシの干し肉だ。頭を落としたマムシの皮を剥ぎ、串で貫いて日干しする。

毒は抜いてあるが量を食べすぎぬよう。


伽藍:マムシの干し肉ですか。なるほどなるほど。それは珍しい。

ではでは、赤い佃煮に見えるこれはなんです。


薬師:それはオオムカデの足を落として……


人見:あのさあ。


伽藍:何だね。


人見:せめて俺が食い終わってから聞いてくれないか。

せっかくの馳走(ちそう)だってえのに、なんとも言えない気分にならあ。


伽藍:正体がなんであっても、どのみち食うんだろう。


人見:そりゃな。


伽藍:そういうところ。好きだよ。じゃあほら、これもお食べよ。


人見:ええ。なんだお前、ほとんど手をつけてないじゃないか。


伽藍:慣れない山歩きで食い気が失せてしまってね。おまけにこの寒さで冷え切ってしまった。

薬師さん、食事中に申し訳ないが、はばかりを拝借したい。


薬師:生憎だが庵(いお)には厠(かわや)の用意がない。外で済ませて欲しい。


伽藍:それはそれは。野趣(やしゅ)があって実に良い。


人見:おいおい、俺とこいつを二人にするなよ。どうにも間がもつ相手じゃなさそうだ。


伽藍:何、ずっと食べてればいいじゃないか。では、一寸(ちょっと)失敬。


人見:早く戻ってこいよ!


(長い間、沈黙。人見の飲み食いの音だけが響く。突如して薬師がこれを破る)


薬師:『猿の肝』の話をどこで聞かれた。


(人見、飲食を喉に詰まらせて軽く咳き込む)


人見:……俺は「稀代の珍味を食わせてやる」と騙されて連れてこられただけだ。

猿の肝だのなんだの、今日初めて聞いた。


薬師:妙薬『猿の肝』を求め、多くの招かれざる客がこの山に踏み入る。

人を拒むこの山が人に冒(おか)されるのを防ぐためあのような芝居がかった脅しを行うようになった。


重ねて、先ほどは失礼をした。改めて詫びさせていただく。


人見:ああいや、だからもういいって。

こっちもつい手が出そうになった。おあいこだ。

なあ。なんで奴でなく俺に尋ねた。


薬師:あの者は信じるにあたわず。


人見:なるほど。信じるにあたわずか……お前さん人を見る目があるねえ!

ところでその猿の肝ってのは、そんなに凄い薬なのかい。


薬師:猿の肝は不死の妙薬として一族に伝わっている。


人見:へえ。不死の妙薬ときたか。さぞや、高値がつくんだろうな。


薬師:巷(ちまた)に出回ることはない。


人見:ふうん。じゃあなんだ、一族の秘伝ってやつかい。

不老不死に成れる薬なんて世に出回ったらえらいことだわな。


薬師:猿の肝は不死の妙薬。不老の奇薬に非(あら)ず。


人見:うん。

ってことはよ、その猿の肝ってのを飲んだところで死なないだけで年はとっていくということか。


薬師:然様(さよう)


人見:五十はおろか、百を過ぎても、死なねえってことか。


薬師:然様(さよう)


人見:毎年毎年キッチリじじいばばあにゃなるけれど、死にはしねえ、と。


薬師:然様(さよう)


人見:あのさあ。誰が飲むんだい、そんな難儀な薬。


薬師:不死の妙薬『猿の肝』を欲しがるのは死の淵に居る病人ではない。

生き死にさえ恣(ほしいまま)にできると驕(おご)った人間だ。

そしていつか不死の裏面(りめん)に気づき、後悔に暮れる。


人見:へえ。そいつァよくできたおとぎ話だな。

話のついでにもう一つ聞かせてくれよ。

山の贄(にえ)ってのは、なんだい。


薬師:贄はこの山に捧(ささ)ぐ供物(くもつ)だ。


人見:山の神にでも捧げるのか。


薬師:この山に神などおらぬ。


人見:罠にかかった山ウサギを絞めるでもなく、野に放つでもなく

あの儘(まま)にして措(お)く道理はなんだい。


薬師:生きるも死ぬも能(あた)わぬものこそ、この山の供物に相応(ふさわ)しい。


人見:生殺しのウサギが山の供物に相応しいってか。

飯まで振舞ってもらって申し訳ねえが、胸糞悪ィよ。


薬師:山は堆(うずたか)き穢(けが)れの山。

人の業が打ち捨てられたこの山が求むるは歓喜でも悲嘆でもなく

途方(とほう)なき放心(ほうしん)の空箱(からばこ)なり。


人見:なんだって。トホーナキホーシンノカラバコ……だと。


薬師:人の世の穢れを仕舞う器(うつわ)を捧げねばならぬ。


人見:ああ、ダメださっぱりわからねえ。何いってんだよお前は。

尋常小学校中退の俺にもわかるように噛み砕いてくれ。


(薬師、伽藍の足音に勘づき人見を制する)


