ライオンファミリー004話「VS彩里花」
【〇〇四 VS彩里花】
頭上でがつんという、重い金属同士がぶつかったような音がした。
「車に戻れ晃志!」
情けないと思いつつも、僕は転がり込むように車の中へと入った。
外では彩里花がよくわからない、もやっとした人型の何かと交戦中だ。
「シャッ!」
短く息を吐きながら、もやっとした人型のそれは彩里花に突きのような攻撃を繰り出している。彩里花はそれを大きくしゃがんで交わしつつ、足払いを仕掛ける。
が、もやっとした人型はそれを大きなバックステップで交わすと、そのまま闇へ溶け込むように姿を消してしまう。
彩里花はすぐさま追撃の態勢をとる。
「逃がさない!」
「待って彩里花!」
戦闘で気が立っているのか、僕に向けられた彩里花の声にも眼にもまだ闘争心がありありと出ていた。
「どうして!?」
「相手が単独っていう保証もないんだ。不用意な深追いは避けよう」
「でも――」
「彩里花が追撃と狩りのプロなのは知ってるから。だからこそ、今は追撃をやめよう。僕が降りたタイミングで仕掛けてきた相手なんだ。もしかしたら、僕たちのことを知っている相手で……それは複数で、これは罠かもしれない」
「……もう、晃志は臆病すぎる」
ふっと、彩里花の表情から闘争心が消えてくれた。僕は安心して、どういたしましてと答え、再び車から降りた。
「まったく、わたしのような人間には一瞬すぎて良くわからなかったよ」
警部は銃のような物を手に持っていた。
「あぁ、これか。つまらない物を見せたな」
と、銃を静かにコートの下にしまい、ポケットから出した火のついていないタバコをくわえた。そして僕に聞く。
「今のはなんだ晃志?」
わからない僕はそのまま彩里花の方を向いた。
「なんだと思う?」
「ボクシングっぽかった。左ジャブだね、あれ。かなり鋭いから驚いたけど、あたしを捉えるにはまだ一歩足りないね。でも足払いを避けられたのは悔しい」
「そ、そうじゃなくって。何の因子かってことだよ」
「それはわかんない。ボクシングだから……カンガルー?」
それを聞いた警部がはぁとため息をついた。
「世の中、それくらい単純ならば良いのだけどな」
「可能性は……薄いかな。けど、僕が降りるタイミングで仕掛けてきたのが気になる」
「見ていたってこと?」
「この夜だよ。それに周囲には身を隠すようなところがない。所々にある影に伏せてでもいない限りは」
「伏せるって……じゃあやっぱり今のはヘビ?」
「かもしれないね」
「なら追いかけないと!」
「だからそれはさっきも言った理由で却下だよ彩里花」
「わたしも檻枷の意見に賛成だ。とにかく今は情報を集めることを優先しよう。先方を待たせているんだ、警戒しつつ、院内に入るぞ」
その後は幸いにも襲撃を受けることはなく、僕たちは被害者の病室前まで行くことができた。
被害者の部屋は個室で、廊下との間のドアは閉じられてしまった。
しかし聞き耳を立てれば中の声は聞こえる。
「佐々倉茜です。今回の事件を担当しています。さっそくですが状況からお聞かせ願えますか。第一発見者のお兄さんから」
「はい。俺が美玲(みれい)から少し目を離した隙だったんです。美玲の悲鳴が聞こえて現場に行ったら腕から血を流した美玲が倒れてて」
「その時、人影は見ませんでしか?」
「はい、なにも。あの場所は街灯もない場所でしたし」
「美玲さんとお兄さんはどうしてそんな場所へ?」
「駅へ向かうつもりでした。終電が迫っていて、あそこが近道だって聞いていたもので」
「お兄さんと美玲さんはこの街には住んでいないのですね?」
「……はい。わたしも兄も、この街には住んでいません」
「観光で来るような街ではないここへ来た理由をお聞かせ願えませんか?」
「それは……」
「あの……もうひとりの兄を見舞いに……」
「見舞い?」
「はい。去年から、この街に引っ越すって言って……」
「自分は『因子持ち』だからって言い出して」
「検査と登録は?」
「それが……していないんです。弟は思い込みが強くて、あいつ、思い込んでいるだけじゃないのかなって。だって、俺も美玲も『因子持ち』じゃないんですよ? あいつの後に生まれた美玲だって、『因子持ち』じゃないのに」
「どういうこと?」
黙って聞いていた彩里花が僕に尋ねる。
「『獣の因子』は遺伝病の治療のために使われたのは知ってるよね。胎児の状態……お母さんのお腹の中にいる状態で遺伝病がわかった場合、胎児に『獣の因子』が注入される。その時、お母さんにも多少因子が移ってしまうんだ。それで、以降に生まれる妹や弟には遺伝病の治療をしていなくても『因子持ち』が生まれる可能性が出てくる」
「そうなんだ」
壁向こうの話は進む。
「先ほどあの道は近道と聞いたと言いましたが、それはどなたから聞いたのですか?」
「弟から聞きました」
「……あの、この件で兄は……」
「検査は免れないでしょう。できれば弟さんにも事情をお聞きしたいのですが」
