第5話 込める祈りと愛する色



「それでは、星夜祭の代表はジェニーで異論はないね?明日から各クラス、終礼の時間を削って30分、飾りつけと準備に当てることになるからそのつもりで」


 話し合いはまばらな拍手と共に終息を迎えた。ナスターシャもようやく顔を上げ、あまり話したことのないジェニーに密やかな感謝を送る。


 残りの時間は復習のプリントに当てられた。生徒は皆同じ顔で分厚い教科書とにらめっこしながら問題を解いていく。

 ナスターシャは内心、1日の終わりを飾る授業が不得意な魔法実技ではないことに安堵する。座学はクラスでも上位のナスターシャだが、魔法を扱うことが壊滅的に下手なのだ。

 この学園では初級魔法である浮遊、浄化、保護魔法。聖女にとって欠かせない治癒魔法さえも、あまりいい成績とは言えない。故郷でも、手伝いの中で火起こしや浄化魔法を少し使えていた程度だ。家族の中では祖母とナスターシャだけが魔力を持っていた。そして現在、聖女としての素質が芽生えたナスターシャの保有魔力は増大し、扱いさえ覚えてしまえば総合評価は最良を出せるだろう。しかし座学はともかく実技がなかなか奮わないため、ナスターシャの成績は真ん中あたりだ。

 得意不得意を含めて勉学なのだと言い聞かせても、ナスターシャは自身の不甲斐なさにいつも落ち込んでしまう。あのニルギリの瞳に責められる度に胃が痛む。教師よりも厳しいダリアの言葉は、いつもナスターシャの真ん中を貫いていくのだ。


(…せめて治癒魔法は覚えたいわ。コツは掴めてきた気がするんだけどな)


 ペン先を走らせながら、ナスターシャは治癒魔法の基礎構造を思い出す。魔力は血脈と同じ、体内を巡るイメージを常に持たなければいけない。保有魔力の量も質も、個々で全く異なるものだ。それぞれの持つ個性に反応すると言ってもいい。だからこそ治癒魔法に長ける者、保護魔法に長ける者と得意分野は別れるのだ。


(巡らせる…全体に、体の奥まで、魔力が浸透するイメージ…)


 いつの間にかペンの走りは止まっていた。無意識の内に力が入り、握り込んでいたペンがみしりと音をたてる。


─── もし、あの人が怪我をしたら。

─── もし、あの人が目の前で襲われたら。



─── …私しか、助けられる人がいなかったとしたら?






「ナスターシャ・ベルヴェイン!」

「はいっ!?」


 その重圧をかき消したのは、ソフィーナの喝の入った声だった。


「今はテストの時間だよ、やる気は結構。でもその魔力は放課後まで押さえておきなさい」

「え、あ…」


 周囲からくすくすと笑いが漏れる。見回した先でネルが呆れたように溜め息をつくのが見えた。ナスターシャは小動物のように縮こまり、小さくすみません、と呟いた。


「よし、少し早いけど他のクラスでも準備に入る声が聞こえるね。私はランタンを取ってくるので、みんなキリがいいところで片付けに入っておくように。ジェニーには流れを説明をしよう、一緒においで」


 指名を受けたジェニーが喜色を浮かべ、ソフィーナの後ろを子鴨よろしくついて行く。ナスターシャも慌てて残る問題を終わらせた。

 ランタンを待つ間は雑談の時間。ネルがからかいを含んでにんまりと笑っている。


「ナスターシャは魔力量だけはすごいのにねぇ」

「ネルはどの教科も優秀で羨ましい…初級魔法で躓いてるなんて家族に言えないわ…」

「そりゃあアタシは地元でも魔法使ってたし、経験の差ってやつ?でもナスターシャほど座学は良くないよ。もー、ここの授業細かすぎるんだよね、ワイバーンの爪が何ミリグラム~だのオークの血が小匙何杯~とか」