薬師:……これまで。


伽藍:やあやあ遅くなった。どうもキレが悪くてね。


人見:ええ。腹の調子が良くないというにやけに嬉しそうじゃねえか。


伽藍:まあ、ね。

さて薬師さん、そろそろ件(くだん)の妙薬をお見せいただけませんか。


薬師:その前に約定(やくじょう)していただく。

猿の肝、ここより外に持ち出さぬと。


伽藍:講釈師を稼業にしておりまして、口八寸で飯を食っております。

口外はお許しいただけますか。


薬師:構わぬ。


伽藍:ならば約束いたしましょう。


薬師:そちらは。


人見:ああ。そんなけったいなもん、持って帰る気もねえよ。


薬師:では用意する。しばし待たれよ。


(伽藍と入れ替わりに薬師が部屋を出る。)


(薬師が部屋を出るのを見計らい、伽藍が人見に耳打ちする)


伽藍:人見くん、どう思う。


人見:どうって、何がだよ。


伽藍:妙だと思わないか。


人見:ああ。あんな面をつけてよく前が見えるもんだ。何か仕掛けがあるな。


伽藍:はぁ。違うよ。口止めしない理由だ。

ここから持ち出すなと言いながら、口外は構わぬと。実に矛盾していると思わないかえ。

噂が立てば却って(かえって)余計な面倒が増えるだろうに。

況(ま)してや猿の肝の話をして以来、この掌の返しようだ。はてさて。


人見:お前が厠で席を外している間、あの唐変木(とうへんぼく)とちょいと話をしたんだ。


(薬師役、話を遮るように、遠くで強く野太い猿の咆哮をあげる)


伽藍:時に君、喉に痰でも絡むのかい。


人見:ああ。莫迦(ばか)言うな。俺じゃねえよ。野良犬でも吠えてるんじゃねえかい。


伽藍:そりゃあ失敬。

で、話をした、ってのは今日の夕餉の献立についてかい。


人見:いいや。さっきの括り罠にかかったあの山ウサギだ。

絞めるでもねえ、逃すでもねえ、なんであんな生半可(なまはんか)な真似すんのかって聞いてやったのよ。


伽藍:確か、山の贄(にえ)と、言っていたね。それで首尾はどうだった。


人見:さっぱりわからん。ありゃ一体全体、日本語話してるのかねえ。


伽藍:わからんって、何がだい。


(薬師役、話を遮るように遠くで猿の咆哮をあげる。二度目は長く、尾を引くように)


人見:ええ、なんだ今のは。お前さん風邪でもひいてんのか。


伽藍:違うよ。外からだ。はてさて、山犬の遠吠えかねえ。


(人見、咳払いを一つして)


人見:でよ、わからねえのはアイツの言いたいことだよ。

トホーナキホーシンノカラバコ、って言葉、お前さん聞き覚えがあるかい。


伽藍:途方なき放心の空箱。


人見:そうだ。トホーナキホーシンノカラバコ。

それが山の贄だのなんだのっていっているうちにお前さんが長え長え野糞から戻ってきたわけよ。


伽藍:……お戻りのようだ。その話の続きは帰り道でゆっくり聞かせてくれたまえ。


(薬師、部屋に舞い戻る。その手にはくすんだ桐の箱が一つ。)


