第4話 星守りの精霊と大役



「おや、おかえりナスターシャ」

「ただいまネル」


 なんとか熱を冷まし戻った教室で、最初にナスターシャを出迎えたのは級友のネルだった。ネルは読んでいた文庫本を置きながら丸眼鏡を光らせ、目ざとくナスターシャの高揚に気付く。


「あれあれその顔、またウィリアム殿下に絡まれたね?」

「もうネル、言い方!絡まれたなんて…こけて擦りむいた怪我を治してくれただけよ」

「ふぅん?相変わらずナスターシャにご執心だねぇ」


 けらけらと笑うネルは、ナスターシャと同じ聖女候補の一人だ。未来の聖女となり得る人材は全て同じクラスにまとめられ、同じ時間を共有する。

 結ばれた大きな三つ編みに触れながら、ネルはからかうようにナスターシャを見上げる。同時に始業のベルが鳴り、一クラスに集められた女生徒達がひらひらと舞うように席に着き始めた。ナスターシャは眉を下げてネルに反論する。


「違うの、本当にそんなじゃないわ。殿下がお優しいのは知ってるでしょ?みんなにもそうなんだから」

「いーや!優しさの温度が違うね。ダリア嬢への態度見てるでしょうが、まるでビジネスパートナーだ」


 そう言ってつんと唇を尖らせるネルにナスターシャも口を噤む。その言葉の意味は、よくよく理解している。ダリアから辛口な審査を受けるのは、まさにナスターシャ本人だからだ。ウィリアムの想いがナスターシャに向き、その嫉妬と羨望でダリアがナスターシャを攻撃する。その図式は他の生徒の間でも認識されていることだった。

 文庫本に栞を挟み、ネルは次の教科の準備を始めた。ナスターシャもそれに倣い、分厚い錬金術の基礎本を取り出す。

 一見大人しめな文学少女に見えるネルの中身は、なかなかに豪胆だ。7人兄弟の長女という立場のためかとても気が強く、物怖じしない。どことなく頼りないナスターシャの手を積極的に引いてくれる存在でもある。反論の余地を塞ぐネルを恨めしげに見つめ、ナスターシャはむぅと拗ねた顔でウィリアムの優しい笑顔を思い浮かべた。


「そ、れはだって…二人は公私共にパートナーだもの、周りに示しがつかないから表面上冷たくしてるだけかもしれないじゃない」

「そこまでお互い聞き分けがよければね。でも見たらわかる、ウィリアム殿下は束の間の青春を謳歌したいタイプで、ダリア嬢は今の自分の立場が誇りってタイプ。相性は悪いね、殿下は青春を本物にしたがってるもんね」


 始業のベルが再度鳴る。誰もいなくなった廊下から、先生のハイヒールが近づいてくる音が聞こえた。等間隔で並ぶ席が全て埋まり、皆ぴんと背を正す。


「まぁ見てなさいって。ああいう実直なタイプはチャンスがあればすぐ動き出すから」


 ネルの一言を区切りにして、教室の扉が開いた。凶器に見えるほど先の尖った靴が壇上に向かい、艶やかな声が起立を唱える。


「ごきげんよう、未来の光たち。みんな揃ってる?」

「おはようございますソフィーナ先生、全員出席しています」

「結構結構、さぁ掛けて」


 錬金術を担当するソフィーナは薬品の匂いをさせて、着古した白衣を纏った。着席する生徒達を見回し、煮詰めたブルーベリージャムと同じ色に塗られた唇が満足げに薄く笑む。鈍器のような厚みのある教科書を置いて、ソフィーナは残念そうに垂れ下がる前髪をくしゃりと掴んだ。


「さて、早速授業を始める…と言いたいころだけど、先に来週のイベントについて話し合わなければいけなくてね」

「あっ!ソフィーナ先生、それって星夜祭のことでしょう?」

「おや情報が早いね。その通り、来週は星守りの妖精を称える星夜祭があるんだ。みんなも知っているね」


 わぁ、と少女らの歓声が上がる。星夜祭とは、学園のイベントの中でも人気のある行事のひとつだ。

 世界を覆う夜を飾るために必要不可欠な、夜さりの宝石。満点の星を守る精霊に敬意を込めて、星を象ったたくさんのランタンで学園を飾るのだ。そしてランタンに灯す魔法の込められた特別な火光に願いを込めて空に飛ばすと、その願いが叶うと言われている。蛍火のように空へ昇る光はこの上なく美しく幻想的な光景を作り、伝統行事を長く色付けていた。

 叶う願いは一つだけ。願いは数多くあれど、生徒から最も多く願われたことは、愛する人に振り向いてほしいという切望だろう。告白のシチュエーションとして最もふさわしい星夜祭に、はしゃぐ声がそこかしこで聞こえ始める。遮るように口を開くソフィーナも、苦笑混じりに手を叩いて注目を促した。


「はいはい、興奮するのはわかるけど落ち着いて。まず、ここにいる未来の光達から代表を決めてほしいんだ。祭壇へ灯火を運ぶ大役が与えられる。さぁ、精霊にぜひ感謝を伝えたいという子はいるかな?」


 星守りの精霊は夜にしか生きられない。そう伝えられている。星夜祭は日が落ちきった時間に始まり、日付が変わる頃に終了する珍しい日だ。寮の門限を破ることが許される唯一の夜に背徳を感じる者も少なくない。 


「ほぉら、早速来たねチャンスが」


 華やぐ声にネルの呟きが混ざる。しかし、その呟きがナスターシャに届くことはなかった。

 ランタンに灯される火は魔法が込められているため、燃え広がることも火傷を負うこともない、特殊な種火だ。星の欠片とも呼ばれる神聖な炎に願いを込めて、本物の星の一つになるようにと空へ飛ばす。一連の儀式で叶った願いは数えきれないほどと言われていた。

 校舎をランタンで埋め、校庭の真ん中に立てられた簡易の祭壇へ一際大きなランタンを飾る。決められた代表二人が精霊へ謝辞を述べ、祈祷を皮切りに感謝祭が始まるのだ。


 ナスターシャは想像する。暗闇の中、ランタンに照らされる赤い唇を。きっと、きっと空に昇る光よりも幻想的で、美しい光景なのだろう。

 密やかに想うだけでも、頬はしっかりと熱を帯びた。あの人は真昼に当たる陽の光の中でも美しい。けれど、あの残酷なほどに白い肌は、夜にこそ映える気がした。細腕に抱かれるランタンにさえ嫉妬してしまいそうで、飲み込みきれない激情がナスターシャの心臓の奥で拡がってゆく。

 耐えきれずナスターシャはぺしゃりと机に突っ伏した。好きだと、あの人の存在を噛み締める度に心臓が嫌な音をたてる。足元が覚束なくなる錯覚。恋とは、こんなにも扱いにくく難しい。

 ナスターシャが人知れず赤い顔を伏せても、周囲の盛り上がりが収まることはない。祭壇へ上がりたい、誰が、私が、ぜひやらせてほしい、多数決で決めましょう。星守りへの橋掛けは人気の役職だ。しかし。


(…祭壇には、登りたくないわ)


 どんなに誉れある大役だとしても、ナスターシャは目を反らす。選ばれたくない、従いたくない。


(だって、)






 ── あの人から、一時も目を離したくないもの。

 

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