「だからネルは錬金術よく失敗してるの?」

「失礼な!偶然の産物でもちゃんと完成したでしょうが。ポーションを作れって言われて解毒薬ができたのは逆に天才と言えるね」

「言いません」


 べぇと舌を出すネルをはしたないでしょ、とナスターシャが嗜める。紳士淑女としての振る舞いもここでは厳しく審査されるのだ。


「まぁそんなことより、殿下が動きやすそうな祭りが早速やってきたじゃない。星夜祭は告白パーティーなんて言われてるし。楽しみだねぇ、いろいろと」

「……告白」


 立ち上る星達の中で受ける告白は、甘やかな愛の言葉を何倍にも美しく飾ってくれる。成績を上げたい、学年一位を取りたい、家族が健康でありますように。成就する願いは複数あれど、出来上がった恋人の数も星の数ほどあった。

 ウィリアムが想いを伝えるならきっと星夜祭だ。そう予想するのはネルだけではない。普段ウィリアムのアプローチを見ていた生徒も、少なからずそう思っていた。

 ナスターシャも難しい顔をして考え込んでいる。予期せぬ三角関係に悩んでいるのだと思ったネルは、この先に訪れるであろうスキャンダルに胸を躍らせた。ネルにとって友達であることと面白くなりそうな展開はまた別なのだ。

 ナスターシャの何をウィリアムが気に入ったのかは誰にもわからない。それはナスターシャ本人も。

 しかしネルが最も不可解なのは、ウィリアムのアプローチに対しナスターシャ本人の手応えがないことだ。美しい白銀の髪に整った顔立ち、成績も身分も育ちも何一つ欠点らしい欠点などない完璧な王、ウィリアム殿下からの好意だ。誰もが喉から手が出るほど欲しがるそれを受けても、ナスターシャは思い上がらない。それが美点だと言われればそれまでだが、ネルの視点ではそもそも、ナスターシャにアプローチが響いている様子がない。

 きみはいつも綺麗だね、の言葉に素敵なお世辞をありがとうと言っているようなものだ。どこか掛け違えている気がしてならない違和感を、ネルだけが察していた。その違和感もウィリアムが動けば解決するだろうと、ネルは星夜祭を心待ちにする。不純である。


 数分たつと、また廊下から特徴あるヒールの音と共にからからと荷台が運ばれる音が聞こえた。


「ただいま帰りましたぁ」

「はいただいま。じゃあ一人一つ、ランタンを取っていってくれるかな」


 たくさんの星形ランタンを詰んだ荷台を押して、ジェニーとソフィーナが扉を開きながら指示を出す。生徒達は我先にとランタンを手に取り、手のひらサイズの人工的な星に思い思いの感想を溢す。


「あら、結構軽いのね」

「可愛い!簡易のライトみたい」

「材質は何でできてるの?」

「あっ開いた!先生!この中に魔力を込めればいいんですか?」

「そうだよ、中に核のようなものがあるだろう?取り出して自分の魔力を込めてごらん。星夜祭に飛ばすときは炎に変わるからね。好きな人を想って魔力を込めると、その人の色になると言われているよ」


 ソフィーナの言葉に教室がにわかに騒がしくなった。好きな人の色。愛する人の色に染まった炎は、何よりも手離しがたくなるだろう。

 ナスターシャも荷台からランタンを一つ手に取り、ぱかりと上部の蓋部分を開く。中には真珠に似せた丸い核が収められていた。

 そっとナスターシャは核を取り出し、手のひらに転がす。他の生徒も赤く頬を染めながら、祈りを込めるように核に触れていた。


 巡らせる。高揚と緊張と、少しの期待を。


「さてさて、みんなの星は、何色になるのかな」


 ソフィーナの笑いを含んだ声が遠くで聞こえる。教室中が魔力で溢れ、合唱する。尊ぶべき存在、心臓を脅かす証明。前を見る横顔を思い出すだけで、全てが揺さぶられる。


 ナスターシャはそっと目を伏せ、手の檻に閉じ込めた核に魔力を込める。

 

 溜め息の後に恭しく取り出されたナスターシャの星は、淡いニルギリの色に染まっていた。

   

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拝啓、わたしの悪役令嬢さま 砂糖猫 @stunk

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