「それが、美玲がこんなことになってるっていうのに連絡がとれなくて」
「わかりました。こちらでも連絡は取らせてもらいます。ところで美玲さん、具合の方はいかがですか?」
「はい。処置が早かったおかげで楽になってきました。……息ができなくなってしまって……。傷口からの出血ももうすぐ止まるだろうと、先生が仰ってました」
「それは何よりです。ではわたしはこれで。今夜ゆっくりとお休みください。犯人逮捕に全力を挙げますので」
「あのっ……兄は犯人ではありません」
「まだ疑っていませんよ。連絡が取れないのは気になるところですが、万が一事件に巻き込まれているといけない。お兄さん、あちらで五分少々で良いので話を聞かせてもらえませんでしょうか?」
「はい、構いません。じゃあ美玲、少しだけひとりにするけど大丈夫だね?」
「うん。いってらっしゃい」
美玲という被害者、その兄が廊下に出てくるようだったので僕と彩里花は会わないよう、廊下の角へと行き身を隠していた。
「失礼ですが、お名前をうかがってもよろしいですか?」
「これは失礼しました。俺は篠原(しのはら)和也(かずや)。連絡の取れない弟は智也(ともや)と言います」
「和也さんから見て、智也さんは『因子持ち』ではないと?」
「はい。あれは潜伏期間と言うか……持っていても発症しない例もあるとは聞いていますが、弟は詳しい検査は受けていないはずです。穏やかな性格でしたし」
「ではどうして智也さんはこの街に?」
「ある日突然、自分は『因子持ち』だと言い始めまして。一緒に住まない方が良いと言い出して、ひとりこの街へ……。智也は熱心に羽馬勇気のニュースなんかを見ていましたから……その影響かと俺は考えてます」
「ふむ……」
世の中に不満を抱える人に、羽馬のようにエネルギー溢れる人の言葉や行動は突き刺さるのだろう。それが良かれ悪かれ、本来その人にできない、するはずのない行動までをさせてしまうのは恐ろしいが、すごいことだと思う。
「警察でも智也さんの行方は追わせてもらいます。それと、彼やあなた、美玲さんがこの街で……『因子持ち』に何か恨みを買うようなことに見覚えはありますか?」
「いえ、全然ありません。俺たちは『因子持ち』の知り合いもいませんし、条約を守って生活しています。この街に来たことも初めてです」
「そうですか。ありがとうございます」
「やはり智也を疑っていますか?」
和也という長男は美玲と同じように、智也のことを案じているようだった。
「連絡を絶っていますからね。わたしも疑いたくはありませんが、可能性は考えなければいけません。では――」
警部がそう言って話を切り上げようとした時。和也は低く、本当に言いづらそうに声を絞り出した。
「智也は……欲しがっていました」
「え?」
「智也は……羽馬勇気が言っていた『生け贄』を欲しがっていました」
壁に背をつけていた彩里花が、僕に小声で聞く。
「『生け贄』って?」
「羽馬勇気の宣言の中にあるんだ。人間たちは我らに生け贄を捧げ許しを乞え、って。その生け贄は、今まで差別を受け、不当に死んでいった同胞……つまりは『因子持ち』と同じ数が必要とか言ってたと思う」
「趣味悪いなぁ……。でも智也っていうヘビ野郎はそんな羽馬なんとかに心惹かれちゃったってこと?」
「そうなんだろうね。シッ、何か話すよ」
「『生け贄』を捧げ許しを乞う側か、許す側かは僕にはわからない。だけど彼ら『因子持ち』の怒りは誰かの命を捧げ続けない限り治まらないだろう、って。智也はいつか、俺に言ったんです。苦しそうに」
「……なるほど」
智也は羽馬勇気の、いわゆるシンパだったのかもしれない。おそらく警部も同じことを考えていると、僕は思った。
「だから俺も美玲も心配で、できれば元いた街に連れて帰りたかったんです。それなのに……」
「説得はできなかったんですか?」
「会ってすらくれなくて……」
不意に、僕の袖が引かれた。
「今度はなに?」
「嘘の匂いがする」
「え? 和也かな?」
「うん。あの人、今嘘をついた。たぶん、弟の智也だっけ? その人に会ってるよ」
「じゃあなんで嘘をついたんだ……?」
そのことを知らない警部は話を続けていた。
「わかりました。しかし羽馬勇気に傾倒していることが妹を傷つけるということの動機にはなりませんから」
「いえ、そうではなく。智也が羽馬勇気の言葉にそそのかされて、自分で『生け贄』を用意してしまうのじゃないかって、恐くて……」
「そのご心配は察します。ですので、我々も智也さんの身柄確保に全力を注がせてもらいますので。さぁ、美玲さんのところへ戻ってあげてください。彼女もひとりでは心細いでしょうから」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
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