薬師:お待たせした。妙薬『猿の肝』はこれに。


伽藍:おお有難い。早速、拝見させていただきましょう。


薬師:なぜ口外を許したか、見当はついたか。


伽藍:はぁ。

いやあ大した地獄耳だ。皆目(かいもく)解り兼ねますよ。


薬師:不死の妙薬・猿の肝を煎(せん)じようと齧ろうと、人は朽ちてやがて死に向かう。


伽藍:では、猿の肝は偽薬である、と。


薬師:否。猿の肝は、確かに不死の妙薬である。


人見:死に向かうが死にぁしねえ、ってことだろ。

全く詐欺みたいな話だよ。


薬師:さあ、手に取ってみられよ。


伽藍:これが世に聞く猿の肝。


薬師:然様(さよう)。大猿の腹を生きたまま掻っ捌(かっさば)き、干したものだ。


人見:要は猿の肝臓の干物だな。初めて見るな。


伽藍:ふぅん。干しても子供の拳(こぶし)ほどの大きさがある。

この山にはまた、随分と大きい猿が出るようですね。


薬師:禁足地ゆえ人は滅多に立ち入らぬ。

昭和を十年も過ぎてなお、手付かずの野生が保たれている。


伽藍:そうですか。

肝をくり抜かれたこの猿は、禁足地に鉄道でも敷こうとしたんでしょうかね。


人見:おい、何の話だよ。


伽藍:道中、さる鉄道会社の重役が立て続けに三人失踪した話をしたね。


人見:ああ。カミカクシの話だな。


伽藍:失踪した最初の一人は、この土地の開発を受け持っていたそうだ。

その一人が行方をくらまして、二人目、三人目と職務が受け継がれるとともに

その二人目も、三人目も、次々と行方をくらました。


人見:……おい、まさか大猿ってのは。


伽藍:用便を済ます茂みを探していたら、たまたま見つけてしまってね。


人見:見つけた。何をだ。


伽藍:骸(むくろ)だよ。


人見:骸。


伽藍:骸(むくろ)は全て腑(はらわた)をくり抜かれていた。

そして骸の周りの土は、まだ湿っていた。


人見:お前、まさか骸を暴(あば)いたのかよ。


伽藍:この赤黒く染まった指を見たまえ。饐(す)えた匂いがするだろう。


薬師:冬眠前の熊はこぞって腑(はらわた)を狙う。

この山に迂闊に立ち入れば、山の贄となる。憐(あわ)れな。


伽藍:その憐れな『猿』の肝、頂いても。


薬師:この中でならば、如何様(いかよう)にも。


伽藍:では人見くん。味見してくれたまえ。


人見:はあそうくると思ったよ。どれ……。


(猿の肝を口に放り込み、音を立てて咀嚼する)


苦いな。それにとても生臭い。口の中にいつまでもえぐみが残る。

あんまりだ。こりゃあ……食えたもんじゃない。


伽藍:君の肝の太さには毎度のことながら感服するよ。

このくだりを聞いて、躊躇(ためら)いなく一口で行くとは。


人見:猿の肝だろうが人の肝だろうが

口に入れば同じ糞になるだけだと、俺は思うがねえ。


薬師:猿の肝を喰らいし貴殿は不死を望むのか。


人見:悪いが俺は信心深い性質(たち)じゃねえ。

不死なんてもんも信じちゃいねえ。

タチの悪い狂言にこいつみたいな好事家(こうずか)が尾鰭(おびれ)をつけたンだろう。

人だか猿だかの肝を食ったくらいで死に損なってたまるかよ。


だが、それにしても、こりゃあ不味いな。

良薬は口に苦しと言うが、程度ってもんがある。


薬師:生死(いきしに)の淵を見猿もまた一興、妙薬の真偽を聞か猿もまた一興、事の結(むすび)を言わ猿もまた一興。


猿の肝も彼(か)の口へと消えた。これにてお開きとしよう。

寝所(しんじょ)へ案内する。


伽藍:いや結構。これで失敬しますよ。


薬師:夜は熊だけでなく大猿が出る。明日の朝に発つといい。


伽藍:御免蒙(ごめんこうむ)ります。

腑(はらわた)をえぐる熊に寝込みを襲われては堪(たま)ったものではありませんからね。


人見:ああいかん。こりゃ嘔気(はきけ)がしてきた。

悪いが一足先に出るぞ、うッ。おうェ……。


(人見、嘔吐を堪えながら一足先に薬師の庵を出る)


薬師:汝、なぜこの山に来た。


伽藍:うふふ。今になってそれを聞きますかえ。


薬師:猿の肝欲しさではない。


伽藍:なぜ、そう思われます。


薬師:生死(いきしに)さえ恣(ほしいまま)に出来ると思い上がった者たちの前に

猿の肝を放ると、瞳(まなこ)は窄(すぼ)み虚ろとなり、白目には薄い青みがかかる。


伽藍:さながらその面にひいた蛇目のような有様でしょうか。


薬師:汝の目には蛇目(じゃのめ)がない。


伽藍:……肝が猿のそれでも、人のそれであっても構いやしません。

失踪した三人がどうなったかも知ったことでもありません。


神隠しの日付を考えればあの骸は鉄道会社の三人のものではないでしょう。

だがしかし、あの肝は猿のものにしては、余りにも大きかった。


遠路遥々(はるばる)足を延ばして分かった事は、まぁこんなところですかね。


薬師:今一度尋ねる。なぜここに来た。


伽藍:彼と違ってどうも信心深い性質(たち)でしてね。

純粋に、不死なぞと云うものが、果たして世に在るのかをただこの目で見たかったのですよ。


薬師:不死は、在る。


伽藍:ほう。それは、何処(いずこ)に。


薬師:この、蛇目(じゃのめ)の面(めん)の裏に。


(蛇目の面の端をつまみ、顔を見せる。伽藍、大きく息を呑み、やがて堪え兼ねたように肩を震わせ笑いだす)


