第2話 クラフティア学園と聖女


 ナスターシャの出身は、年中冬の気候の寒い国。太陽の忘れ物とされた辺境の地でナスターシャは生まれ育った。

 吐く息が白くない日がない、太陽が出ている時間は短く、住人は常に頬と鼻先を赤くしていた。小さな町で作物を作り、家族と共に裕福ではなくとも満たされた日常を慎ましやかに送っていた。

 しかし、その平凡な日は突然終わりを告げる。ナスターシャの十三度目の誕生日に、聖女の力が贈られたからだ。


 カプリスの手遊び。聖女の力とされる加護は、一般的にそう呼ばれる。

 年齢や生い立ちなど一切関係なく、いつ何時、誰に授かるかもわからない未知の力だからだ。カプリスと呼ばれる悪戯好きな妖精が遊びの延長で与える予想外の贈り物と言われ、過去に二歳の子供が力に目覚めた例もある。

 大国を動かすとされた聖女の存在は、どんな辺鄙な場所に住もうとも語り継がれるものだ。夢物語に近い、けれど確かな伝説。悪しき者を浄化し、傷を癒し、国に守護を与える。魔力を持つ者はすべからく魔法を使えるが、聖女の持ちうる加護は傾国を危ぶむほどと言われている。端的に言えば、一般人が使う魔法より範囲も効果も段違いなのだ。

 その伝説になり得る可能性を秘めた者を聖女候補と呼び、聖女候補は魔力を宿したその瞬間に王都にある学園へと編入を余儀なくされる。

 ナスターシャも例に漏れず、二年の準備期間を経て教会からの仲介を通し、このクラフティア学園へと身を寄せることとなった。騒ぐ母親と父親の歓声が教会と話を進め、ナスターシャは口を挟む間もなくカプリスの気まぐれによって併設する寮へと転がされたのだった。


 各地から集められた聖女候補となる少女達は、ナスターシャのように平民出身の者も珍しくはない。

 クラフティア学園の理念は【平等】。その言葉通り、この学園には様々な人種が生徒として通っている。王族、貴族、エルフ族、獣人族、小人族。多種多様な生徒を抱えながらも、この学園内に身分はない。皆が平等に支え合い、そして未来のために研磨し合うのだ。

 勉学を、魔力を、魔法を、そして自分を。鍛え成長するために、ナスターシャはここにいる。


 思いがけない出会いと共に。








「…あ」


 二人に背を向け駆け出して十何歩。ナスターシャはようやく足を止める。


「マンドラゴラ、忘れちゃった…」


 乱雑にかき集めた私物を胸元に寄せて、耐えるように抱き締める。とくとく、煮えたミルクを注がれたときのように心臓は早鐘を打った。沸いた高揚は熱く熱くナスターシャの中に拡がる。


「はぁ…もうどうして、せっかくお話できる機会だったのに…本当にバカ。もっと、もっと…あったでしょう、…たくさん」


 大理石の床に影が灯る。ほんの数分のやり取りにさえ感じたやるせなさに惜しんで惜しんで、とうとう壁に寄り掛からなければ立っていられないほどに力が抜けていく。ナスターシャは無人の廊下で一人、顔を赤く染めた。

 こつん、と冷えた壁に額をつけて熱を逃がす。ナスターシャのバニラアイスと同じ色のロブヘアの中で、臙脂色のカチューシャが光った。目を伏せてじっと興奮を冷まそうと試みる。


「こ、今度こそお誘いするって…決めたのに。わ、私から…。……ああ、やっぱりだめ、無理よ。想像だけで死んじゃいそう」


 ぎゅうぎゅうに抱き締められたノートがとうとうぐしゃりと悲鳴をあげた。興奮は落ち着くどころか再起してしまう有り様だ。想像は想像でしかないのに、どうしてか熱を引かせてはくれない。それほどの衝撃がナスターシャを未だ包んでいた。

 遠くで始業を伝える5分前のベルが鳴っている。現実は遠い。頭の中では授業に出なければと理性が語るのに、多幸感に足先を取られてしまう。聖女候補ならいくらでもいるのだから、今この瞬間に浸るくらいは許されていいはずだと、ナスターシャは身勝手にもそう思う。

 教室に散らばる聖女候補達。華やかな笑い声。自分よりもずっと有能な、たくさんの美しいつぼみ達。まだ花開く前の才能に囲まれる今の生活は、まだ少し慣れない。


「……はぁ」


 溜め息につられて想いが喉から出てきてしまいそうになる。貴方が好きだと、叫びだしたくなる。学園中に響くほど大きく愛していると叫んだら、どんな顔をするのだろう。

 退屈な座学も大好きな魔法薬学も不得意な魔力の扱い方も、そのどれもが今はどうでもいい。あの声が名前を呼んでくれた。焼ける空気に触れた。


 マンドラゴラはお好きかしら。個体別に特徴があっておもしろいんです。ああまずは、あの人の好きなものを聞くところから始めなければいけないわ。次こそ、次こそ必ず。


(…最初は見ているだけでよかったのに。…だめね。私、強欲になったみたい)


 沈む、沈む。この想いの果てに。





「…お話できて、よかった」



 






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ベルヴェイン→ベルベット(織物)

クラフティア→クラフティ(伝統菓子)


がモデルです。

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