伽藍:不死とは斯様(かよう)なものでありましたか。

御見逸れいたしました。では、猿の肝のお代をお支払いさせてください。


薬師:金子(きんす)は無用。双眸(そうぼう)に刻み努努(ゆめゆめ)忘れること勿(なか)れ。


伽藍:肝に銘じましょう。

今一度伺います。口外は。


薬師:一向に、構わぬ。


伽藍:うふふ。

底なしの空箱(からばこ)が必要になった折には、また伺います。

お休みなさい。


(那須山中、月夜の下、手頃な岩に腰掛けて人見は紙巻き煙草をふかし、時折嘔いて唾を吐く)


伽藍:やあお待たせ。


人見:随分遅かったな。


伽藍:人見くん、すまないね。


人見:なんだ急に。まだなんか隠し事があんのか。


伽藍:ああ、その、君は本当に不死になってしまうかもしれない。


人見:はァ。何があったんだよ。


伽藍:今さっき、不死というものを見たのさ。


人見:へえ。そりゃいいハナシのネタができたな。


伽藍:君、驚かないのかえ。


人見:不死と言われてもどうもピンとこない。

そんなことより、帰り道のことを考えると気が滅入る。


伽藍:刹那的で実に君らしい。


人見:この山道だ。灯りはあるのか。


伽藍:携帯電燈なら用意してあるよ。

うん、あれは。


人見:どうした。


伽藍:見えるかい。ほら、あの木の上だ。


人見:ああ、猿か。脅しかと思ったが、本当に出るんだな。


伽藍:猿にしてはいやに大きいね。優に、五尺はある。


人見:じゃ、あれが件(くだん)の大猿か。


伽藍:この山は拓かない方が良い。

山を拓いて、あんな大猿が里に降りてくれば厄介なことになる。


人見:ああ。

なあ、薬師(あいつ)は何がしたかったんだろうな。

さっきの話ぶりだと、鉄道会社の人間を手に掛けてるんだろ。

なのに態々(わざわざ)物好きを呼び込むような真似をしてさあ。


伽藍:誰が人の骸だと言ったかね。


人見:はあ。お前、あいつにカマかけたのか。


伽藍:骸は確かに在った。腹を裂かれた猿の骸だった。


おそらくは、猿の骸だった。


だが、猿というにはあまりに大きく、被毛は薄く、金物(かなもの)の匂いがした。

そして骸の周りには、人のそれと思(おぼ)しき骨が転がっていた。


人見:その死んだ大猿が、人を食い散らかしてたってことか。


伽藍:大猿か、或いは熊か、蛇目か。尤(もっと)も、真相はこの山の中だ。


人見:なんつうモンを食わせてくれたんだよお前さんは。


伽藍:老いれど患えどなお死なず。さぞ苦しいだろうね。

もしもそうなったら、君ならどうする。


人見:……まさか不死なんて与太話(よたばなし)を本当に信じているのか。


伽藍:信じてはいない。だが、見たのさ。


人見:何を。


伽藍:蛇目の、面の向こう。


人見:どんな顔(つら)だった。


伽藍:……いや、この話はもう止そう。


人見:おい、話せよ。気になってきたじゃないか。


伽藍:だって君、猿の肝を食べてしまったんだろう。


人見:食った。だが余りの不味さに全部吐いちまったよ。今もまだ胃の辺りがむかついてら。


伽藍:ああ。それなら、まあ。


人見:話せよ。話せったら。講釈師が黙ってどうすンだよ。


伽藍:厭だ。もう思い出したくない。


人見:ひょっとして、俺も死ねなくなるのか。


伽藍:君はどうせろくな死に方をしないだろうからそれは杞憂(きゆう)ってものじゃないかえ。


人見:お前が言うな。あんまり人を食った生き方してると、そのうち後ろから刺されるぞ。

とにかくもうこんなけったいな物見遊山(ものみゆさん)は御免(ごめん)だぜ。


伽藍:いや、ひょっとしたらまたここに来ることにかもしれないよ。


人見:ああ。なんでだよ。お前さんまさかまたゲテモノ食いに来るつもりか。


伽藍:好き好んで異聞奇譚に顔を突っ込んでいるとね、ときに空き箱(あきばこ)が必要になることもあるのさ。

さっき言ってた話、詳しく聞かせてくれたまえ。


人見:何の話だ。


伽藍:だから、途方なき放心の空箱だよ。


人見:トホーナキホーシンノカラバコ……だと。


伽藍:そうだよ。君、薬師と話をしたんだろう。


人見:した気がする。ああ、したな。


伽藍:そうだ。帰り道、詳しく聞かせてくれと言っただろう。


人見:忘れた。

猿の肝と一緒に全部に吐いちまった。


伽藍:……なるほど。実に君らしい。


人見:引き返してあいつに聞いてくるか。


伽藍:いや、もういい。

帰ろうか。熊に腑(はらわた)を食われる前にね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

くすりぐゐ AVID4DIVA @AVID4DIVA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る